思考の踏み込み

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前田智徳6

2014-08-03 01:01:17 | 
人は普通誰もが周りに嫌われたくはないし、変な目で観られたくもないと思うものだ。

だからこそ、"常識" などという正体不明な概念も成り立つし、みなそれなりに "常識的な" 人間として大人になっていき社会に帰属してゆく。




それはごく正常な感覚だが、つまらないといえばつまらない。

常識的な人、と言えば聞こえはいいが面白くもおかしくもない人間というケースが多いのはいかんともしがたい。

だから私は、何だか "変な" 人間というのが大好きである。
まして、何か一つの事を突き詰めて、その追求を優先させる余り、その結果として世間で "変人" 扱いされてしまう様な人間がたまらなく好きであるし、自分自身もまたそう在りたいと意識した頃さえあった。

社会が熟成してくるとこういう人間は生まれにくくなるものだし、生きにくくなるものである。




この意味で前田智徳という男には現代社会はずいぶん生きづらい時代ではなかったかと思うが、私にとってはその存在と生き様は心の支えでさえあった時期もある。

高校時代から、前田は例えば練習中ですら納得のいくバッティングが出来ないとスパイクで土を蹴り上げ、頭を抱えてしゃがみ込む様な事がしばしばであった。
時には周囲に当たり散らす事さえあっという。

それはプロに入ってからも変わらず、バッティングピッチャーが怖くて投げられない程であり、その事をコーチに怒られたりもしている。


(ちなみに前田の打撃練習ほど観ていて面白いモノはない、と現役当時言われた。一分の隙もなく完璧に打ち返すその姿は "芸術" でさえあるといって良かった。
前田自身はけして納得していない内容であっても、周囲からはそれほどのレベルに観えたのである。実際プロの、それも相手チームの選手達が練習の手を止めてまで見入ってしまう程であった。)




こうした近寄り難い人間はしかし、昔はずいぶんといたものである。

特に職人の世界や、自分の腕一本で生きている男達は、とても友達にはなりたくないという様な、扱いにくい性格の連中ばかりだった。

こういう男達を許容できる社会がいいのか、排斥する社会が良いのか、現代の日本人はもう一度考えてみるコトをしてみてもいいのではないだろうか。

特に女性達が ー こういう変な男どもの魅力を見てやらずに、ヘラヘラしてペチャクチャお喋りすることだけが得意な、男だか女だかわからない様な手合いを選んでばかりいると日本人の男の質は下がる一方である。

それは結局現代女性達が "いい男がいない" といって嘆く原因になっている。

やはり男は女性に育てて貰うものである。どうか世の女性達には "変な" 男達の魅力を見つけてやって、育ててあげるくらいの優しさを持って頂きたいと思う。