フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

会話をするということ

2020年02月29日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記
僕は、それほど話すのが下手ではない。しかし、話すより聞くほうが好きだ。
なぜだろうと、考えてみる。
僕の場合、人に自分を知ってほしいというより、その人を知りたいという気持ちが強いのだと思う。
話を聞いていると、人にはそれぞれの悲しみがあり、それぞれの嬉しさがある。
自分とは違うなぁと思うときもあれば、そうだなと共感することもある。
その感情の流れを知ることで、その人の心を深く知ることができる。
そして、会話は自分の意図しない意外な展開になることがある。
普通の天気の話くらいで終わるつもりだったのに、深い話になることがある。
例えば、こういう事があった。
具体的なことは言えないが、普通の会話をしていたのに、突然、奥さんに離婚してほしいと言われたが、そうしたほうがいいのか迷ってるという相談を受けた。
僕はそのディープな話をビビりなから聞いていが、彼が助言を求めているようだったので、めずらしく自分の考えを言った。
彼は奥さんをまだ愛していた。僕は、好きならはっきりそのことを言葉に出していうべきだ、と言った。でも、言えないんだよね、男は。
それで、とにかく会話して、彼女の話を聞いて、問題を明確にしたほうがいいと言った。まだ、離婚していないようだから、うまくやったのかもしれない。

また、話をしていて、おもわず笑ってしまうような人は、ぜったい、手放したくない。
向こうは笑わせるつもりはなくても、意表をついた言葉が、面白い。
そういう人と出会うと、この人とは相性がいいなと思う。

僕が、人の話をよく聞きたいのは、自分のことを知ってもらって愛されたいということよりも、人を深く愛したいという気持ちが強いのかもしれない。





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