思考の踏み込み

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虞美人草4

2013-12-18 18:12:13 | 歴史
政治の中核は経済ではないかと前途したが、20世紀において起きた悲惨ないくもの戦争でさえ、根本を洗い出してしまえば、経済の問題にたどりつく。

帝国主義同士の衝突や、イデオロギーの対立だとか、民族間の軋轢とかいったことが原因だとされてきたが、そんなものではない。

背後にあるのは基軸通貨を巡る勢力圏の争いであり、一つの勢力圏を潰すためにはその圏内同士での対立が1番手っ取り早い。

東アジアのみではない。
アジアはこの勢力争いに巻き込まれ、踊らされ、はたしてどれだけの人間が血と涙をながしたか。



その犠牲の果てに世界の富はどこに集中しているか?

経済学者は景気と株価と為替の予測しかしない。それはギャンブルに似て感覚をまひさせ、真実から目をそむかせるには巧妙なシステムであろう。

そろそろ我々はこの仕組まれた対立構造に踊らされることから抜け出さなければならない。

だがなにも世界のことまで考える必要はない。
東アジアがもっと正常な関係に戻るにはどうしたらよいかだけでも根本から考えなおすべきであろう。

政治に任せていたら何百年経ってもムリであろう。その政治が主導する経済交流でも不十分である。

それは文化によるしかない、と思う。
東アジアが共有していた東洋文化の叡知は人類史でみても燦たるものがある。それを対立構造の中で互いに失われていくことが残念でならない。

政治や利権の絡まない、純粋な文化人同士での交流が行われれば、それは防ぐことができると思う。

これから ー おもしろい時代が来ることになるだろう。そう願ってやまない。




虞美人草3

2013-12-18 13:11:05 | 歴史
政治と中国について考えていると現代東アジアの話にならざるをえない。


我々はもっと隣国との関係の力学を考えなければならないだろう。

隣り合う国同士は仲が悪くて当たり前、だという欧州の常識を押し付けられてはならない。

東アジアが協力し合うことを妨げる勢力がいることを知らねばならない。

反日報道しかしないマスコミがすでに反日勢力であることをそろそろ共通の認識としなければならない。

嫌韓、反中を煽るのはだれか?
東アジアが仲違いすることで得をするのは誰なのか?

かつて西郷隆盛は勝海舟由来の日中韓三国同盟を構想し、渡清しようとした。
それを知っていた中国の将軍は西南戦争での西郷の死を悼み、彼の死はアヘンの害よりも大きい、と嘆いた。



東アジアに互いを尊敬し合う空気はかつてたしかにあった。

いつのまにこんなことになってしまったのだろう。


国家論を論じればすぐ右寄りだと危険視する。
一般の多くの人がイメージする右翼という、せっせと街宣車で騒ぎ回る人たちがどういう存在なのか、どれほどの日本人が知っているだろうか?その資金はどこから流れているか、考えた事のある者がどれだけいるだろうか。



親中派といわれる政治家はハニートラップによって操られるものばかり。
かつて独自に、真の親中を画策した田中角栄はあっという間に失脚させられた。
猪瀬知事の問題も似た匂いがしてならない。献金などは献金した側を籠絡してしまえばいくらでも政治家など貶められる。

虞美人草2

2013-12-18 12:48:33 | 歴史
だが項羽は巨大な中国大陸における
"天下" を取ることはできなかった。

彼にかわって統一王朝を打ち立てたのは戦の弱い劉邦という男だった。



なぜか?

ー このことを考えることは政治というものの本質を示すことにつながる。

もちろん、項羽ではなく劉邦が天下を取った理由はいくつもあるだろう。

歴史的な役割りの違いだとか、漢楚の性質の相違であったり、あるいは劉邦という男はそういう星の下に生まれた
ー ただそれだけのことかもしれない。

だが、劉邦が項羽より明らかに優れていた点が一つだけある。

それは補給のことである。
自らの力に頼みすぎた項羽と違い、弱者の劉邦としてはせめて兵たちを飢えさせないということは重要な課題であった。

そのことが最後の最後ので飢えた楚軍を大量に裏切らせたいわゆる 「四面楚歌」 という項羽にとってあまりに絶望的な場面を生み出すことになる。

この項羽の敗因というのは実はきわめて象徴的なことといえるのではないだろうか。

つまり、政治というものは結局のところ、人々に食わせるか食わせないか、ということが本質であって、それ以外の事はさして重要ではないのかもしれない。

現代の用語でいうところの "経済" である。

外交、軍事、教育、福祉、、、。
政治のもつ役割は多々あるが、それらも全ては経済のために、安心して "食える" 社会をつくるためにあるとみることもできる。

こう考えると戦後、アメリカに屈するが如きの態度をとってまで経済復興を優先させた吉田茂という政治家の判断は評価すべきものであろう。これは余談。

虞美人草

2013-12-18 10:26:19 | 歴史
"力 山を抜き 気は世を蓋ふ ー "


項羽の辞世の詩ともいえる一説である。

古来、不思議な風格を持つものというのは無数に存在した。
人々に畏敬の念を抱かせ、人望を一手につかみ、ある種の宗教的な気分さえ与える者である。



すなわち、「英雄」 と呼ばれた者たちである。
ー 英雄、それは極めて男性的な存在であり、人間的魅力とともに強烈な怖れを抱かせることさえある。

これは人間が集団で生きる動物である以上、例えばサルの社会でみられる群れのシステムと構造上においてかわらないといえる。

その意味でも強力な統率力を持つ "英雄" という存在は古今東西、いくらでも現れてきたことは当然なことであろう。

だが、純粋な意味での "英雄" という概念 ー 先に述べたような構造の原型の様な者というと、項羽という男はまさしくそれではないだろうか?

地は母であり天は父だというが、項羽という男の印象は、父なる天が荒れ狂い人智ではどうしようもないと思わせる程の圧倒的な力 ー 荒れ狂っている時の天そのもののような印象が後世に伝わっている。



それはスケールの大きさにおいて、やはり我々島国の者にはない、大陸的な大きさと烈しさがあり、もはや人というより自然現象そのもののようであり、およそハンパな "英雄" たちではたちうちできるものではないだろう。