白寿を目指す抗衰老ライフへの誘い

慣れ親しんだ新容器野菜養液栽培に別れを告げ、新たに取組んだ老人の終末課題の経過発信を続けさせて頂きます。

―アスクレピオスの杖 ヒポクラテスの誓い―

2016年09月14日 | 健康

今年も間もなく 「老人の日」を迎えますが、老人にとっての最大の関心事はと言えば、冥土へ旅立つまで維持したい、自立の可能な健康長寿であります。それ故に、毎日の生き方がこれで大丈夫なのかと、自らのヘルスケア、生活習慣の再点検の必要性を、強く感じています。

今や老人大国化する日本にあって、避けては通れないのが健康管理であり、多くのお年寄りの方が何らかの形で、医療機関のお世話になっていますが、それでも中々健康不安が払しょく出来ないと、感じているのも確かなようであります。

医療は体調不良を改善し、病を癒し、健康維持促進を図ってくれると大概の方々は信じておられ、少しでも何か体調に異常を感じたら、先ずは医療機関を訪問するのが好ましいと誰もが思っておられます。

 

ー健康長寿ネットのロゴマーク―WebImagesより

それには、先ず掛かる医療機関に対する充分な信頼感が無くてはなら無いのですが、それが昨今の医療状況、医療不信、医療崩壊等とも呼ばれ、深刻な病状に悩む患者さんからすれば、往々して納得の行く診断、期待したような治療効果が得られず、多くの場合で診療行為に失望していると良く聞きます。

その原因は何処にあるのでしょうか。実は医師の立場から、その問題を提起した記事がネット上にあり、其処に書かれていたのは、現在の日本の医の倫理意識に、端を発しているのでは無いかと言うのです。

その話の始まりにあったのが、表題の「アスクレピオスの杖‥‥‥」であり、ご存じの方も居られるとは思いますが、ギリシャ神話に登場する名医アスクレピオスの持つ、一匹の蛇の巻き付いた杖、医療・医術の象徴としての姿であり、アメリカ医師会(AMA)、世界医師会(WMA)、世界保健機関(WHO)など、医学ロゴ(紋章)として世界的に広く用いられ、蛇が「医術」、杖が「医の倫理」を表すと解釈できると言います。

 

ー世界保健機関のロゴマークー

その杖が、医療倫理の根幹を成す、有名な『ヒポクラテスの誓い』に繋がるのであり、古代ギリシャの医術は、医神アスクレピオスから授かったものと考えられていたと言うのです。

其の『ヒポクラテスの誓い』、日本の現代医学では、その医療倫理を如何捉えているのかと言うのです。

医師は 「医術の有効性」を最大限に発揮し、医の倫理を借りて「医術の有害性」を、最小限に留める事が、自らあって然るべき姿であり、そのシンボルとなったのが 「アスクレピオスの杖」の意味にではないかと書いています。

そのヒポクラテスの誓いを、現代的な言葉で表したのが、WMA(世界医師会)のジュネーブ宣言(1948年)であり、日本医師会のHPの中にそれが掲載されていましたので、下記にコピぺ致します。

  ジュネーブ宣言

医師として、生涯かけて、人類への奉仕の為にささげる。師に対して、尊敬と感謝の気持ちを持ち続ける。良心と尊厳をもって医療に従事する。患者の健康を最優先のこととする。患者の秘密を厳守する。

同僚の医師を兄弟とみなす。そして力の及ぶ限り、医師という職業の名誉と高潔な伝統を、守り続けることを誓う。

近年、医学の発展とともに医療は高度に専門化、複雑化され、同時に患者主体の医療が提唱されるようになり、患者は自分の診断・治療・予後について完全で新しい情報を得る権利が生じた。
患者側にも医療を受けるリスクが求められるが、医療側は、患者に納得してもらうためには十分な情報提供が必要である。即ち、患者の人権、自己決定権の尊重、インフォームド・コンセントであり、時代の変遷とともに新しい倫理も生まれてきた。
ヒトを対象にした医学研究の倫理的原則を示したヘルシンキ宣言(1964年)や、患者の権利に関するリスボン宣言(1981年)などである。

 

アスクレピオスの座像―Wikipediaより

それでは話が一寸前後しますが、紹介されていたネット上の記事にありました、ギリシャ神話に登場するアスクレピオスの父のアポロン、医術の神であると同時に疫病神の性格も持ち、理性的・知性的と共に冷酷さ・残忍さも併せ持って居て、その子、アスクレピオスは死人をも生き返らせるほどの名医であり、そのために、冥界を混乱させたとしてゼウスに殺され、しかし、後に医神として天空に上げられ、へびつかい座となりましたとあります。

次に蛇と杖の解釈ですが、先ずその蛇、医術師であった下界のアスクレピオスも、医神になった天空のアスクレピオス(へびつかい座)も、共に蛇を携えています。

医術師・医神共に実施する「医術」を意味すると考えてよいでしょう。次に杖ですが、下界のアスクレピオスは杖を持っていますが、へびつかい座になったアスクレピオスは杖を持っていません。下界の身に必要でも、天空の神には不必要なもの、それが「医の倫理」ではないでしょうかと言っています。

 

ヒギエイアの座像―Wikipediaより

扨て、その医神アスクレピオスには2人の娘が居り、hygiene;清潔、衛生の語源となっているヒギエイアすべての癒しを司る万能薬;panaceaの語源となっているパナケイアであります。

その2人娘と医神となったアスクレピオスとの違い、彼女等は元より杖を持っていないのであり、「医の倫理」によって、医術をコントロールする必要のある、積極的な人の生命への介入となる医療では無く 「癒しの療法の医神を意味しているのです。

現代西洋医学は、正しく「医学の父」と呼ばれた古代ギリシャの名医、ヒポクラテスに端を発した医学・医術であり、「医の倫理」によって医術をコントロールする必要があり、人の生命に積極的に介入する危険が伴うのが、医療であると言う事です。

 

ヒポクラテスの誓いの12世紀東ローマ帝国の写本―Wikipediaより

『ヒポクラテスの誓い』の結びの言葉は、次のようになっていると書かれています。

■この誓いを守りつづける限り、私は、いつも医術の実施を楽しみつつ生きてすべての人から尊敬されるであろう。もしもこの誓いを破るならば、その反対の運命をたまわりたい。

■ここには、医の倫理、医(術)師、および患者、三者の関係が示されています。当時の医の倫理を守ることにより、当時の現場の医師にとっては、医術を実施することが喜びであり、当時の患者は、そのような医師から受ける医術に満足し、医師を尊敬していたことが窺えます。あるいは、そうあってほしいと願っていたのでしょう。

  

ヒュギエイアの杯は薬学のシンボルーWikipedia より

『ヒポクラテスの誓い』は、個々の医師が行う宣誓文(Physician’s Oaths)の形式になっています。医神たちに宣誓するという形を取って、医師集団の倫理規定にしていたのであり、現代西洋医学の原点であります。

それが医の倫理を宣誓しない日本の医師、言い換えると、宣誓できる医の倫理を持たない日本の医師、そして「患者の人権を守らない時もあります」と宣言しているように受け取れる日本医師会の医の倫理、このような医療界が、患者・社会から信用されないのも当然のことではないでしょうか。」
ご意見、ご批判を頂ければ幸いです(連絡先;bpcem701@tcct.zaq.ne.jp)

上記の赤字部分がそのサイトにあった結語でしたが、大変厳しい指摘であります。最後に此処であえて申し上げたい事があります。

 

ー幻の帝王とされる黄帝―WebPagesより

医学には、アスクレピオス医学と異なる、自らの治癒力で健康を守る、その癒しのヒギエイアパナケイアの医学があり、実は、ヒポクラテスの誓いと時を同じくして、紀元前2世紀ごろに編纂されたと言う、現存する最古の医学書 「黄帝内経」が東洋にはあり、其処にあるのは、ヒギエイアパナケイア医学と同様に、養生を旨とする 医療哲学で貫かれています。その持つ大切な意味、ご理解できると思いますが、これこそ現代にも通じる、人を癒す、予防医学の考え方であります。その中でも圧巻なのは、世界に類を見ない、ユニークに体系化された医学としての鍼灸術であります。

蛇足になりますが、其の鍼灸医術、日本では、驚くなかれ!健康保険制度が適用できるは 「神経痛」、「リウマチ」、「腰痛症」、「五十肩」、「頸肩腕症候群」、「頚椎捻挫後遺症」の6疾患だけであり、其れも、西洋医学的な治療を行っても、有効でないことを医師が認め、患者側からの要求に応じて、鍼灸治療の承諾書が交付される場合に限られているのです。

国民皆医療保険制度にあって、正当な保険適用疾患でも、既得権である?西洋医の承諾が無ければ、国家資格を持つ、鍼灸師の治療を公的医療と認めない「しきたり」であり、医療倫理以前の問題かも知れませんが、明治維新以来、150年前の医療制度改革意識を今も引きずっているおろかさを、日本国民は如何様に感じ取って居られるのでしょうか!

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