思考の踏み込み

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前田智徳22

2014-08-18 06:13:56 | 
前田智徳は天才か?


その答えはすでに出ている。
世間一般でいうところの範疇において、前田智徳は間違いなく "天才" であろう。




すでに述べた選球眼、集中力に加えて、高い身体能力。
それが生み出す精密なバットコントロール。そして時間の圧縮を可能にするムダのない身体技法と、それを飽く事のない鍛錬でより洗練させていった "身体運動" における速度。

野球という競技における、打者という職業において、前田智徳は必要とされる全てを有している。

それはやはり "天才" だろう。
前田自身も語っている。

" これまで努力した事はない。普通通りの事をやっていただけ。コーチから新しい事を教わっても、すぐ出来た。神様から与えられた素質、天性だけで野球をやっていた。それが怪我で全て崩れ、訳が分からなくなってしまったー 。"




私は性格がひねくれているので、天才と呼ばれる人々を素直には評価できない。
天才と呼ばれた者たちが、その天才性によって現出してみせる "内容" は素直に素晴らしいと認めるが、だからといってその者たちを即人間として尊敬や憧れの対象にする事はない。


天才の本質とは何かー ?


それは天才性を付与されただけの凡人に過ぎない。

それはどういうことか。

凡人には天才達の "内容" をはかり知ることは普通困難である。
だがしかし、天才達でさえ自己に付与され、所有している天才性について解析し、説明できる者はほとんどいない。

その意味で天才も凡人も差はない。
私はそう考える。

ただ所有と非所有の違いがあるだけである。

真の天才ならば、自己が所有している天才性をどうしたら維持できて、なおかつどうすれば他者にも伝えられるか、全て識っていなければならない。

本来、天才達が住んでいる場所はどのジャンルであれ、感覚の世界であって言語化することが困難な世界である。



それをあえて言語化し、本質をとらまえて、普遍化する。
そこまでの作業をする事ができる人がいたら、その人物こそ "真の天才" だと言えると私は思う。

だがそういう人物は今だかつて私はD先生の師、N先生以外に知らない。

この観点からいけば、前田ですらただの "付与されただけの凡人" に過ぎない。

なぜなら前田が真に天才ならばケガをしたとしても再び元の "付与された状態" を再構築できなければならないからだ。もちろんそれは普通困難な事であるし、これは一般論ではない。
あくまで個人的意見である。



(私が前田智徳の "天才性" に関して魅力を感じるのは従って一般的なモノとは少し異なる。
前田が素晴らしいのは何よりもその "所有" しているという事に対する驕りが皆無なことである。



普通天才達は誰もが所有していることから来る "驕り" がある。それはその天才性が発揮する "内容" によって相殺されて世間は目をつぶるものだが、前田智徳ばかりは奢るどころか、より高みを追求する事に必死で "非所有" の凡人よりも遥かに謙虚で可憐な努力を積み重ね続けたのである。前田智徳の魅力はそこに尽きる。)