「NIEが日本で提唱されたのは1985年に静岡で開催された新聞大会」こんな台詞が今まで何回となく繰り返され、様々な立場の人がNIEを広めようと努力してきました。30年もの歴史があることになります。NIEの誕生以降、教育界では「総合的学習の時間」が生まれ、小学校で英語教育が行われるようになりました。いずれも教師だけでなく、子どもも保護者も、社会全体にその存在は当然のものとして受け入れられています。その一方で、NIEは知らない人の方が多いのが現状です。
広まりが生まれないのはなぜでしょうか。教師の立場から3点思い当たることがあります。
1つ目は、NIEの実践者を含めて教育実践のためにNIEが不可欠で継続的に取り組むべきものになっていないことです。新聞を使った授業を行うと紙面に載ることがゴールになったり、普段の実践とは違う特別なものとしてNIEの実践を行ったりしていては、いつまでたってもNIEは広まりません。どの教師も子どもも取り組むものにするためには、どの教師も日々の授業で何度も取り組むことが大前提になります。
2つ目は、実践者の構えです。「子どもたちが全員新聞を取っていないから無理」「新聞を無償提供してくれれば」という声は過去のものにしましょう。こうした声はNIEをこれから取り組もうとする教師からではなく、実践者からの方が聞かれます。新聞に限らず、全ての環境が整っている中で教育を行うこと自体が現実にはありえないことです。NIEの世界に触れていなくても、新聞記事を活用している教師は数多くいます。NIEに魅力を感じて取り組む実践者だからこそ、与えられた環境の中で着実に実践し、それまでNIEを知らなかった人々にその魅力を広めていきたいものです。
3つ目は、必然性です。どのようなことでもやればそれぞれにいいことはあるのが教育の世界ですが、全てを受け入れることは不可能です。既に学校教育で取り組んでいることでも指導内容や方法は日々変化しています。社会教育の世界から学校で取り上げて欲しいと要請があるものは数知れません。様々な制約のある中で「やってみるといいことがありそう」というレベルでは取り組まれないのが現実です。
正月を迎えるにあたり、微力ではありますが、今年こそNIEを根付かせるために、日々努力したいと思います。そのためのキーワードは、以下の通りです。皆様のご指導ご鞭撻のほどお願いします。
・NIEを実践者だけのものにせず、子どもや保護者に発信する。
・NIEに出会ったいない人々にその魅力を発信する。
・NIEを学ぶことの必然性を明らかにする。
2015年1月1日
広まりが生まれないのはなぜでしょうか。教師の立場から3点思い当たることがあります。
1つ目は、NIEの実践者を含めて教育実践のためにNIEが不可欠で継続的に取り組むべきものになっていないことです。新聞を使った授業を行うと紙面に載ることがゴールになったり、普段の実践とは違う特別なものとしてNIEの実践を行ったりしていては、いつまでたってもNIEは広まりません。どの教師も子どもも取り組むものにするためには、どの教師も日々の授業で何度も取り組むことが大前提になります。
2つ目は、実践者の構えです。「子どもたちが全員新聞を取っていないから無理」「新聞を無償提供してくれれば」という声は過去のものにしましょう。こうした声はNIEをこれから取り組もうとする教師からではなく、実践者からの方が聞かれます。新聞に限らず、全ての環境が整っている中で教育を行うこと自体が現実にはありえないことです。NIEの世界に触れていなくても、新聞記事を活用している教師は数多くいます。NIEに魅力を感じて取り組む実践者だからこそ、与えられた環境の中で着実に実践し、それまでNIEを知らなかった人々にその魅力を広めていきたいものです。
3つ目は、必然性です。どのようなことでもやればそれぞれにいいことはあるのが教育の世界ですが、全てを受け入れることは不可能です。既に学校教育で取り組んでいることでも指導内容や方法は日々変化しています。社会教育の世界から学校で取り上げて欲しいと要請があるものは数知れません。様々な制約のある中で「やってみるといいことがありそう」というレベルでは取り組まれないのが現実です。
正月を迎えるにあたり、微力ではありますが、今年こそNIEを根付かせるために、日々努力したいと思います。そのためのキーワードは、以下の通りです。皆様のご指導ご鞭撻のほどお願いします。
・NIEを実践者だけのものにせず、子どもや保護者に発信する。
・NIEに出会ったいない人々にその魅力を発信する。
・NIEを学ぶことの必然性を明らかにする。
2015年1月1日