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日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

短刀 雲林院政盛 Masamori-Ujii Tanto

2017-07-29 | 短刀
短刀 雲林院政盛


短刀 雲林院政盛

 室町時代の伊勢に栄えた雲林院刀工は、大和手掻派の流れ。とはいえ、刀身のみを出されて、どこの刀工かと問われても、雲林院鍛冶とは出てこないだろう。一尺一寸強の、現代では脇差に分類されるのだが、姿は寸が延びて先反りの付いた短刀で、戦国時代に重宝された使い勝手の良さそうな構造。板目鍛えの地鉄が流れて大模様となり、地沸が付いて肌目に沿った地景が顕著。沸の強い刃文は互の目湾れ調子で、刃境が盛んにほつれ、金線稲妻、喰い違い、二重刃など大和伝の働きが顕著で、これが刃中にも及んで砂流しとなる。

短刀 二王清貞 Kiyosada Tanto

2017-07-25 | 短刀
短刀 二王清貞


短刀 二王清貞

 室町前期の周防国の二王鍛冶、清貞の短刀。とにかく地鉄が美しい。弛みなく均質に詰んだ小板目鍛えで、微細な地沸で覆われ、古作ではないような質感。それでも、直刃仕立ての焼刃を見ると、ほつれ、喰い違いが清らかに入って大和伝の極上の出来であることが判る。このような綺麗な作風が、さらに時代が降って江戸期の二王派の作風の基礎となってゆく。

短刀 國昌 Kunimsa Tanto

2017-07-13 | 短刀
短刀 國昌


短刀 國昌

 この國昌もあまり見ない刀工だが、國廣の父と言えば存在感が鮮明になってくる。時代は天正頃。造り込みは鎧通し。七寸五分、重ね二分六厘。がっちりとした印象。地鉄は小板目風に詰んで細かな地景が交じり、その所々に板目肌が窺える。通吉や末次に比較して綺麗に感じられる。刃文は直刃調子で、腰を焼き込んでいる。匂口は締まって明るく感じられる。ここまで綺麗になると、修験古鍛冶の特質は失われているようにも思われる。

短刀 末次 Suetsugu Tanto

2017-07-11 | 短刀
短刀 末次


短刀 末次作

 この末次も日向鍛冶。通吉と同様に薬師堂の辺りで作刀していたとみられる。時代は戦国末期の天正頃。刃文は相州伝の影響を受けたものであろうか、皆焼が顕著だ。地鉄は、杢目を交えた板目肌だが、杢が複雑に絡み合っているように感じられ、綾杉風ではないが明らかに杢目を意識した地鉄となっている。刃文は匂出来。匂口が潤んでいるのは折損を防止する意図があるのだろう、斬れ味も良さそうだ。

短刀 月山宗近 Munechika Tanto

2017-07-07 | 短刀
短刀 月山宗近


短刀 月山宗近

 天正十一年紀の月山宗近在銘の短刀。穏やかに揺れる程度の綾杉鍛え。先に紹介した無銘の月山に比較すると戸惑うかもしれないが、明らかに奥羽の地鉄だ。造り込みを見ても研ぎ減りは判るが、茎の先端が張った独特の仕立て。揺れるような肌目に地沸が絡んで地景が穏やかに起ち、その肌目が刃中に及び、刃肌、ほつれ金線沸筋などを形成している。刃境の沸は地中に湯走りを成し、なかなか良い出来と言えよう。

短刀 月山 Gatsan Tanto

2017-07-06 | 短刀
短刀 月山


短刀 月山

 生ぶ茎無銘の短刀。古研ぎで、地鉄の様子が分かり難いところもあるが、綺麗な綾杉鍛えとなっている。現品を手にとって見てほしい作品の一つだ。刃文も特徴的な細い直刃で、綾杉肌によるほつれが刃先にまで現れている。50□


短刀 備中州住貞次 Sadatsugu Tanto

2017-06-24 | 短刀
短刀 備中州住貞次


短刀 備中州住貞次元弘三年十月日

 なんて素敵なんだろう。南北朝初期の、身幅の広い短刀。刃長九寸強、元幅九分。研ぎ減りがあるのが判るが、それでも結構広いから、生ぶの状態ではもっと幅広く迫力のある姿であったことが想像される。地鉄は杢目を交えた板目肌で、肌目が綺麗に起って見えるも鍛えは良く詰んで密な感がある。濃淡変化に富んだ映りが全面に立っており、霞立つ春の朧なる空気感を暗示して美しい。刃文は細直刃。元来はもう少しあったはずだが、これでも充分過ぎるほどに綺麗だ。「端麗」の表現が似合う。

短刀 備中國右衛門尉平吉次 Tsuguyoshi Tanto

2017-06-20 | 短刀
短刀 備中國右衛門尉平吉次


短刀 備中國右衛門尉平吉次作嘉暦三年十一月日

 七寸九分五厘、振袖茎、わずかに内反りとなった姿形が良く、引き締まった印象の短刀。地鉄は板目肌が強く現れながらも杢目が交じり地沸が付いてしっとりとした質感がある、極上質。映りも穏やかで変化に富み、これらが働き合って地斑となる。刃文は小足の入る直刃。区下を深く焼き込んでごくごく浅く湾れを交えて上品。焼の深い帽子は先がわずかに掃き掛けて返り、ここも品位が高い。


短刀 藤原清則 Kiyonori Tanto

2017-06-12 | 短刀
短刀 藤原清則


短刀 藤原清則長禄元年二月日

 八寸強の短刀。重宝されてだいぶ身幅が減っているのが姿格好に現れている。地鉄は板目肌が流れ、地沸が付いて映りが立つ。研ぎ減りが影響してか肌立つ傾向にあるが、流れるような映りが立って、むしろ面白い景色となっている。刃文は浅い直刃湾れに吉井派らしい揃った互の目が交じり、所々に湯走りが掛かり、帽子もわずかに乱れて返る。先の太刀と同じ工だ。高い技術を保持している。




短刀 備前國吉井吉則 Yoshinori Tanto

2017-06-07 | 短刀
短刀 備前國吉井吉則


短刀 備前國吉井吉則永享二年二月日

刃長八寸七分、元幅八分強。室町中期の短刀。鎌倉時代後期の長舩景光を想わせる、振袖茎に引き締まった姿が魅力だ。吉井派は、長舩と吉井川を挟んで対岸、即ち隣村に位置する吉井庄に栄えた流派。後に吉則は出雲に活動の場を移している。杢目を交えた板目鍛えの地鉄は良く詰んで微細な地沸で覆われ、濃淡に変化のある映りが明るく現れ、この所々に地景を伴う板目が穏やかに浮かび上がって気の流れを想わせる景色となっている。匂口の締まった焼刃は吉井派の特徴的小豆を並べたような綺麗に揃った構成で、鮮やかに足が入って帽子へと連なり、先は小丸に浅く返る。吉井川周辺の狭い地域に、作刀流派が分かれて活動している。おそらく同じ素材を用いているのであろう。ところが、同時代の長舩物とはずいぶん風合いが異なる。面白いところでもある。




短刀 長舩倫光 Tomomitsu Tanto

2017-06-05 | 短刀
短刀 長舩倫光


短刀 長舩倫光貞治三年

 いかにも南北朝中期の短刀。刀や脇差と同様に身幅が広く重ねが薄く、先反りが付いている。茎が幅広く短いのもこの時代の特徴だ。地鉄は良く詰んだ板目が穏やかな地景によって綺麗に立ち、凄みのある映りが現れ、総体に抑揚がある。この板目肌を蝉の羽根に擬えて蝉肌とも呼んでいる。刃文は浅い湾れに腰の開いた浅い互の目交じり。兼光を見るような出来。相州伝の影響を受けているとは言え、即ち沸出来ではあるが穏やかな出来であり、荒ぶるところがない。


短刀 長舩能光 Yoshimitsu Tanto

2017-06-03 | 短刀
短刀 長舩能光


短刀 長舩能光延徳二年

 能光と銘の斬られた作はあまり見ない。清光の子が祐光銘を再興しようと考えたように、主流である祐光、勝光、清光、祐定などの他に、このような多くの備前刀工がおり、高い技術を保持して主流派の陰の働きを為していたのである。六寸四分、重ね二分。地鉄は板目肌の小板目肌が交じり、地沸が付いて細かな地景が交じる。刃文は浅い湾れ刃。帽子も調子を同じくして丸く返り、長く焼き下がる。焼刃は沸匂が強く明るく、足などの働きは控えめに、わずかに二重刃風の変化が窺える。凄く優れた出来だと思う。

短刀 長舩法光 Norimitsu Tanto

2017-06-02 | 短刀
短刀 長舩法光


短刀 長舩法光永正二年

 六寸強の小ぶりな短刀。いかにも使い勝手が良さそうだ。実用を経て内反り風に身幅が減ってはいるが、本質がいい。だから格好がいい。緻密に詰んだ板目肌に小板目肌が組み合わさってしっとりとした感がある。刃文は互の目乱。ふくら辺りが乱れて先小丸に返り、長く焼き下がる。小沸に匂交じりの焼刃は明るく刃縁は穏やかにほつれる程度。強い乱や沸を付けず華やかさを抑えた、実用の武器だ。

短刀 長舩忠光 Tadamitsu Tanto

2017-06-01 | 短刀
短刀 長舩忠光


短刀 長舩忠光大永三年

 安心してみることができる、忠光の直刃だ。もちろん多少の研ぎ減りはあるが、本来細身で、刃長は七寸強。重ねが二分五厘あるから厚手の鎧通し。杢を交えた板目肌に微細な地沸が付き、映りが立ち、古風だ。刃文が、忠光の得意とする細直刃。破綻なく、無駄を一切捨て去った、鋭利な武器に他ならないがすごく美しい。


短刀 長舩経家 Tsuneie Tanto

2017-05-31 | 短刀
短刀 長舩経家

 
短刀 長舩経家大永二年

 五寸七分、重ねは応じて二分ほど。具足の腰に備えていざという時に用いた得物だ。このような小振りの短刀の方が装備し易い。右手差しとされたのであろう。地鉄は杢目交じりの板目肌。湯走り状の飛焼があり、焼が深いので良く判らないが、映りも立っている。沸の強い焼刃は匂を伴って明るく、互の目、湾れに砂流、沸筋、金線が流れ掛かる。帽子は掃き掛けて長く返る。刃文を見る限り備前物とは感じられない凄みがある。
 話はそれるが、「右手差し」と呼ばれる小型の刃物について。特別な構造ではなく、短刀のことで、普通は左腰に武器を備えるのだが、右手側に備えたことによる呼称だ。武器などはどちらに備えても自由だとも思うが、特に右手差しと呼ばれるほどに特殊であるのは、どうやら我が国の武家の規範にありそうだ。刀は左腰に帯びるもの。そして、通行によって鞘が触れ合わないように左側通行をしていた。と言うのは江戸時代の記録にも残されている、我が国のかなり厳しい規則であった。ただし戦国時代以前は不明。この左腰に帯びて左側通行という点が、剣術家から疑問視されている。斬り合うために相手との間合いを計るには右側通行が適当らしい。たぶんそうだろう。だが、江戸時代に街中で盛んに斬り合いがあるはずもなく、右側有利は道場での対峙の定法であろう。江戸時代の街中では、ドラマや映画ほどに斬り合いはなかったのだ。左利きはどうしたのだろうかというと、もちろん右利きに矯正された。現在、大小揃いの拵で、栗形を設けながら刃を下にして備える、いうなれば腰帯に差して用いた太刀様式の拵がある。頗る面白い資料だ。これを左利きの武士が右腰に差した打刀拵だと考える人もいるだろうが、右腰に帯びては目貫が逆になるからおかしい。もちろん左側に統一された我が国の規範によれば右腰差しはありえない。