思考の踏み込み

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前田智徳28

2014-08-24 00:08:35 | 
ー 今も、目を閉じれば浮かんでくるのは、前田が打席に入り、バットを構える。手首を効かせて軽くバットを前に出す。

そのあと ー 必ず芯の辺りを見つめ何かを想う、その仕草である。



それはまさに剣士が青眼に構える姿のようでもあり、サムライ前田のイメージを形作る上で象徴的な所作でもある。

以前から不思議だったことは、幕末明治期、日本に入ってきた外国人といえばほとんどが欧州圏の人々であったのに、なぜ日本にはサッカーではなく、野球の方が先に根付いたのか、という点である。

強引に開国させたくせに、アメリカ人は南北戦争がはじまって忙しかったから、日本には遅れて入ってきている。

野球が徐々に拡まっていったのは明治半ばからであるが、その少し前に施行された新政府の政策に "廃刀令" がある。

このことと、野球というスポーツにおけるバットを持って構えるという姿に何か関連性がある様な気がするのは私だけだろうか?

(気がするだけで、なんの論理的な根拠もない。いや論理的根拠を無理やりに提示できなくもないが、それには身体の "記憶" とか民族にしみついた "文化" の話を展開しなければならないので紙数がないため割愛する。)

明治23年の正岡子規。子規は武家の出身。幼名処之助、名は常規。


つまり明治の男たちは剣をバットに持ち替えるというイメージでもって野球をやり始めたー 、仮にそういう見方をしてみると前田の理解がしやすい。

ベースボールとはチーム競技であるが、明治人がやり出した "野球" は明らかに投手対打者という、個人の勝負に醍醐味を持たせたモノであった様に思う。

だとすれば、前田智徳の様な男のプレースタイルの方が "正統な" 日本の野球人の姿であると言えなくもない。


例えば杉下茂対榎本喜八。
(杉下は榎本を打ち取るためだけにフォークボールを会得した。)

長嶋対村山実。江夏と王。江川対掛布。野茂英雄対清原和博。松坂大輔とイチロー…。




幾多の名勝負がかつては繰り広げられていたが、昨今の野球界でこういう "対決" というのはあまり聞かない。

チーム史上主義を優先させる事は、ベースボールがチーム競技である以上は間違っていない。

だが、明治人以降 ー 日本人が面白がってやってきた "野球" は必ずしもベースボールではなかったとするならば、チームプレイばかり叩き込まれて選手が矮小化していく一方である事は、野球人気の低迷と関連性はないのだうか。
(ベースボールとしてのレベルは明確に上がっている。それはWAC二連覇によって証明されている、のだが…。)



余談だが、ベースボールとしての魅力の核は実は守備にあるのではないかと私は思っている。
名手の鮮やかなグラブ捌きと身体運動はベースボールの華である。

しかしかつて日本でその事を意識して行い、魅せる守備を体現していた選手は長嶋茂雄をおいて他にいない。