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日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

短刀 龍泉貞次 Sadatsugu Tanto

2018-03-19 | 短刀
短刀 龍泉貞次


短刀 龍泉貞次

これも同じ高橋貞次の作。彫り物がないことから地鉄の様子が堪能できる。姿が良い。微塵に詰んだ地鉄が良い。直刃が穏やかでいい。でも子細に観察すると、直刃の中に細かなほつれがあり、決して単調な出来ではないことが理解できる。お守り刀として製作されたであろうことが判る。



短刀 龍泉貞次 Sadatsugu Tanto

2018-03-17 | 短刀
短刀 龍泉貞次


短刀 龍泉貞次

 江戸時代以降の綺麗な刃文の作品を紹介しているが、現代刀工も優れている。人間国宝に指定された高橋貞次の、八寸五分強のお守り短刀。這龍の彫物が活きている。造り込みは鎌倉時代に製作された短刀を手本としており、地鉄も緻密に詰んだ小板目鍛えであることから、また刃文も綺麗に揃った直刃出来であることから、粟田口、来などの古作を手本にしたものと思われる。奇麗な出来である。



短刀 備州義隆 Yoshitaka Tanto

2018-03-13 | 短刀
短刀 備州義隆


短刀 備州義隆明治四年

 江戸時代の綺麗な刃文の作品を紹介している。逸見義隆は、同時代の月山貞一の陰に隠れるような存在だが、技術高かったものの、廃刀令を受けて潔く鎚を置いた一人で、数奇者垂涎の的。幕末から明治にかけて活躍した備前刀工。即ち最後の備前鍛冶の一人でもある。彫り物上手でも知られている。作風は備前伝ではなく、自らが学んだ大坂の師尾崎助隆伝の綺麗な互の目出来。小板目鍛えの地鉄に沸の粒子が揃って明るい焼刃が魅力。彫り物は草の倶利迦羅。□


短刀 出羽大掾國路 Kunimichi Tanto

2018-02-14 | 短刀
短刀 出羽大掾國路


短刀 出羽大掾國路

 浅い湾れに互の目を配し、所々湯走りを加えた、志津写し。國光らしい覇気ある焼刃で、しかも古作を見るようで綺麗だ。國路が國廣に学んで独立し、数多くの作品を遺していることからも、その知名度と人気のほどが想像される。流れるような板目肌に沸が絡んで流れ掛かるようなところは古作そのもの。銘が消されて古作に直されたと伝説されるのも頷けよう。



短刀 舞鶴友英 MaizuruTomohide Tanto

2018-01-22 | 短刀
短刀 舞鶴友英


短刀 舞鶴友英

 これも友英の短刀。造込みにおいては、上身は尋常だが茎は独特の振袖形。写真では分かり難いが、重ねが厚い鎧通し。地鉄は小板目鍛えで、良く詰んでいる。刃文は、浅い直湾れ調で、沸が付いて湯走り掛かり、沸筋が流れて二重刃が顕著。これも綺麗な相州伝。

短刀 舞鶴友英 Tomohide Tanto

2018-01-20 | 短刀
短刀 舞鶴友英


短刀 舞鶴友英

 以前にも紹介したことがある、ちょっと変わった造り込みの短刀。そもそも友英なる刀工は、いくつかの風変わりな作品を遺している。これも包丁正宗風の幅広い造り込みで、背景は相州伝。下半湾れ調の刃文で、物打から水晶玉を並べたように互の目が揃った刃文構成。独創を追求したものであろう、とても綺麗である。沸深い刃中には穏やかに金線砂流しが流れ掛かっている。



短刀 武蔵大掾忠廣 Tadahiro Tanto

2018-01-06 | 短刀
短刀 武蔵大掾忠廣


短刀 武蔵大掾忠廣

 初代忠廣。即ち初代忠吉の晩年作。江戸時代の美しい肥前刀はこの忠吉から始まった。なんて綺麗なんだろう。たっぷりとした量感のある姿から始まり、均質に詰んだ小板目鍛えの地鉄、端正な直刃。こうして忠廣の直刃を眺めると、その技量の高さに改めて感じ入る。ただ眺めてほしい。



短刀 冬廣作 Fuyuhiro Tanto

2017-10-11 | 短刀
短刀 冬廣作


短刀 冬廣作

 藤左衛門冬廣の七寸三分の短刀。身幅を控えて引き締まった印象のある出来。板目鍛えの地鉄は、地景で流れるような肌が現れ、総体に良く詰んで潤い感がある。小沸出来の刃文は湾れの所々が乱れた構成で、刃境がほつれ、島刃が入り、湯走り掛かり、砂流し沸筋、金線が入る。帽子は掃き掛けを伴い浅く湾れて深く返る。互の目が顕著ではない湾れや乱刃出来の、相州振りが示されている。



短刀 備州尾道辰房光重 Mitsushige Tanto

2017-09-12 | 短刀
短刀 備州尾道辰房光重


短刀 備州尾道辰房光重延徳四年

 六寸ほどの鎧通し。以前にも紹介したことがあるだろうか、三原鍛冶の中では、銘にある通り尾道にて活躍した刀工。刀身に比較して茎が長く、重ね厚く細身に仕立てられている。見るからに刺突の効用を高めた構造だ。地鉄は杢を交えた板目肌で、地沸が強く焼が強いために肌立って見える。典型的皆焼の焼刃は、尖り調子の互の目、湾れ、矢筈刃、など複雑に乱れる様相で、鋒の焼きもたっぷりと残り、先は掃き掛けて返り、乱れた棟焼に連続し、所々に飛焼も配している。これらに地中の湯走り、沸筋、砂流しが加わっている。

短刀 備州重吉 Shigeyoshi Tanto

2017-09-09 | 短刀
短刀 備州重吉


短刀 備州重吉應安六年

 南北朝時代の備後国の法華重吉の、八寸強の短刀。先反りが付いて幅が広め、重ねは薄手にこの頃の特徴的造り込み。所々肌立つも、総体に縮緬状に動きのある杢交じりの板目肌が綺麗だ。刃文は三原同様の直刃。刃中には沸匂が帯を成して流れ、帽子は小丸返り。長大な太刀を主たる備えとしていたのであれば、このような抜き易い武器はどうしても必要だ。どのような戦闘においても長い太刀ばかりでは動きにくかろう。一尺前後の抜刀に適した刃物はいかに操作性に富んでいたろうか。太刀は腰に吊るして備える。対して腰帯に差して備えとする武器は「腰刀」になるのだろう。そのような意味であれば、すべての腰帯に差す刀は腰刀になる。刀の銘や地鉄や刃文の研究だけでなく、実際にどのように扱われたものなのか、先生方にはその所を研究してもらいたいと願っている。

短刀 廣次 Hirotsugu Tanto

2017-09-06 | 短刀
短刀 廣次


短刀 廣次

 室町中期から後期にかかる明應頃の、相州廣次の短刀。総体のバランスを見ると、刃長五寸七分に比較して茎は二寸八分ほどだからかなり長いと感じるが、保持して激しく使うことを考えると、この程度は必要だろう。備前刀でも説明したが、室町時代明應頃にみられる特徴的な造り込みだ。地鉄、焼刃、茎など総体は見るからに相州物。沸強く飛焼が印象深い。
 「長い太刀や刀以外の小ぶりな刃物、小脇差、腰刀、短刀などすべての小ぶりな刃物は、合戦で相手の首を切り落とすための武器である」と言っていることを耳にしたことがある。特に一尺二寸前後の最も扱い易い武器のことを述べているようであったが、さらに小振りの短刀まで、最後に相手の首を落とすための武器だというのである。はたして合戦とは、首を落とすための武器を特別に用意するほどに敵軍を抹殺するためのものだろうか。その説が正しければ、合戦が終わると、そこら中に首のない死体が転げていたことになるが、本当だろうか。歴史家がいたら教えてもらいたい。むしろ、戦いで相手を殺してしまっては、後に部下として有益な働きをするかも知れない尊い力を一つ失うことにもなる。むやみに殺してしまうことはなく、戦闘意欲を失わせるだけで良い。合戦とは殺し合いではないのだ。室町初期に隆盛した小振りの脇差は、綺麗な装飾が施されていることから分かるように、高位の武士が室内での守りとしたものではなかったか。小振りの刃物は首を切るための武器であるという説は頷けない。一歩譲って首を切るためなら、刀でも太刀でもよかろう。この短刀のように六寸ほどの刃物でも首を落とすの?もしあるなら、その説の裏付けを聞きたいものだが、どうだろう。

短刀 延寿 Enju Tanto

2017-08-25 | 短刀
短刀 延寿


短刀 延寿

 九州鍛冶というと、山城國来派の流れの延寿鍛冶を忘れることができない。延寿派は國村が初祖とされている。来風に良く詰んだ小板目肌に板目が交じって総体に白っぽい映りが立っており、これによって白けるなどと表現され、その動きのある景色と地相は変化に富んでいて面白いと思う。ところが、どこの先生が評価し始めたせいか、「なんだ延寿か」「なんだ九州物か」という発言を聞くことがある。明言して間違いない、延寿の地鉄は頗る美しい。しかも変化に富んでいる。この面白さを感じ取れず、先人の言うことを鵜呑みに低い評価を加えるなどもってのほか。もっと高い評価を与えてよいと思う。とにかく変化のある地鉄に心が奪われるのだ。この短刀は、無銘で鎌倉後期の延寿と極められた作。先の説明の通りに、しようと研磨によって肌立つところがあるも、綺麗な地鉄だ。刃文は細直刃。刃境が細やかにほつれている。

短刀 左 Sa Tanto

2017-08-07 | 短刀
短刀 左

 
短刀 左

 鎌倉時代後期の筑前鍛冶で、父祖より受け継いだ九州古伝に相州伝を加味して新たな作風へと飛躍したのが左文字である。太刀で在銘作は国宝一口のみ。多くは小ぶりな短刀に銘が遺されているのみ。この短刀は、九州古伝の風合いがいまだに強く遺されている作で、相州伝を受け入れる前、あるいは相州振りを強めてゆく過程にある頃の作と考えられている。刃長九寸は左文字としてはかなり長め。地鉄が備えている働きは一様ではない。とにかくすごい。思わず涙してしまいそうな感動を覚える作だ。綺麗な杢を交えた板目鍛えの地鉄は、全面に細やかな地沸が付き、刃に沿って深く澄んだ暗帯部を伴う映りが立ち、下半は穏やかにグラデーションが付き、中ほどから乱れ映りとなり、刃寄りには強く輝く映りの端部があって、これが二重刃のように冴えて見える。地中には映りと重なるように地斑というべきか言い尽くせない働きもあり、これらが複式に重なり合って複雑な景色を生み出しているのである。左文字というと、相州伝鍛冶の代表格とされているが、このような古風な作品を遺している点から、左文字の相州伝のみを求めるのではなく、幅広く左文字の作風を捉え、その魅力を楽しみたい。刃文は細い直刃調の湾れで、刃中には無駄な景色を求めず、刃境にほつれなどの繊細な働きを示している。拡大写真がちょっとぴんぼけ。ご容赦願いたい。

  

短刀 長州住顕国 Akikuni Tanto

2017-08-04 | 短刀
短刀 長州住顕国


短刀 長州住顕国

 永享頃の顕国。応永と永享の間には正長が一年挟まれているだけだから、応永と永享は連続していると考えてよい。ほぼ同じ文化が背景にある。この短刀は、寸法が九寸八分。現代の分類だから短刀にしているが、造り込みは身幅が広く先反りがついており、先に紹介した一尺三寸強の脇差とは同じ目的で使用されていたものと思われる。寸法のみで分類していると、本来の意味が分からなくなるのではないだろうか。脇差というと江戸時代の大小の小刀をまず思い浮かべる。その印象そのままに戦国時代から室町時代、南北朝時代へと遡ることはできない。このような平造の小脇差は、江戸時代の大小の脇指とは全く異なるのだ。また、度々説明しているように一尺九寸前後の脇差も違う。一尺から二尺の間には、単に「脇差」という単一の言葉では説明しきれない様々な造り込みや使用の違いがある。呼称を工夫しても良いのではなかろうか。さてこの短刀は、大きく揺れるような板目が地景で際立ち、良く詰んで潤い感があり、刃文は浅い直刃調子の湾れ刃。刃中はほつれ、金線、砂流しが働き、二重刃風のところも顕著。