フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

what思考は仏教思考で、why思考は妄想だ

2020年06月15日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

昨日、5W1Hの話をしました。もうすこし掘り下げてみましょう。

why以外の「what,when,where,who,how」の単語は、空間や時間を点でとらえます。

これ何?「猫」 いつにする?「明日」 どこでやる?「居酒屋」 誰がやる?「俺」、みたいな感じです。

これに対して、whyは、時間の流れでの論理的な関係を示します。

なぜ傘を持ってるの?「家を出るとき、雨が降ってたから」(過去)

なぜ傘を持ってきたの?「天気予報が雨降るって言ってたから」(未来)

傘を持ってることと雨の関係を示しています。


ここで、why以外を、what思考と呼びましょう。

そして、whyを、why思考と呼びます。

what思考は、状況を把握する考え方です。

これに対して、why思考は過去と未来の橋渡しをする考え方です。

前のブロクに書いた「目的を意識すること。なぜ、これをするのか?」は、why思考の応用です。

why思考については、たくさんの書籍が出ています。

あえて、僕が詳しく解説する必要もないので、省略します。

だから、今日はちょっと変わった視点から、この「what思考」と「why思考」を検討してみます。

「what思考は仏教思考で、why思考は妄想だ」というのが今日のテーマです。

why思考は、創造性を育て、様々なイノベーションに役立つ思考であることは、周知のことです。

しかし、一方で、非常に問題点を抱えている思考でもあります。

というのも、僕たちがネガティブな考え方をするときって、どういう時でしょうか?

たとえば、彼女と口喧嘩したときのことを考えましょう。

「彼女に太ったねって言ってしまった。なぜ、あんなこと言ってしまったんだろう?」

こんな感じで、口喧嘩の原因をずーっと考えていますよね。

「なぜ?」の問いは、ネガティブな妄想を誘発します。

しかし、1人で考えても、本当の原因は分かりません。

彼女が怒ったのは、「太った」の言葉ではなく、楽しみにしていたケーキを勝手に食べられたことだったとします。

それで、自分はそのことを悪いと思っていなかったとします。

とすると、1人で妄想だけしても、あんまり意味はなく、問題の解決になりません。

問題解決をするには、妄想ではなく、きちんと話し合うことが大事です。

闇雲になぜ?なぜ?なぜ?と自分に問いかけたくなったときは、what思考に切り替えましょう。

what思考は、「今ここで何をしている」というリアルな現実的思考です。

仏教の「現実の今」を重視する考え方です。

頭が時空を超えて妄想しているとき、それを現実の世界に引き戻す働きがあります。

「なぜ、そういうことをしてしまったんだ」と妄想しているとき、「今、私はここで何をしている?」と現実の身体に意識を向けましょう。

具体的には、自分の呼吸や体の状態に、意識を向けます。身体のスキャニングをするわけです。

現実の自分自身に、向き合うことで、妄想から離れることができます。

妄想で、夜、眠れないときに、試してみてくださいね。

ただ、最後に付け加えると、why思考をする人は、頭のいい人です。

頭のいい人ほど妄想します。妄想は、想像力→創造力ですから。

問題は、その使い方なんです。うまく使いましょう。

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