「アントニオ猪木展」 ② ~燃える闘魂の奇跡の軌跡
若き日の猪木は日本プロレスの経理が不正であるとして会社改革を企てるが、逆に日本プロレスから追放されてしまう。
それではと新日本プロレスを旗揚げするが興行的には火の車で破滅へまっしぐら。
と思いきや土壇場で不仲と思っていた坂口征二と合流しTV局も付き、何とか踏みとどまった。
仲介者が居たとはいえ、これがひとつめの奇跡。
宿命のライバル、G馬場も日本プロレスから独立し、全日本プロレスを創設。
両団体間にし烈な興行戦争が始まる。
アメリカの名だたるスター選手は殆ど、全日本が独占し、新日本に来るのは2線級ばかり。
そこで、スター選手を自ら創ろうとするなか、タイガー・ジェット・シンやスタン・ハンセンがのし上がっていく。
また、それまで主流だった外国人レスラーではなく、日本人レスラーとの闘いに活路を見いだす。
そして、二つ目の奇跡はプロボクシング世界王者のモハメッド・アリとの対戦を実現させたこと。
もし、全日本が妨害せず、順風満帆にスター選手を呼べていたら、アリ戦はなかったかもしれない。
困難は飛躍のチャンスだ。
ところがアリ戦はルール問題で猪木はがんじがらめとなり、いわゆるアリキックしか使えない試合となる。
だが、たとえ、一般人には面白くなかろうとも世界が酷評しようとも借金を何十億と背負おうとも、この試合が現実に実現しアリを追い詰めたことは紛れもない事実であった。
世間から虐げられていたプロレスというジャンルに再び光を当てた。
更に猪木は全日本プロレス=G馬場にはないストロングスタイルのプロレスを打ち出す。
時にはシューターの本領を発揮して、パキスタンでは地元の英雄を再起不能にまで追い込む。
ベルトには固執しないのが猪木流。
それでも、ファンにとってはそれぞれのベルトが懐かしい。
IWGPベルト、ワールドマーシャルアーツ、WWFベルト、NWFベルト。
三つ目の奇跡は国会議員として、イラク戦争勃発直前に現地に出向き、日本人人質を連れ帰ったこと。
これほどの奇跡が忘れ去られようとしている日本の不思議。
猪木をわかる人とわからぬ人に世の中は分断されると思っている。
猪木はある意味、何かを分別するリトマス試験紙のようなもの。
それが何なのか、猪木を探す旅はこれからも続く。
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