思考の踏み込み

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前田智徳23

2014-08-19 06:09:21 | 
前田は天才じゃない。ひたすらに努力していた ー と言うが、努力なんて誰でもしている。
まして才能に恵まれない者たちが行う努力は、付与されていた者たちが行う努力よりも遥かに苦しいし、辛い。

初めからある程度付与された者たちには努力する事は楽しいだろう。

凡人達はなかなかこの、楽しいという所までいけない。
こうして努力の量に差が生まれ、能力における格差はより広がる。




我々凡人達は永久にこの格差をどうしようもないモノとして諦め、天才達の所業をただ "観て" 賞賛し、楽しみ、羨む側に居るしかないのだろうか ー 。

この辺りの事については「ブッダ」で長々と書いたのでここでは省略するが、以上の意味で言えば "努力出来ることは才能である。" という言葉は正しい。

だが "努力は人を裏切らない" という言葉の方は、実は怠慢の表れであることになかなか気付く者は少ない。

ただ量による努力だけを積み重ねて、何故これほど努力してるのに報われないのかー、なんて言うのは怠慢だというのである。

"質" を研究しないでやみくもに努力するだけなら誰でもできるからだ。

従って天才などいない、天才ほど努力している ー なんていうのは無能な指導者が自己の無能さを隠す為の精神論であるケースが多く、より効率的な努力の方法を血みどろになって考えなくて済む為の隠れ蓑でさえある。

実際天才と呼ばれる人達は、この "質" を余り気にしなくても努力の方向性が始めから、最短ルートを通っていただけというケースが多い。



たまたま結果に結びつきやすかったというだけのことだ。

それは "センスが良い" とか、"天職" とかいって表現されるが、偶然性の高いモノでもある。

本当の天才ならば、まったくセンスがないところからスタートしても、その最短ルートがどこにあるか見つけて能力を高めていけるハズではないだろうか?



たがその為に必要とされることは、各個人の身体の個性を、高いレベルで知るところから始めなければならない。


例えば自分の重心は何時もどちらに偏るのか、身体バランスの移動の方向性が得意なのはどの角度か?

上か、左右か、前後なのか、捻じる方向かー。

それによって右打席がよいか、左打席がよいかも変わる。

または動きの悪い場所はどこか、自由に動かない身体の弱点となる部位はどこか。それらの調子の波はどの程度のサイクルで高低を繰り返すのか…。


こうした事はあらゆるプロスポーツの選手であっても、はっきり言えば閑却されてきた範疇の事である

(ちなみに、異様に知能指数が高いという頭脳に限った天才達は、ある種の身体異常ではないかと思っている。物理学者などに識字障害の者が多い事は割と知られている。それは身体表現において天才性を表す者たちとは、別の性質の天才性と考えてここでは進める。)