思考の踏み込み

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ルーツ5

2013-12-07 16:14:06 | 
ホツマについて詳しくここで展開するつもりはないが、なぜホツマが学会の中央に出て来ないのか?

偽書説は自分も可能性として無くはないと思うがそれよりも、天照大神男神説が説かれているからだと思う。

当時のどういう政治状況が天照女神説にしなければならなかったのかはわからない。
この辺りになるといわゆるアンタッチャブルな問題を孕んでくるので、心ある学者の方々に節度ある態度で研究を進めて頂きたいものである。

(東アジア初の女性君主、推古天皇を皮切りに、歴代女性天皇のほとんどが記紀編纂時期に集中している。我々はこの事実をどうみるべきかー。)


ともかく「記紀」をいくら読んでもわからないことが「ホツマ」には書いてある。
そして日本語の一音一音が"神"として
ホツマでは扱われている。
音が独立している所以であろう。

そして天と地、すなわち"ア" と"ワ" の2音の間に46音があり、これを染色体の数と関連させる見方もある。


日本語成立の初期において明確にそれを行った集団がいたのではないか ーと前途したが、あくまでも想像だが、
この人々こそ天皇家の皇祖の一団ではないかと考えている。

ホツマには明確にそのことが書いてある。


" 言葉を直すアワ歌を 常に教えて
アカハナマ イキヒニミウク フヌム
エケ ヘネメオコソノ モトロソヨ
ヲテレセヱツル スユンチリ シヰ
タラサヤワ ー "

ホツマ第一紋に和歌の1番初めの歌として載っている。
注目すべきは "ア" で始まり "ワ" で終わっているところ、そして「いろは歌」などよりはるかに覚えやすいという不思議さである。




意味は全くわからない。
しかし、イザナギ、イザナミ両神が言葉と社会の乱れた民にこの歌でもって教えてまわり世を整えたという。

これらが事実だとするとこれは"神話"ではなく、"歴史"になる。

日本人がそのアイディンティティについて曖昧である原因のもう一つに、その歴史が古すぎるため、民族としての成立がおとぎ話か神話でしか知られていない、という事がいえるが、これらが意外にも言語学の研究という面から解消されるかもしれない。



ルーツ4

2013-12-07 15:18:18 | 
日本人が自意識について曖昧なのは大化の改新以来、変わらないことではないだろうか。

「無事故で起こそう大化の改新」
なんて程度の認識しか我々は持っていないが、無事故どころか、大化の改新とは強烈な革命であったであろうことを考えねばならない。




なぜなら、この"革命"で多くの書物、記録の類は焼かれるか、書き換えられたと見られるからだ。

「神代は文字も定まらずー」などとあるが、これほど記録好き、歌好きの民族にそれはあり得ないだろう。

当時のやんごとなき政治的な諸事情でこの革命の裏側は行われたのだろうが、ともかく古事記、日本書紀のいわゆる「記紀」はその辺の事情を歪めて伝え、日本人のルーツを神話の霞の中へ追いやった。

第二次世界大戦後、松本善之助氏によって発見された 「ホツマツタヱ」という文献は、その意味でも注目すべき価値があるといえるのではないか?
それが敗戦後に世に出たということも偶然ではないかもしれない。




すくなくとも、「ホツマ」を偽書や作り物だと一蹴してしまうことはやや早計ではないだろうか。

あれほどの精緻な内容を持つものが果たして本当にニセモノだろうか?
むしろホツマを読めば「記紀」こそホツマの伝承の拾い集めであるのではないかと思う。

ルーツ3

2013-12-07 14:46:30 | 
特に興味深いのは、日本語を構成する48音 (今は50でも75でもどちらでもよい) の一つ一つの音がなぜこれほどに、整然と独立しているのか、ということであろう。

調べてゆけば答えは出ると思うがそれは学者の方々にお任せする。

個人的な想像をいうと、おそらく日本語の成立における根本にして原初の段階で、すでにある種の思想が「音」に関して存在し、それを整理し、体系化するという"行為"が行われていたのではないだろうか?

フトマニ図。



そう想像してしまうほど、世界的にみてもこれほど一音づつが独立している言語など存在しない。

(日本人は英語がヘタだと言われ続けて何十年たつことか。
それは母国語の発音が強固な証である。ヘタで当然、今後も日本語そのものを捨てない限り、器用で耳の良い者以外はうまくなることはないだろう)


仮にこの想像とは違う仮説を立てても、日本語 (大和言葉) を成立させた存在と仕組みを追ってゆけば、それがいつどこで行われて、どれほどの文明性を持っている人々であったのか、そこにはどういう宗教性を備えていたのかまで見えてくるのではないかと思う。



ひいては日本人のルーツ、日本人はどこからきたのかということも見えてくるかもしれない。

グローバリズムという、多くの人々にとって何の必要性もない現象が進められている現代社会においては何よりも大事なことは、アイディンティティの保持だが、この点は日本人はなんだかんだいっても島国単一民族、海外生活の経験のある者でなければやはり曖昧である。


ルーツ2

2013-12-07 14:29:24 | 
気が枯れるで汚れ、という一つの文が単語化されてゆくことは、断定はできないが、日本語にあっては自然なことといえよう。

現代でも ウザいとかキモいなど感情が露わに出た言葉などでその原理はみてとれる。

やや本質からはそれるが、濁音や撥音などは日本語がこうした結合から成り立つ以上、発音する際に言いやすくするために生まれたものであると考えれば、明治以前における清音表記というのは正しいことであったのだろうと思う。

ただ真澄鏡などの言霊学にあっては濁音も含めて75声というから、これに関しては簡単には言えない。



なぜなら、象形文字である漢字の成立を分解していくこととは違い (これはこれで底知れぬ哲学と思想があり、興味は尽きないが…) 音に関して分解していく限りはただ一つの音に行き着くと思うからである。

そうなれば、当然言霊学という歴史を掛けて研究されてきたものを簡単に切り捨てることは愚かであろう。


" ー 真澄鏡(マソカガミ) 見とも言はめや 玉かぎる 岩垣淵の 隠りたる妻 "

柿本人麻呂



こうして考えると、音と人体、心理の関連についても考えてみる必要が出る。
一つの音を発したときに声帯はどう動き、身体のどこに響き、心理にどう作用しているか。
母音と子音では質として何が異なるのか。
赤ん坊が初めに発するのはどの種類の音か。
日本語にあって初めに生まれたものはどういう音の単語だろうか。

この方法なら日本語に限らず、多くの地域で言語の本質に近づけるのではないだろうか?


ルーツ

2013-12-07 13:15:42 | 
" 人の雅は情け枝 天(アメ)より授く
魂(タマ)と魄(シイ) 結ぶ命の
魂中心(タマナカゴ) 生む血は肝ぞ
魄の根葉 腎心葉(ムラトココロバ)
肺結ふ(フクシユフ) 四臓脾や(シクラ
ヨコシヤ) 根の六臓(ムクラ) 渡る
ミヤビが物を知る ー "

「ホツマツタヱ 17紋」


例えば ー
"気が枯れる"で「汚れる」。
"気が去る"で「腐る」。




こうした例は日本語においてはいくらでもある。

仮にこの場合の"気枯れ"などが偶然、あるいはそうでないにしても、日本人の得意な韻象からくるイメージと哲学的な意味での感覚的な一致だとしても、全てをそうだとみるべきではないだろう。

また漢音や呉音、さらにはそれらが混ざった後に複雑に進化した造語、造音との区別を突き詰めていくとする。

残った言葉を分解してみる。
上の例でいけば、き(気)が枯れる、で汚れである、と定義した思想もしくは思考がまず母体として浮き上がる。

すると「き」という音が古来の日本語だとするとー これを仮に" 大和音" と呼んでみる ー 「気」という概念と同じかあるいはかなり近い概念があったということになる。



(発音の近さや、訓読みがないことからも"気"は文字、音、意味ともに輸入されたものかもしれないが、まったくその概念がなかったとは思えない)

大和音という言葉を仮に使ってみたが、この視点からみてゆくと日本語発生の秘密に近づけるかもしれない。