思考の踏み込み

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

蔵六15

2013-12-12 09:34:40 | 
蔵六の考えていたことは、欧米列強に伍しうる国家体制を作ることであってそれだけであり、またそれ故に武士階級において英雄視されている西郷という人物が、革命が終わりさえすれば逆に有害な存在になるであろう、とみて西郷の人格的圧力にまったく動じなかった。


さて、ストイシズムという言葉が出たが、これは蔵六に限らず維新前後の日本人達は割とカラリとした感覚で多くの者が身につけていた。




(個人的な考えをいうと、ストイシズムに悲壮感と湿っぽさをイメージさせるような植え付けがされたのは、戦後昭和期における劇画ブームなどの影響ではないかと思うがどうだろうか。本来はもっとカラリとした感覚だったのではないか)

蔵六のストイシズムの場合、多少毛色が違うのはそこに強烈なナショナリズム (国家主義ではなく郷土主義) がくっつく点であり、さらにその根底には独特な彼の美意識が見え隠れする。

ー 美意識 ー と表現していいだろう。

新政府軍を養成するとき、彼は洋服を着させ、靴を履かせた。この事が頑迷な攘夷主義者達を怒らせ、かれの生死にも関わってくるのだが、肝腎の大村益次郎が洋服などは生涯着なかったのである。



西洋人と接触することもほぼなかったという。

彼がなぜ旗本格にまで幕府に取り立てられていながら、何ら己れを評価しない長州藩に戻ったのか?

それはこういった素朴なナショナリズムにあると見て間違いないだろう。
といって蒙昧な攘夷主義も嫌っていたから、その根底はやはり彼の美意識なのである。

彼の唯一といっていい趣味が軸を眺めることだったというが、"美への思い" というのは、この精密機械のような男がわずかにみせていた人間らしい嗜好から垣間見える。

蔵六14

2013-12-12 09:13:56 | 
彼が "蔵六" と自ら名付けたのは大阪適塾に入ってからであろうと思われる。



おそらくはこの時代、壮絶な学問修行の時代に、かれは "蔵六" たるべき胆力を身に付けたように思う。

若き彼は学問に異常な打ち込みを見せながらも "我ガ学ハ我ガ為ニアラズ、我ハ百姓医トシテ生涯ヲ終エン" といっている事を考えると、その心の中の葛藤と課題の克服のため、自然と己が存在を透明にしていくしかなかったのであろう。

彼は後年、新政府軍総司令と成ってからも 「馬にも乗れず、刀の抜き方さえ知らぬ」 といわれた。

だから所詮百姓なんだ、と揶揄されたが、それを貫いた所にこそ蔵六の核心の部分が見える。

近藤勇や宮崎八郎が成り上がって大名並みの衣服を身に付け、悦に浸ったことと比べると彼の精神の輝きはより光を放つ。



だが蔵六にはそれほど身分制度への鬱屈した感情は無かったように思う。
彼が身分の象徴たる馬も刀も必要ないと切り捨てたのは、従って近藤たちの気分の裏返しなどではない。

実際必要なかったという、ただそれだけであろう。
だが、大将としての威厳といったコケ脅しという様な統率の為の効果さえ、切り捨てたあたり、これは蔵六の思想というよりもストイシズムを感じる。

彼は思想家ではなかった。
従って彼のイメージした四民平等は、人民の解放などではなく、国民皆兵が基準であったように思う。

「刀」という武士の象徴さえ、彼の描く新国家への構想には不要であり、むしろそこへの移行の妨げとなるモノであっただろう。

蔵六13

2013-12-12 08:31:05 | 
西郷隆盛の唯一の欠点は" 人気に引きづられることだ" と大山巌あたりがいっていたが、大久保も蔵六も人気がまったくなかったという点から逆説的にみると、無私であるという事においてこの両人は西郷より凄みがある。

そしてまた、明治維新というものを具体的に最期に仕上げたのはこの両人であったということも面白い事実といえる。
(人物の価値評価という多角的な面からは西郷という人とは別のところで論ぜられるべき両人なのだが、歴史の皮肉が彼らをともに西郷と対決させているのも日本史の面白さといえる。
後世の我々はしかしその対決に目を奪われ個々の評価を誤ってはならない)

さて蔵六はでは、いつ頃からその "胆力" を我が物としていたのであろう?

彼が幕府に招かれ教授をしていた時代、ある囚人の解剖の依頼がある。
彼は初めてであるはずの人体の腑分けを、文字による知識のみを頼りに、大勢の専門家たちを前に見事にやってのける。



このことは蔵六が後に天才的な軍事指導者になってゆく謎と大きく関わってくるが、頭の中で描き出したことを正確に実行に移せるという、彼の "異能"
といっていいであろう。

彼は同じデンで宇和島藩主の無茶な依頼さえ受けている。
「黒船と同じモノを作れ」というものだ。純国産で、本だけをもとにして、これもまた現実に彼は作ってしまっている。



そして後の長州四境戦争時の初陣。
戦争という異常な精神状態を要求される現場でさえ、彼のその智と行が直結するという異能は微塵も崩れない。