フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

僕の文章の書き方 父の死

2020年02月21日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

昔、僕がブログを書いていたときと違って、最近のgooブログは、進化がすごいなぁという印象です。
SNS的な要素を取り入れていて、ブロガー同士がつながり、けっこう楽しい空間になっている。
ただ、それはそれとして、僕がブログを再開することになったのは、ちょっとした理由があります。
僕の文章を読みたいという人がいたからです。じゃあ、ちょっと書いてみるかと思ったわけです。
それと、一日一回は必ず文章を書くということを、自分自身に課してみようと思いました。まあ、筋トレみたいなものです。
だから、時代に逆行するような試みですが、できるだけ写真は使わず、テキストだけでブログを書いてみるつもりです。
例外的に、山とか行ったときは写真を入れるつもりですが。

そこで、今日のテーマ、僕の文章の書き方について、すこしだけ説明したいと思います。
僕は、感情が流れないとうまく文章が書けません。
感情の流れとは、気持ちの動きですね。簡単にいえば、嬉しい、悲しい、寂しい、ムカついた、とかです。
それで、ネガティブな感情は書きません。とくに怒りです。
怒りは強い感情で、よく記憶に残ります。だから、書く気になったら簡単に書ける。しかし、書きません。
なぜなら、怒りは伝染しやすいからです。コロナウイルスみたいなものです。
だから、できるだけポジティブな感情を選んで書くことにしています。例外的に悲しいことは書きますが。
それで、今日でもいいし、過去のことでもいいから、ポジティブな感情の動きがなかったか、自分自身の心に聞いてみる。
それで、感情の動きを見つけたら、具体的にその場面を描写してみる。
ここで重要なのが、自分の内面で思ったことを書くのではなく、実際にあった出来事を書くことです。つまり、事実の描写です。
例えば、悲しかったと書いても、相手にどう悲しかったのか伝わりません。
感情を伝えるには、「悲しい」とは書かずに、できるだけその時の出来事を具体的に描写していくのです。


僕が小学校三年生のときだった。
二時間目が終わったくらいに、学校のスピーカーで、至急職員室に来るように放送があった。職員室にいくとお父さんが倒れたから、家に帰りなさいと言われた。
母はガンで入院していた。先生に帰りなさいと言われたとき、お父さんも病気になったのかなと、不安がよぎったのを覚えている。
家に帰ると、玄関には見たこともないような靴が並べてあった。家の中には、親戚がたくさんいた。
お父さんは仰向けになって、布団に寝ていた。みんながその周りを囲み、泣いていた。
僕はそのとき何が起こっているのか、正確には理解していなかった。
ただ、その光景を突っ立って、呆然と見ていた。
お父さんの姉が、お父さんの顔を丁寧に拭いていた。叔母さんは普段はすごく明るくてニコニコしている。冗談を言って、僕を笑わせてくれる。
しかし、お父さんの顔を拭いている叔母さんは、見たこともないくらい怖い顔をしていた。
そして、僕の方をチラッと見た。
その瞬間、何かがプチンと切れたように、突然、お父さんの胸に顔をうずめ、体を震わせ、嗚咽した。そして、次第に泣き声が大きくなっていった。僕はあんなに激しく泣く人をそのときはじめて見た。
叔母さんが、もみくちゃになった顔をあげて、僕の方にやってきた。顔は涙でビショビショに濡れていた。叔母さんが、ギューッと僕を抱きしめた。痛いくらいの抱擁だった。
そして、僕の耳元で、一生懸命、何かを言っていた。泣き声と混じったその声は、何を言っているのか分からなかった。
しかし、僕は叔母さんの小刻みに揺れる体の震えを感じながら、そのときはじめて、お父さんは死んだんだな、と思った。

コメント (2)
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