鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

勝ってよかった!!広瀬川!

2013-03-16 15:57:19 | お知らせ

  いやあ、ようやく勝ちました、ベガルタ仙台!!ようやく勝ちました。勝ち点3をゲットしました。 J1のリーグ戦とACLの両方を戦わなければならないので大変です。 でも、この辛さを克服してこそ真の強い”ベガルタ仙台”となることでしょう。 これからの戦いが楽しみです。

 ということできょう午後3時過ぎの河原の様子です。 きょうは風はありましたが冷たくはないし、散歩には支障がなかったのですが、4時前からか急に風も強くなりおまけに雨粒も降ってきました。 でもこれは一時的なもののようです。

 河原ではこの前も紹介した、子どもたちのサッカーが元気でした。 YMCAのサッカーチームなのか、何にしても子どもたちの明るい元気な声が響き渡るのは嬉しいものです。

 

 上流に歩きました。 そしたらカヌーイストが下ってきました。 この人は前にも見たことがありそうです。いつもの人?でしょうか。 今日くらいならそんなに寒さを感じないかな。

 

 これは毎度おなじみの牛越橋の下流側です。

 

 きょうは工事は休みなのでしょうか。動きが感じられませんでした。澱橋の方は働いていたのに。橋上流右岸n河川敷に駐車しているトラックとショベルカーです。

 

 そしてこれは牛越橋の上流側です。

 

 上流の角度のあるチャラ瀬の下に2羽のカモですか、いました。

 

 さらにその上流にも孤独な一羽が。

 

 これはいつもの分流の様子です。少し水量が落ちてきました。 この写真の左下にある下水の排水口はもうすっかり乾いています。 雨水も流れてはいないようです。ゴミも乾ききっていますので。 綺麗になったからでしょうか、いつもなら分流に続く溜りには小魚(アブラハヤ)が一杯いたのですが、今は一匹もいません。

 水清ければ魚棲まず、でしょうか。

 

 これもいつもの見慣れた景色です。 早く澱橋の補強工事が終わってくれないかな、修復されたきれいな澱橋を通して、市街地のビル群を撮ってみたい。 補強工事後の澱橋の前後には川底に石がびっしり敷かれて、友釣りのメッカになってくれたらこんなに嬉しいことはないです。

 

 そのことは牛越橋の橋脚補強工事にもいえます。 工事が終わったら橋脚のところに大中小の石を入れてほしい、掘られたままの橋脚にはしておいてほしくないです。 深く掘り下げられているので危険です。 ところが過去の河川敷等の工事をみると川底の状態は元には戻っていません。そのままほったらかし、あとは大水に任せようというのかもしれませんが。

コメント (2)
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仙台市 荒浜(深沼)の今日の午後

2013-03-15 22:42:04 | お知らせ

 きょうは朝から好天に恵まれました。 一日中雲がない青空が見られました。 そのため西日は強烈でしたね。全く遮るものがないから。 

 

 午後から、行きたいと気になっていた仙台市荒浜(深沼海岸)に行ってきました。テレビで慰霊塔が建てられたということを知ったもので。

         ① 

 この祈りの塔は、地元の皆さんと石材店の共同で建立されたものです。 「荒浜慈聖観音」  立像と台座を含めて高さは9メートルとか。白御影石です。

 ② 

 荒浜地区では190人が犠牲になりました。 あたり一面は何もありません。 辛うじて松の木が西側に傾いて立っています。

 ③ 

 ③は犠牲者の名簿です。

 ④はこの観音像を製作した石材店、柴田町の株式会社紫雲堂の建立趣旨です。

  ④ 

 ⑤は何を意味するのかは分かりません。 ②の右端に見えている鳥居です。

 ⑤ 

 ⑥は海側からみた後姿の立像です。 左側に見えるのは、荒浜小学校です。 大震災の当日、この小学校の屋上に津波からたくさんの方が逃げてきました。

 ⑥ 

 タクシーに乗ってやってくる人(高齢のおばちゃん連中)が結構いました。 またおそろいの薄いジャンパーを着た若い人たちもやってきて、静かに海を見つめていました。 東本願寺関係のボランティアのようでした。

          

 合掌


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澱橋橋脚補強工事は着々と、

2013-03-14 15:04:40 | 広瀬川

  このところ山なりの天気が続きます。とっても暖かかったなと喜ぶと、次の日はぐっと冷え込んだりして、その繰り返しですが、そのようにして春を迎えるのでしょうか。確実に、周りが春めいてきたのは実感としてあります。 きょうは朝から日差しはあるのですが、空気が冷たく風も少しあり、見た目より寒く感じます。

 きょう14日はホワイトディですか。3人にはそれなりに?お返ししました。 

 早いもので香港マカオの旅から一週間が過ぎてしまいました。 6日の午後11時前に香港国際空港に着いて、いろいろ手続きをし、ホテルに入ったのは午前様でした。 次の日の朝は7時50分からバスに乗って朝食(あわび粥)会場へいったり、7日は香港を周遊して午後11半頃かなホテルに戻ったのは、そして8日の朝は7時40分活動開始、マカオに夕方までいて香港に戻り夜の香港散策?終わりは午後11時頃か、9日は7時10分にホテルからバスに乗って空港へ向かった次第で、かなり強行軍であったような気がします。

 まだ報告は一つもしていませんが、その内是非ともお知らせしておきたいというものがでてくればお知らせすることになると思います。少々お待ちください。

 

 そうこうするうちに澱橋の橋梁補強工事も終盤に差し掛かってきています。

 ①は11日撮影のものです。右岸側の橋脚の覆いや足場は完全になくなりましたが、まだ土嚢はたくさんあります。

①-1 

 ①-2

 ②は13日の撮影です。橋の上にクレーン車が来ていて、土嚢を持ち上げているのでしょうか。下ではショベルカーも土嚢を運搬しているようですし、キャタピラー付のトラックも活躍しています。

              ②-1 

 クレーンは左岸側にもあります。

    ②-2  

 こうしてみると、橋脚はかなり頑丈に補強しているようです。水中の橋脚と比べて見ると一目瞭然です。 二回りくらい太りましたし、凱旋門のような橋脚ではなくなりました。空洞になっているところもセメントで埋めたのでしょうか?

 ③はきょう14日の様子です。やはり橋の上にはクレーン車とトラックが来ています。したではショベルカーが土嚢等のゴミの後片付けをしています。

 ③-1

 後片付けはどのようにするのでしょうか? この橋脚周りを土嚢で固める時に、水中からショベルカーが川底の石を土嚢の下に敷くような形で集めています。 その時の川底の石を元に戻してほしいのですが、・・・。戻すべきだと思うのですが。 果たしてそこまでやってくれるのでしょうか。 疑問ですね。

 というのももっと上流の方の右岸の崖を補強するための工事を2年lくらい前にしていますが、そのときはそれまでのいい川の流れをめちゃめちゃにしたままでしたので。 そもそも右岸側の工事のために何で川の流れを大きく変える必要があったのか、そのときから甚だ疑問でした。

 どうせならもっと大きな石をどこかから運んできて、橋の前後に敷いてくれたらありがたいのですが。 かっての”鮎釣り銀座”が生まれ変わるかもしれません。 無理でしょうね。

 下はいつもの分流の様子です。せめて夏の間もこのくらいの水量が維持できればありがたいのですが。 (ありがたい、ありがたいという言葉が多いですね。 他人任せのような響きがあり、好ましくないです。)

 ③-2

 分流に佇む猫が一匹。 こちらが近付いても逃げません。

       (おまけ) 


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「じんじん」、仙台での試写会

2013-03-13 20:48:35 | お知らせ

  今週に入ってからか、鼻水は止まらないし、目はかゆくてじっと見つめていられず瞬きばかり繰り返しています。 鼻水の方は前から鼻が悪く、洟をかんでばかりいたので、鼻の下がひりひりするくらいで済んでいますが、目は本当に辛い!!まともに開いていられないのはしんどいものです。 まるで石原慎太郎みたい。彼もいつも瞬きを頻繁に繰り返しているでしょう。(ところで入院しているとか巷間言われていますが、本当はどうなのでしょうか?症状は重いのでしょうか?彼の暴走で日中間がキナ臭くなってしまった。この罪は重いです。軽率だったではすまされません。石原一族で好感がもているのは、気象予報士だけですね。自民党の元幹事長何か最低)

 

 きょうは午後2時からと6時30分からの2回、映画「じんじん」の完成披露招待試写会がありました。メディアテーク・スタジオシアターで開催され、夫婦で2時からの映画を見てきました。 1月に松島で見ていますので、きょうで2回目となります。

 2時間を超える長い映画です。 正直なところを書けば、前半は長すぎるかなとは思います。(エキストラとして出演している人たちにとっては、いつ映るか映らないか気掛かりなので、眠っているひまはないのですが、・・・。) 隣の我妹は軽い寝息を立てていたので、太ももを2,3回つねって起こしたりしましたが、後半はちゃんと見続けて、クライマックスでは涙を見せていました。

 私としては、画面のなかの自分と再開した気分です。1月の時は大道芸の会場でも「カメラを構えて」写っていたと思ったのですが、ホテルのフロントでの場面しか映っていなかったような、これはどういうことでしょうか?(そんなことはどうでもいいことですが)

 離婚して(させられて)、全くひょんなことで再開したが、娘は父親と察知したものの主人公の父親は自分の娘とは気が付かない、親友から言われて分かったものの、娘はすんなり受け入れられるものではない、でも会えたという喜びはあったはず、父親は必死になって父親としての役目を果たそうとするのですが、・・・(あとは見てのお楽しみ)

 

 これは去る1月12日、ホテル松島一の坊で開催された 完成披露試写会の様子が書かれているニュースペーパーです。 当日は260人が集まったそうです。 また、1月24日はシネマート新宿にて、東京関係者試写会が325人を集めて開かれたそうです。

              

 仙台での試写会は4月18日木曜日にもあります。

                   

 映画館での上映は6月29日からロードショーで、上映会場は ムービックス仙台 と 櫻井薬局セントラルホール となっています。 鑑賞する価値は十分あると思います。

 

 「じんじん」については、1月12日のこのブログで詳しく紹介しています。ご覧になっていただければありがたいです。


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3月11日の新聞

2013-03-12 16:44:38 | お知らせ

  きのうは最高気温が5度までしか上がらなかったのですが、きょうは何と言うすばらしい陽気でしたでしょうか!! 朝から雲一つない青空です。

 トンビが低空を舞っています。 だけど、私はトンビが低空飛行していると警戒してしまいます。急降下攻撃されるのではないかと不安になるからです。 去年中洲を一人で歩いていて、どういうことなのかはっきりはしませんが、背後からトンビの体当たり攻撃を受けてしまったことがあるからです。しかも2回も。

 

 上の写真は午前10時くらいで、下はお昼近くの様子です。 川面が眩しい!!キラキラ輝き、釣り人を招いているかのようです。心も軽くなってきます。 手袋なしで自転車に乗りました。

         

 以下はきのう11日付けの新聞の第一面の様子です。正確には1面の上半分。

 ①河北新報 

 ①は地元紙の河北新報です。 震災で新聞の発行が大変なことになりましたが、新潟の新聞社の協力を得たりして発行し続けました。よくやったと思っています。

 全40ページ。見開き特集としては、「歩み 記者の思いー2013年」、「被災地この1年」

     ①-1

 別刷りは二つあり、ひとつは河北新報・岩手日報・福島民報三社合同の①-1(スマイルとうほくプロジェクト)で、全8ページ、東京や名古屋でも配ったようです。

      ①-2 

 もうひとつは①-2で、広告特集となっていますが、「お祭りで、元気が戻った日。」 「学べる幸せを胸に、未来へ。」とかの特集をしています。全8ページ

 仙台で手に入るのは地元紙の夕刊のみです。全8ページ

   ①-3 夕刊 

 

 次は②朝日新聞です。全38ページ。 

 ② 朝日新聞

 別刷りとして、全12ページの特集②-1があります。 「一歩ずつこの2年」 「復興どこまで」 「廃炉への道のり」他

  ②-1 

 

  ③ 産経新聞 

 産経新聞③の見開き特集「日本地震史」はためになりました。 全28ページ

 

 ④ 毎日新聞 

 毎日新聞④は全28ページ。 見開き特集「被災地首長アンケート」

 

 ⑤ 読売新聞 

 読売新聞⑤は全40ページで、見開き特集「500人アンケート」。 これは「原発事故避難200人アンケート」と「地震・津波被災300人アンケート」に分けられます。

 

 ページ数だけでは何も判断はできませんが、読売は40P、朝日は38P(別刷りを合わせると50P)に対して、毎日は28Pのみ、産経も28Pです。 かっては三大紙と言われたのに、毎日はここまで凋落しているのでしょうか。


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鎮魂の日

2013-03-11 22:16:19 | 思いつくまま

  昨夜からの暴風も止み、静かな朝を迎えました。

  白い朝です。

  

  広瀬川

  きょうもいつも通り流れ、雪解け水で増水しています。

  

  あの日も流れ、静かに流れ、

  生き物の死を看取り、生に喜び、

  

  朝日を受け、夕焼け映し、

  絶えることなく流れ続ける

  広瀬川

 

  

  3月11日

  二年前のきょう

  東北地方太平洋沖地震と巨大津波、

  二年後のきょう

  追悼の日

  

  追悼の街

  

  鎮魂の日

  

  鎮魂の街

  忘れません

  15,881人

  2,668人

  2,303人

  そして、2,076人の子どもたち

  見守っています、

  健やかに成長して!!

 


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3月10日

2013-03-10 22:21:41 | 思いつくまま

 今午後10時24分、外は風が大荒れ、家の中の障子が音を立てています。風が家の中に入ってきているということですね。 ガス等での中毒死は免れるのでしょうか。 午前中は曇り時々雨、風は時々強く吹きましたが、午後から風が勢いを増すとともに気温も下がり始め、午後の散策は手袋をしてオーバーコート着用となってしまいました。 夜になってますます風速は強まり、何なんでしょう風の神は面白いように吹き荒れ、吹きまくっています。何できょう、今夜こんなに強い風が吹かなければならないのか、分かりません。できれば静かにあしたを迎えられれば良かったのですが。

 

 きょう10日は東京大空襲から68年目の日ですか。 一夜にして10万人以上もの日本人が焼死、抹殺されてしまいました。 なんで真夜中に退路を断っての焼夷弾爆撃が必要だったのか。 軍需工場ではなく日本人が住んでるところを、真夜中に爆撃する。まさに犬畜生のように、犬畜生と思われて大量虐殺されてしまいました。 おまけに広島、長崎と二か所に原爆を落とされて・・・。もう反撃する国力戦力も失ってしまった日本なのに、これでもかこれでもかと凄惨な局面を味わらされてしまいました。相手が人間だと思っていれば、こんな野蛮残酷極まりないことはできるわけがないでしょう。 それが今や、というべきか今になっても68年が経っても当時のの敵国アメリカに追随し、隷属・隷従している、そしてそれを喜びとしている、今の政権、本当に独立国を目指しているのでしょうか。大いに疑問です。それでいてアメリカから押し付けられた憲法はけしからん、改正(改悪)すべきだというのですから、戦後のよって立つ基盤を否定しようとしているのですから。何をかいわんやです。そしてそういう政権を認めた国民が多数いるのですから・・・。

 

 きょう見たテレビの中でよかったもの。 一つは午後からのフジテレビ「わ・す・れ・な・い」ですね。改めて””津波””の恐ろしさが分かりました。近くに川がある場合や道路事情によってどこから津波が襲ってくるか分からない恐怖。海からだけ襲ってくるのではないのです。当時は停電で津波の状況がどうなっているのか全く分かりませんでした。まさかこんな惨状を呈しているなんて全く想像できませんでした。 もう一つは夜のNHK「メルトダウン」です。執念を持って福島第一”原発”のことを検証したなと思わせるものです。原発になくてはならないものは冷却装置です。重要な冷却装置に対する誤った認識が被害を拡大、誘発した。1号機のIC(イソコン)と2号機のRCICという装置。それらが動いている時の状態がどういうものか誰も知らなかった、理解していなかったという驚き。さらに3号機に対する消防による注水も一度も訓練はしていなかったし、実際の注水も肝心の原子炉には届かず、途中の復水器に大量に溜ってしまっていたという事実。そもそも全電源喪失を想定していなかったため、電源喪失により復水器に溜っていたことを知らなかった。原子炉冷却の死角を明確に訴えていました。

 

 嬉しかったこともありました。 きょう町内会の進級お祝い会があったのですが、それの準備をした婦人部長の家の奥さんが言うには、小学校の新入生は13人、中学生は11人ということでした。子どもたちが少なくなっているたくさんの町内会があるなか、幸いにもうちの町内会は子どもたちが増えています。ありがたいし、嬉しいことです。マンションができたからですが、交通指導の立哨もやりがいが出てくるというものです。


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帰ってきました、疲れました!

2013-03-09 22:42:58 | お知らせ

  (予約投稿の原稿にもかかわらず、読んでいただいてありがとうございます。感激です。)

 今夜帰ってきました。 寒かったです。 成田はあったかかったのに。 きょうは東京で25度ですか、関東地方は夏日を記録したところがあるそうです。3月上旬というのに・・・・。

 

           (香港から成田への飛行機)

 疲れました! もう朝から晩まで車の生活?という感じで、乗り物に乗って動き回りました。

 もともと車等の乗り物に弱い私としては、かなり辛かったです。 それ以上に我妹はもっと辛ったのですが。 強行軍そのものと言っていいでしょうか?!

 

   (400メートル以上の高い山からの夜景)

 今回のHISのツアー(香港・マカオ3泊4日)では、ほんの一時ではありますが全く見知らぬ人々と仲良くなれたことがとってもいい思い出になりました。

 札幌からの二人連れ、夫婦、家族、仙台からは我々のほかに母と娘の仲間も加わり、団体行動を繰り返すうちに仲良く、親しみやすくなり、ツアー旅行も悪くはないと思った次第です。

 

             (シンフォニーオブライツの夜景)

 札幌は朝から吹雪状態でした。 関東地方も夏日を迎えるくらいの暖かさ。 1800過ぎの便で帰ると言っていましたが、かなり遅くなりそうでした。もう帰ったのでしょうか? 

 仙台へも天候不順で15分遅れでの着陸となりました。

 これから何度かにわたって、嫌でも(?)お知らせしていくことになることと思います。

 お覚悟めされい!!各々方!

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きょうはマカオです。

2013-03-08 10:00:00 | お知らせ

 お早うございます。

 今日の日程は、マカオの日帰り観光となっています。

 ① 

 行くところは、聖ポール天主堂、ナーチャ廟、旧城壁、仁慈堂、民生総署大楼、カジノとなっています。 (カジノでは勝負はしません。)

 ② 

 夕食は北京ダック付北京料理で、シンフォニーオブライツの鑑賞もあります。

 ③ 

 ビクトリアピークからの夜景鑑賞もあります。

 ④ 

 ⑤ 

 ①と②は3月4日、③④⑤は2月28日撮影です。 

 なんで下水や汚水のことを取り上げるのかと言われそうですが、嬉しいのです。

 28日も4日も下水溝(口)は乾いていました、完全に。 ということは汚水が流れていないということになります。 市役所の方で流れないように処置をしてくれたと思いたいです。

 いままでこんなに乾いている下水溝なんて見たことがないです。小魚は前からいましたが、小魚が住む水はきれいになっています。清潔かどうかは分かりませんが、透明になっています。

 ずーと継続してくれればありがたいです。


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お早うございます。

2013-03-07 10:00:00 | お知らせ

 お早うございます。

 きのう香港へは、仙台空港から成田へ、成田から香港へというルートで到着しました。

  

     (牛越橋の工事中の様子。左岸下流側から撮影)

 きょうの日程は、あわびの朝粥を食べ、香港名物の乗り物を体験しながら、観光名所を巡ります。 ショッピングもあります。

   

         (左岸上流側から撮影です。)

 飲茶の昼食のほか、夕食は潮州城で金賞受賞の夕食をとることになっています。

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行ってきます!

2013-03-06 12:00:00 | お知らせ

 突然ですが、きょうから3泊4日で香港とマカオへ行ってきます。

 もちろん夫婦二人で生きます。

 これは自分なりにやはり行かなければならなかったものです。

   

 丁度2年前、2011年3月14日から3泊4日の日程で、香港マカオに行くことになっていました。

 それが3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに伴う津波で行くことが不可能となりました。

 その後もアジアへ行こうかなとは思ったのですが、なかなか決心がつきませんでした。

 自分の内部でそれなりに葛藤がありました。

    

 でも、2年が経って何とか行けるのではないかと思うようになりました。

 その決心ができました。

    

 2年前の旅行は、地震と津波と深くつながっています。

 あの災害を忘れないためにも、一体のものとして記憶にとどめておきたいと思います。

 ※ 写真は、工事中の地下鉄東西線橋梁と仲の瀬橋東側の歩道橋から見えた泉ヶ岳と舟形山の風景です。


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春は確かに、すこしずつ

2013-03-05 15:27:58 | 広瀬川

  今日は3月5日、啓蟄ですか。 天気予報によると、今週はかなり暖かくなりそうで、何よりです、高齢者には。 

 虫ではないですが、鳥、それもトンビは朝から元気ですね。 きょうは5の日なので、朝の定期立哨の日なのですが、私が立っている交差点は夏はあさから日が当たるのですが、冬場は完全に日陰となります。 せめてお日様が照らしてくれると身も心も温かくなるのですが、ああ無情です。 向かいのマンションの屋上にはトンビが一羽、ピーヒョロロと元気よく鳴いています。朝の陽ざしを全身に浴びて、もう元気いっぱい、幸せ一杯という感じで、僻みもあるのでしょうが、私には”タイヘンダネエ~”とおちょくられているように感じたりして、馬鹿ですねえ。本当。

 写真はきのうの午後、夕方近くのものです。 確実に河原にも春が近づいています。 何とも愛らしくひっそりと咲いて?います。

 ネコヤナギです。

     

 アップで見ると;

   

                    

   

 川面に映えて人知れず佇んでいます。 名もなく美しくひっそりと芽を出しています。 それにしても以前はネコヤナギは河原に一杯あったのですが、この頃は見つけるのが大変になりました。 中洲や河川工事で植物は、とくに木々は伐採されてしまいました。 これから暖かくなれば、またうっすらではなく鬱蒼と草木は生い茂るかとは思いますが、今はさみしい状況です。

 雪解け水のせいでしょうか、広瀬川の水量もやや増えてきているかなと感じます。

 

 これは分流の上流取水口?から下流側を撮ったものです。

 そして下の写真はいつもの河原から見た市街地の様子です。

 

 大都会の中を流れる広瀬川、そういう川で鮎釣りができるのですから嬉しい限りです。これがいつまでも続きますように願うばかりです。


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東日本大震災と宗教者・宗教学者

2013-03-04 21:15:55 | お知らせ

  おととい2日に東北大学川内キャンパスにおいて「東日本大震災と宗教者・宗教学者」というパネルディスカッション等があり、老体にムチ打って?散歩も兼ねて歩いて行ってきました。

 まあ、当日は強風も強風が吹き荒れました。

 この催し物も2月27日の新聞で知ったものです。 個人的にはいろんな社会教育施設で情報を仕入れているのですが、もっともっとアンテナを張っておく必要がありそうです。

 このパネルディスカッションは、宗教学者の山折哲雄さんの基調講演があり、その後いろんな分野の6人の東日本大震災にかかわる報告、それを受けて4人の教授たちによるコメント、最後にディスカッションという構成となっています。

 私は午後1時からの基調講演と6人の報告を聞いて、4時前に開場を後にしました。 基調講演の内容について不完全ではあるでしょうが、お知らせします。

 基調講演した山折さんは82歳で、現役を引退した後も宗教学者として強い影響を与え続けているようです。東北大学の名誉教授でもあるのかな。 演題は 「宗教者と宗教学者は災害とどう向きあうか」 です。 以下は、いささかあやふやな記録と記憶で書いていますので悪しからず。

  震災の起きた一ヶ月半後に被災地に行ってみた。 (宗教学者なのに)ボランティアとしてしか現地に入って行けなかった。 そこでは宗教的言語が心の奥底に届かない現実があった。まさに無常であり地獄であった。 無常とか地獄とは言えなかった。 

 日本は地震列島、不安定な島である。 そこで防災とか減災とか言われてきた。 地震とか津波の性格は何なのか? 地震の予知とか予測は無理である。 地震が起きれば人間の存在を根底から覆す。 そういう地震には宗教的契機(?)が含まれている。 太古からそうして生きてきた。 地震により日本人の宗教性、倫理性が培われてきた。

 それなのになぜ日本人は無宗教になったのか。 そのことを深く考えないできた。

 大きな被害を与えている台風と地震はどう違うか? 季節や方向で予測できるかできないかの違い。 人と人を連結し、災害の大きさを防ぐ。倫理的な人倫関係(人隣関係?)で対応が可能である。 台風は倫理的な契機を内に含んだ災害

 でも、日本人は宗教性、倫理性を失ってしまった。 だからこそ54基もの原発を持ってしまった。 原発をどうしたらいいか?日本人自身の問題、宗教学者の問題である。

 東電福島第一原発の現場で働いている人に対する思い、それは原発の爆発を防いでほしいというもの、でも犠牲にならずに助かってほしいという思い、そういう働く人への配慮は、命の問題は出てこなかった。

 Fukushima Fifties Hero 

 果実は受け取るが、犠牲は見て見ぬふりをする。 問題は未解決のまま。 宗教的言語はここでも頓挫している。  現場からの撤退論を考えないならば、(何を言っても?)絵に描いた餅になる。 せめてそういう問題意識を持つべきである。 

 犠牲を義務とするのか、負の負担を日本人全体で引き受けられるか、それを考えるのが宗教学者である。

 現在の人・物・金という流れはいずれ途絶える。最後に残るのは 祈りの力か、それが何らかの力となり、役割を果たすのかも。

 人智を超える、行動するものがある。それが宗教であり哲学である。 云々と。

 何ともあやふやかついい加減なまとめとなってしまいました。少しでも山折先生が言いたいことが伝えられれば嬉しいのですが・・・。

 

 そしたらきょうの朝日新聞の文化面の記事に、山折先生が基調講演のときに言ったことと同じようなことが載っていました。 「思潮 あれから2年」というコーナーです。

 見出し; 原発事故 政治と倫理のジレンマ  撤退という選択肢

 さすが新聞です。まことに見事にまとめられています。脱帽だな、悔しいけど。 図書新聞12年1月1日号で山折先生が語っていたことです。1年2か月前か。

 ””少々極端なことをいえば、福島原発で働いている人たちの生命にもし危機が訪れたら、全員撤退させるという選択肢があると思っています。  そうなれば放射能は全国にばらまかれるが、そのリスクは国民全体で引き受けようーそういう視点が我々の社会にないのはなぜか。   倫理の問題として考え続けるべきだと思った。  誰かが犠牲になることを前提にした文明か、全員救済を目指し、負の結果も全員で受け止める文明か。そのジレンマが存在するという事実から目を背けたままではいけない。””

 他にも小熊英二氏や杉田敦氏の発言も取り上げられています。

 そういう覚悟の上で、われわれ日本人は原発を受け入れることにしたのでしょうか?地震列島に54基もの原発を造ったのです。 あまりに浅はかな考えで取り返しのつかないようなことをしてしまったのではないでしょうか!!

 


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年度末の第9

2013-03-03 21:30:30 | お知らせ

  きのうからJ!リーグが開幕しましたが、ベガルタ仙台は、J2から昇格した甲府と対戦し、1-1の引き分けに終わりました。 負けなかったと思えばいいのかもしれませんが、ここは開幕戦、何としても勝ってリズムに乗りたかったです。 残念です。 どうも仙台は引き分けが多すぎます。 これも負けないだけマシともいえますが、やはり勝負はきっちりと勝って欲しい!!と強く思います。 とくに今年は浦和や鹿島が強そうなので、勝ちそうな相手にはきちっと勝っていくということが絶対に必要です。 ACLも引き分けでした。 早く勝ち癖をつけてほしいですね。

      

 おとといの新聞でみた「お知らせ」コーナーの記事を元に午後から出かけて来ました。行先は県民会館(東京エレクトロン宮城)です。 ここで午後2時から #オーケストラ・ドゥ・センダイ  第10回記念定期演奏会# がありました。 演奏曲目がベートーベンの第九ほかとなっていて、当日券も1000円という安さでした。

 普通第九といえば忙しく慌ただしい”年末”というイメージが強く根付いていますが、”年度末”ということもありですね。 年度末も(現役の人にとっては)何かと慌ただしい時期です。

 ネットで調べたら、合唱は「塩竈第九合唱団」となっていました。塩竈市民が中心となっての合唱か、それならちょっと聞いてみようかな、どんな歌い方をするのか興味がありました。

       (A4版)         

 というのもこの前東北大学の萩ホールに置いてあったチラシで知ったのですが、3月17日(日)に”#1000人でうたう第九多賀城第九コンサート#”があるのです。 しかも入場は無料、整理券必要となっていました。その整理券は2月10日から多賀城市内の3つの施設で配布するとなっていました。 それなら多分もう駄目だろうなと思いつつ、多賀城市文化センターに電話したところ、入場整理券は2月10日当日になくなりましたとのこと。即日完売ならぬ完配ということでした。

   ソプラノ:佐藤順子先生 

 なぜ行きたいと思ったか? チラシを見て是非とも行きたい、行って聞きたいと思ったのは、他ならぬ私が仙台の第九の練習でお世話になっていた 佐藤順子 先生がソプラノのソロとして出場すると書いてあったからです。ボイストレーナーとして、歌う前の発声練習を中心にお世話になっていたからです。 

 17日がだめなら3日雛祭りの日に聞きに行くのもよかろうと、健康も兼ねて歩いて行ってきました。 1時25分頃県民会館に着いたのですが、もうすでにかなりの人たちが並んでいました。 私の後にも長蛇の列です。すごい人気なんだなあと改めて感じた次第です。

 1階の中央からやや右側の席に座りました。 後で放送で知ったのですが、主催者が用意したパンフレットが足りなくなったということでした。ざっと見たところ1000人弱は来ていたでしょうか。 すごい人出です。 主催者側の熱の入れようが伝わってきます。

 オーケストラ・ドゥ・センダイの第10回の記念演奏であること、曲目がベートーベンの第九合唱付きで、合唱団の家族等がたくさん聞きに来たことがここまで熱気あふれた演奏会にしたのでしょう。

 指揮は大浦智弘、ソプラノ 田中三佐代、アルト 高山圭子、テノール 新海康仁、バス 高橋正典 です。(敬称:略) 合唱は「塩竈第九合唱団」と「あつぎ『第9』合唱団」(厚木市からの応援団)です。 パンフレットの最後のメンバー表を見てびっくりしました。男性が圧倒的に少ないのです。

 我々「仙フィルと第九を歌う合唱団」も女性が多く男性は劣勢?でしたが、それ以上に男女比が極端でした。これで合唱が成り立つのか?と心配したほどです。 「塩竈・・・」はソプラノ26人、アルト55人、テノール5人、バス7人、「あつぎ・・・」はソプラノ17人、アルト19人、テノール6人、バス11人 となっています。 二つを合わせると、ソプラノ43人、アルト74人、テノール12人、バス18人の合計147人です。 147人中男性はたったの30人です。20%です。 これで大丈夫なのか?やはり心配しました。

 第九の演奏は2時45分から始まりました。オーケストラの人数は十分多いです。仙フィルよりも多いのではないかと思いました。 オーケストラの演奏は第1楽章では管楽器の演奏が何か不安定で、びくびくしながら聴いているような感じでしたが、第2、第3と進むにつれて安定してきたように感じました。生意気ながら、全体の中で管楽器が馴染んでいないように思った次第です。 それに引き替え弦楽器の方は安心して聞いていられました。

 第4楽章が始まって約8分後、いよいよバリトンのソロのスタートです。216小節 O Freunde,・・・・・ そして男性陣の第一声 238小節 Freude!  257小節からのDeine Zauber・・・は全パートが同じ歌詞ですし、285小節からのJa,wer auch nur・・・も、313小節からのKüsse gab sie uns・・・も同じ歌詞

 411小節からは男性のみの行進曲風の旋律ですから問題はありません。ただテノールが第1と第2に分かれるのですが、はっきりとは聞き取れなかった感じです。 そして543小節からの有名な”歓喜の歌”が始まります。 Freude schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium,・・・ 折角の盛り上がるところなのですが、女性陣に圧倒されています。

 でも次の595小節は男性陣が先に出ます。8小節も。 その後女性パートも入りますが、611小節から618小節までは再び男性パートのみ。

 654小節からの二重フーガ、アルトから出てすぐにソプラノが入り、662小節からテノールが入ります。729小節まで続きますが、ここはソプラノの独壇場みたいな感じでした。仕方がないです。自分たちのことを考えても女性パートが強いです。叶いません。

 それでも感動しました!!

 去年12月22日に自分がステージに立って歌ったところ、1階から3階まで満員で、眩しいスポットライトを浴びての合唱、ステージ奥のティンパニーのすぐ後ろの席で第九合唱のテノールを悔いのないように歌い切りました。 オーケストラの後ろで歌うのは3年間経験しましたが、ステージの正面からオーケストラと合唱を聞くのは初めてです。 後半に行けば行くほど、何と言うのかこみあげてくるものがあり、感激の涙がうっすらと伝わってきました。 去年聞きに来てくれた人が、泣くそうになるくらい感動した、心を揺さぶられたと言っていましたがそれはこういうことかと納得した次第です。

 自分で歌っているときと聞いているときでは、当たり前ですか、感激さが異なります。歌う時は何と言っても緊張していますし、歌い終わればそれだけ大きな肩の荷が降りてほっとします、ほっとひと安心してからじわじわとヤッタアーという達成感と喜びが湧き上がってきます。

 Überwind den Kummer, dann erreich die Freude!  (苦悩を突き抜け歓喜に至れ!)

 


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竹下恵子 ”朗読と音楽の夕べ”

2013-03-02 21:03:41 | お知らせ

 午後からの天気、一体なんですか!?昼のニュースで北日本は猛吹雪に見舞われていることを知りましたが、仙台地方も雪こそ混じらなかったものの、猛烈な風に襲われました。 テレビでは最大瞬間風速26メートルとか言っていましたが、澱橋の上での体感はそれ以上でした。 体は飛ばされそうになり、呼吸も困難になるくらいの強風でした。 川の上だからなおのこと強く吹いたのですが、橋梁補強工事に従事しているみなさんの辛さ大変さは如何ばかりか、同情に堪えません。 本当にご苦労様です。

 

 きのう午後5時30分から8時10分過ぎまで、川内の東北大萩ホールにて かたりつぎ katari-tsunagu 竹下恵子 朗読と音楽の夕べ が開催されました。

              

 入場は無料ですが、事前申し込みが必要とのことで、Eメールで申し込みました。

  

  今年は2回目の実施で、1回目は去年の3月11日に開催されたそうです。 現在東北大学震災科学国際研究所が進めている、災害アーカイブ研究分野のプロジェクト「みちのく震録伝」が集めた記録から、被災者の言葉や思いを文章に起したものを、竹下恵子が音楽とともに語るという、より東日本大震災に寄り添った企画となっています。

 構成は一部と二部からなっており、第一部は講演、報告そして高校生の合唱部の合唱、第二部は法話、朗読と演奏となっています。

 高校生の合唱は仙台南高校の合唱部で、人数は少ないけどハーモニーがとっても綺麗なよく透き通った合唱でした。 あのくらい綺麗な高音が出せたらいいのになあと、羨ましさも少し交えて聞いていました。指揮者の音楽の先生が作曲もするということで、先生の力もすごいことだと思います。こういう熱心な先生がいてこその素晴らしい合唱と言えるでしょう。先月の県合唱アンサンブルコンテストにおいて金賞を受賞、全国大会に出るそうです。 羨ましい!!私も本当に久し振りに、鮎釣り大会の全国大会に出たいです、今年こそは何としても出たい!チャンスの年ですから!!

 

 朗読と演奏、朗読はもちろん竹下恵子、阪神淡路大震災以来、ボランティアで被災者とつながる朗読を14年間続けているそうです。 「みちのく」では2回目の朗読となります。

 朗読は7編です。同時演奏はチェロとピアノ。スクリーンの映像も加わります。この演奏者が凄いのです。

 チェロの原田 哲男さんは去年の9月まで仙台フィルの首席チェロ奏者でした。 とっても人気のある方で、隠れた?ファンがたくさんいるのです。私は全く知りませんでしたが、でも彼とはベートーベンの第9で去年の#せんくら#まで一緒に演奏しました。誇りに思います。 そういえば、イズミティ21大ホールでのせんくらのフィナーレを飾ったあと、きょうを持って退団するという話しがあり、花束贈呈がありました。

 原田さんが言うには、朗読の原稿に合わせて演奏曲を選んだそうで、チェロ要の曲ではない曲も選曲したそうです。だからなのですね、それぞれの原稿の内容と、当然のことですが語り部の竹下さんの朗読と見事に一致した演奏となっていました。

 朗読とは別に演奏が2曲ありました。 ロベルト・シューマンの「幻想小曲集 作品73」とセルゲイ・ラフマニノフの「ヴォカリーズ」です。

 

 そして語り部の、朗読してくれた竹下さん、意外と小さい人だなと思ったのですが、原田さんやピアノの鷲宮さんが大きいからそう見えたのかもしれません。 会場からみてほぼ中央にピアノ、左手にチェロ、右手に椅子に腰かけた竹下さんという位置関係です。

 いやあ、さすがだなあと感心しきりです。 長年の実績があるから当然と言ってしまえば当然なのでしょうが、それにしても7人の方の言わんとしていることを、方言も交えて何とも的確に、感情に高低をつけて朗読するのです。 間違ったり言い直したりすることも当然ありません。 間がいいのですね、憎いくらいに。 声も高い声ではないのがいい。 すごい、さすが、と思わざるを得ません。

 7つの朗読の中で一番感銘を受けたのは、石巻市 阿部 邦子さんの 『ガレキはゴミじゃない』 でした。

 ・・・他人にとっては、確かにゴミかもしれないね。でも、ガレキになっているのは、もともと私達が大切にしていた「物」なんだよね。・・・。ガレキの中には、大切な物が山ほどあったはずなの。・・・。ガレキが無くならなければ次へは進めないのは、わかってる。でも、ガレキをただゴミとして処分しただけでは、いつの日か震災は風化してしまう。だからこそ、・・・、ガレキを片付けてくれる人が、私達と同じようにガレキをただのゴミだと思わないでくれれば、きっといつまでも震災のことは語り継がれると思う。・・・。

 

 これは OCTOPUSーKUN です。 

 凧のピンバッジです。南三陸復興ダコの会 YES工房 製作  380円  材料の木は、南三陸の震災被害木だそうです。


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