思考の踏み込み

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前田智徳11

2014-08-07 06:46:26 | 
さてー ここで核兵器について論じるつもりなどさらさらない。

だが、広島東洋カープというチームは、その核兵器による人類史上最初の犠牲となった場所で ー 命がけで生き延び、必死で復興しようと闘った人々の願いから生まれた球団であるという事を知らなければ、カープとはどういう集団なのかを知る事にはならない。

当時は草木も50年は生えないー 、そう言われた絶望の中で広島市民は終戦を迎えたのである。




だが彼らはたくましかった。

放射能という未知の危険も顧みず、その故郷を捨てる事なく、踏みとどまって闘った。

そんな広島市民が、"復興の旗印" として求め、希望の灯火として望んだのが広島カープなのである。

もともと野球が盛んな土地であった。
現在でも広島出身のプロ野球選手は多い。

「廃墟の街に球団を作ろうー。」

人々の思いは熱気を帯び、設立運動は徐々にひろがり、ついに1950年、市民の願いは形となる。

広島城が "鯉城" という雅称を持つ事にあやかって、その球団名は "カープ" と名付けられた。

鯉は滝を這い上がり、やがて龍となるといわれるー 。




廃墟の街で生きる人々にはそんなイメージも託されていたことだろう。

広島市民達は当時、"カープ" という言葉を聞くだけで熱くなり、その話題は熱気に包まれたといわれる。

私は、広島カープが好きという ー ただそれだけの理由で、知り合いの一人もいない広島にふらりと行って4年ほどくらした過去があるが、当時でさえ、広島県民にとってカープは特別な存在であった。

まだ気の荒い、"仁義なきー" の登場人物そのままの様な人間がたくさんいた頃の広島で、例えば巨人軍の帽子をかぶって街を歩こうものなら、ただそれだけで目をつけてケンカをふっかける、広島にはそういう愛すべき土地柄がある。


まして戦争が終わったばかりの混乱期、人々の気はすさんでいた。
そんな頃、カープという球団がどれほどの熱気と共に生まれたか、想像する事はそれほど難しくない。




原爆の罪悪性について語ったが、そんな事を声高に言う広島県民にはあまり出くわさなかった。

彼らは過去は過去として割り切り、明るく逞しく、前に進む事しか考えていない。

どこかの国がいつまでも過去を持ち出し、誇大化し歪曲し、自国民に負の遺産を教育によって刷り込み、捻じ曲がった歴史観と卑屈な民族意識しか与えていない事と比べると、まったくもって見事な人達だと思う。

私が広島カープが好きになっていった理由はこういう所にある。

驚くべきことは、世界の弱小国、特に大国の近くでいつも泣き寝入りを強いられている様な国に広島カープファンがいるということであろう。

彼らにとってカープとは何かなどわかりはしない。野球すらよく知らないだろう。

だが、アメリカという超大国と果敢に戦い、コテンパンに打ちのめされてもなお這い上がった日本人、そして広島市民と広島カープ。
それは彼らにとって生きる勇気をくれるシンボルであるらしい。




日本で唯一の市民球団、広島東洋カープとはそういう球団である。
何よりも嬉しい事はその頃の性格を、組織としてこんにちなお、失っていない点であろう。


前田智徳10

2014-08-07 06:18:04 | 
そもそも何故広島カープだけが市民球団なのか?

このことを考えたことのあるプロ野球ファンがどれほどいるだろうか ー 。

それはあの "悲劇" の話をしなければわからない。




1945年8月6日、広島への原爆の投下である。

この事について、ここで書く事は主題を変えなければ収まりきらないほどのテーマとなってしまうから最低限にとどめざるを得ないが ー 、ハッキリと言っておかねばならない事は、米軍、いや米国によるこの行為は人類が生きていく限りにおいて、けして消える事のない "罪" であるということだ。

よく言われる事は原爆を投下した事によって米兵数百万の命がムダに消耗される事を防げた。
原爆が戦争を終わらせた ー というモノである。
だから、投下の下手人となったパイロットは今だにあの国では "英雄" である。

ところが、事実はまったく異なる。

アメリカは当時、日本が既に講和を模索していたことをしっており、天皇の地位さえ保証すればすぐにでも戦争をやめる用意があることをわかっていた。そして実際日本が戦争をやめる決断をしたのは原爆ではなく、ソビエトの対日参戦によってである。

はじめからトルーマンは米兵数百万を犠牲にするつもりなどなかったのだ。

ではなぜ原爆を落としたのか?

しかも広島と長崎、二つの爆弾は種類の異なるモノだった。

試したのである。
実験だったのだ。

実験でなければ、使い分ける理由などはない。広島型は十分に "成功" を納めたのだから。




その狙いは全て戦後の主導権争いで、ソ連よりも優位にたつ為という、それだけの為に ー 彼らは悲人道的な行為に踏み切り、悪魔に魂を売ったのである。

その証拠に、治療と称して現地入りした進駐軍の軍医達は被爆者の身体を切り刻み、あるいは本国に連れ帰り、"命" を冒涜しきった挙句、腹のくちた肉食獣の様に食い散らかしだけを残して、去った。

当時の "治療" を受けた被爆者は語る。

ー 私たちは実験体でしかなかった。
治療などしてもらってはいない。
最後は骨も返してくれなかった。


… もちろん、戦争じたいが非人道的行為であるから、彼らの非ばかりを責め立てるわけにもいくまい。

日本人も他国にずいぶん軍事的に圧力をかけたし、抜き難い恨みを買ったりもしている。
また、敗戦国とはそれほどに惨めなモノなんだ、と言われればそれまでかもしれない。

だが ー 原爆という兵器の内容は人間が人間に対して行える範囲をあまりにも逸脱している。




やはりそれは明確に "罪" であったと、そろそろ人類は共通の認識としなければならない。

そこからはじめなければ、世界の非核化などは狂人の妄言よりも現実味がない。