刀 次郎左衛門尉勝光

刀 次郎左衛門尉勝光
先に紹介した五郎左衛門清光が天文(1540年頃)、この勝光は永正 (1510年頃)の次郎左衛門尉。年代は多少異なるがいずれも戦国時代で、勝光も激しい皆焼刃を焼いた作を遺している。これが良い例で、刀身下半は比較的穏やかな刃文構成だが、上にゆくに従って飛焼が交じるようになり、物打から上はほぼ全面が焼かれた異風な仕立て。地鉄は板目に杢目が交じって良く詰み、それが故に小板目状に感じられるほどの肌合いとなり、これに地沸が叢付いて一部は飛焼と湯走りが複合し、粒立った小板目肌が流れるような美しい景色を生み出している。皆焼刃は相州伝の極致。備前刀工も相伝備前とは異なる時代に、かなり強く相州刀の影響を受けている。


刀 次郎左衛門尉勝光
先に紹介した五郎左衛門清光が天文(1540年頃)、この勝光は永正 (1510年頃)の次郎左衛門尉。年代は多少異なるがいずれも戦国時代で、勝光も激しい皆焼刃を焼いた作を遺している。これが良い例で、刀身下半は比較的穏やかな刃文構成だが、上にゆくに従って飛焼が交じるようになり、物打から上はほぼ全面が焼かれた異風な仕立て。地鉄は板目に杢目が交じって良く詰み、それが故に小板目状に感じられるほどの肌合いとなり、これに地沸が叢付いて一部は飛焼と湯走りが複合し、粒立った小板目肌が流れるような美しい景色を生み出している。皆焼刃は相州伝の極致。備前刀工も相伝備前とは異なる時代に、かなり強く相州刀の影響を受けている。


