思考の踏み込み

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前田智徳27

2014-08-23 00:17:12 | 
プロのアスリートは戦国武将なんかよりも過酷な日程で、ケガをしない事などムリだ、などとは言うなかれ。

実際、ケガの少ない選手はいくらでもいる。

この点でやはり、イチローは見事であるのは彼がケガをしないところにある。

(イチローはたしか走攻守において走塁が一番難しいと、以前に言っていた。)


彼は50歳まで現役でいたいと語っていたが、下手をすると本気でそのつもりでいる可能性がある。

そして彼は、かつて憧れた前田智徳という男の辿った道を自身への警告として最大限に留意しているのではないか。

前田がいなければイチローもとっくに大怪我をしていたかもしれない。

その為に彼は独自のトレーニングを、入念に行う。それは自己の身体に合っている内容を突き詰めたものだあるはずだ。
そして何より彼は余分なウェイトトレーニングをしない。
器具によるウェイトトレーニングがいかに身体バランスを崩し、ケガを誘発しやすいかをイチローはよく知っている。


(もちろんイチローも器具を使うが、それは初動負荷運動という独特な理論に基づいた専用の器具であるらしい。)


観た目の筋肉だけをつけて肉体改造と称し、自己のナルシズムだけを満足させてあっというまにケガをする。
そういう者たちとはイチローは住んでいる場所が違う。

だがこうした事はこれからようやく浸透していく内容のことであろうとも思うから、これまでの選手達がおろそかにしてきた事はいたしかたない。

その意味でも前田の大怪我はやむをえない部分が多いが、やはり残念で仕方が無い。

なぜならそれは回避できる可能性がある性質のものであったからだ。
彼がもっと身体に対する意識を向けられる知識があるか、もしくは周囲にそういう人物がいれば彼のケガは未然に防げたはずである。


そうすれば我々はもっと前田智徳という天才がどこまで "高み" へと登りつめるのか、見届けるという楽しみを続けられたかもしれない。
全盛期の時代がわずか数年であったというのはなんとも惜しい。





だがそれも過ぎた話である。


前田智徳は死んだ、とはあくまで本人の語るところでしかない。

我々ファンにとって前田は死んでなどいない。
彼は以上の様な ー 潜在的な運命を抱えながら、一歩もそこから逃げずに闘い続けた。

…もっと楽をしても良かった。
そこまで突き詰めることをしなければ、大けがもなかったかもしれない。

他のプロの選手も皆必死でやっているが、適当な所で妥協し、自己を許し、ごまかしながらやるものである。

だが前田智徳にはそれができなかった。それこそが前田が前田たる所以であるし、私が前田ファンである理由でもある。
だから前田が天才かどうか、などは私にとっては大した問題ではない。
前田智徳の魅力は前途したようにその生き様にある。





ー その "生き様" は我々前田ファンにとっては彼が引退した今もなお目に焼き付いていて消えはしない。

だから前田は死んでなどいないし、これからも死にはしない。我々ファンの記憶の中で生き続けるだろう。