思考の踏み込み

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それ以前4

2013-12-03 18:41:21 | 
自らの世界が有限であると気づいてしまった人類は、いずれこのことと正面から向き合わねばならない。



その世界が崩れてしまえば、どれほど遺伝子のシステムがすぐれていようとも、それ自体が物質的である以上、役には立たない。

ー 死の本質とは何か?
突き詰めればそれは生物単体の「死」といった狭義なものではない。

即ちそれは 「消滅」である。
物質、非物質に関わらず消滅してしまえば全てが終わりなのである。

我々を生み出し、なにごとかを課した
"存在"は我々と同じようにその "消滅"
を恐れているのかもしれない。


それにしてもその "存在" とはいったいどういう者たちなのだろうか?

ゲーテ「ファウスト」においてメフィストフェレスは叫ぶ。



" ー われら被造物を無へと引きさら う 永遠の創造!
そんなもの、一体何になる?
はじめから何も無かったのと同じで
ではないか! "

それ以前3

2013-12-03 18:23:16 | 
神 ー 自然という方が近いだろうか ー
のやり残した仕事を、つまり無軌道に直進するだけのものに方向を与え、循環させ、直線を円として完成させることができれば、人間の存在理由はあった、といえるかもしれない。



これはまちがっても西洋的な自然の征服ではない。
アジアで古くから存在した思想である。
現代科学の技術がこの思想にうまく力を貸せられれば、そのための大きな一歩になるのではないだろうか?

こうして考えてくると、さらに奥にある明快な一つの意思を感じざるを得ない。

即ち、人類の存在に意義を課した者の存在である。
それは "神" という、多分に人間に近い存在よりも、もっと何か、宇宙的な意思をもつ者ではないだろうか。

彼らは物質的な世界においてなにごとかを創り上げようとしているように思われてならない。

ネイティブアメリカンのホピ族の伝承によると、宇宙は全て精霊たちの意思によって計画され、動いているー という。



もしそうだとすれば、非物質的な存在の彼らは、この物質的な有限の世界で何を為そうというのだろうか?


それ以前2

2013-12-03 11:44:39 | 
ー 我々が自らの意思とは別に、明確に感じているもう一つの "意思" がある。

「本能」と呼ばれてきたものがそれに近い。 ーその大本を辿っていくと、遺伝子の性質にたどり着くのではないだろうか?

つまりより優れたものを、より強いものを、という直線的な膨張の仕組みである。
その仕組み自体は環境が変わってもなおそれに対応する可能性を常に有しているという点で、これ以上ない仕組みといえよう。

だが、その仕組みを作ったのがもし
"神" だとしたら、その仕事は完全だろうか?
産めよ増えよといっておいて、増えるだけ増えたら自ら海へ身投げするネズミのように、繁栄の先に "神" が人間に与えるのは数の上での淘汰だけなのだろうか?



しかし、あるいは神の仕事はやはり完全なのかもしれない。
あえてやり残しをつくることでそれを補完させる使命を我々にあたえているのかもしれない。

我々が生きていることも、人類が誕生した意味もそんなことは考える必要はないと思っていた。

意味や意義がなければ生きられないことは結局は人間の利己でしかないからだ。生きることはもっと自由なはずだ。

しかし、この広い宇宙でなぜ自我と知性を持った人類が生まれる必要があったのか、いや、人類だけがなぜそれを持っているのか。

もしかするとやはり我々にはなんらかの使命が託されているのだろうか?



それとも自我も知性も、象の鼻や、亀の甲羅の如く、単に生命の内容のある一方向への発露に過ぎないのか?


それ以前

2013-12-03 11:01:55 | 
DNAの中には自ら死ぬためのプログラムが組み込まれているのだという。



実はこの "死ぬことができる" という仕組みができたのは10億年ほど前だそうだ。
しかし生物史をみるとそのはるか以前に地上に生物は存在している。
では "死" の無い時代というものがあったのだろうか?

例えば大腸菌は環境さえ良ければ、永遠に増え続ける。 ー つまり死ねない
ー だが環境が悪化すればすぐに死んでしまう。

したがって "死" はやはり "生" の誕生と同時に対局のものとして存在していたことは間違いがない。

だが刮目すべきは、その "死" を "生"のために活用したという生命の進化である 。

つまり "死ねる" という仕組みを獲得することで優良な遺伝子を残し、そうでないものは淘汰する事ができる。
そのことで、進化は飛躍した。


(進化論における強者生存、自然淘汰説は悪用が可能であり、実際にそうした洗脳工作はされてきた、が、ここでの主題とは異なるので進化論自体の問題点にはふれない)

また"死" と時を同じくして生まれたものに"性" がある。
すなわち交配という「手間」をかけることで、より優生な遺伝子を残すことが目的である。

生物史はこの二つのピースが加わった後、爆発的に繁栄する。カンブリア紀といわれるものである。