鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あれは50年近く前のこと

2007-06-09 23:35:48 | 思いつくまま

 今日の朝日新聞の土曜日版。be on Saturdayの「愛の旅人」。

 見出しは一杯あり、「若い二人が死んだ訳」「愛新覚羅彗(この下に「心」がつく”あいしんかくらえいせい”)生と大久保武道」「遺簡集『われ御身を愛す』」「ひそかに寄り添い続けて」。何しろ新聞のほぼ2ページ分を占めている記事です。

 この記事を読み、かつ二人の写真を見て、小学校の頃の記憶がありありと?浮かんできました。

 

 1957年・昭和32年12月4日の天城山山頂付近の八丁池で、二人の心中事件があったわけです。

 女性の方は、愛新覚羅溥儀のめいにあたる「えいせい」、二人はともに学習院大学国文科2年の同級生だったということです。(いずれも、新聞記事によります。) 

 

 もちろん当時はなぜ心中したのかなんかは分かりません。

 ただ山の中で若い男女が心中した、しかも拳銃による心中ということ、心中ということはどういうことか分かっていたはずはありません。

 分かったことは若い男女が拳銃で死んだということ、そのとき新聞に載っていた女性の方の写真がとても綺麗というか、とっても印象に残ってしまったのです。

 確かにきれいだなあ、こんな人が何で死んだのだろう、しかも拳銃で。

 19歳とは記憶してませんが、まだ学生同士で若かったこと、そんな若いのになぜ死んだのか、そのとき何かが小学生の心の中に起きたのです。

 何か訴えるものがあったのでしょうか。脳裏に焼きついてしまいました。

 

 それが50年目にして天下の朝日新聞で大々的に取り上げられるとは。

 新聞によると、男性側では同意による心中、女性の側では男性による無理心中と捉えていたようですが、八戸の武道のお墓には二人の遺髪とつめが密かに埋葬されていたそうです。(合掌)

 

 話はガラット変わります。毎月お知らせしているアクセス件数等を(しぶしぶ、いやいや)報告します。

 4月までは、それなりに順調にアクセス件数は増えてきたのですが、5月に入って減少に転じました。正直言って、残念です。

 淋しいことですが、これが現実で、内容がおもしろくないからでしょうか。仕方のないことです。

 かといって、おもしろい内容にしようとばかりしているわけではないし、要は言いたいことを言い、書きたいことを書く、結果は、評価は(いやですねえ、今の世の中何でもかんでも評価、評価です。)アクセス件数の増加または減少として現れてくるが、そんなことはどうでもいいと(小泉や安倍のごとく)開き直られればいいのですが・・・。

 いずれにしても自分の責任、自己責任です。自分で自分を浅ましいと思ってしまいます。いつものように前置きばかりながくなりました。

 

 5月の閲覧数(PV数):118 ・アクセスIP数:59 でした。

 4月は、130 62 でした。3月が103と50でしたから、3月よりはよかったのですが。

 

 写真の説明は明日以降にします。


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政宗 敗れたり・・・

2007-06-08 21:49:00 | お知らせ

 上原のあの投球は一体何なのだ!!

 ああいう投球が許されるのか!!

 しかも、9回の表というのに!!

 ずるい!許されない!

 なんなのだ、あの巨人のユニホーム姿は。

 V9時代のユニホームとか。

 そして川上や長嶋、V9当時の錚々たるメンバーを揃えてしまった。一体なぜか。

 そんなことをしなければ勝てないのか!!

 過去の栄光を振りかざして、過去の幻で威圧して勝とうとする、まさにけしからん仕業!!

 

 「浅野」が「石原」ごときに負け、また今日「政宗」は江戸征服ならず・・・。依然として家康の空手形に振り回されたまま・・・。

 あんなに、有銘が好投していたのに、6回裏か、ツーアウトから三連打で(スリーランホームランで)逆転されてしまった・・・。

 その後も2連打され、合計5連打されてしまった。

 悔やまれるのは、6回表か、ツーアウト満塁の場面で追加点が取れなかったこと。敗因はこれに尽きる。

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新聞記事

2007-06-07 23:08:03 | お知らせ

 昨日の河北新報(地元の新聞)の記事です。

 見出しは「相続税14億円脱税容疑」「大津地検 アユ養殖業の妻ら逮捕」です。

 脱税したのは、米原市にある「天の川鮎苗出荷場」です。 

 

 凄いのは、脱税が固定資産ではなく、現金や預貯金、国債だそうです。

 ちなみに、申告しなかった財産は、預貯金が17億6000万円、現金が12億円、国債が3億2000円だそうです。

 

 そんなにアユの養殖は儲かるのでしょうか???各河川の漁協は数量等を騙されてはいないでしょうか???

 信じられないことです。

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男の料理と沖縄と

2007-06-06 23:28:39 | お知らせ

 写真は、市民センター主催の男の料理教室に参加してつくった料理です。

 初めてのデビュー(アメリカに渡米?)?です。記念すべき日です。

 退職と老後のことを考えて、少しでも自立して、奥さんの濡れ落ち葉にだけはならないように注意すべく、まず手始めに料理からの挑戦です。

 

 料理の内訳ですが、「鮭のみそ焼き」「切干大根のツナみそ風味」「かぼちゃのレーズン煮」「生姜ご飯」「そば粉とあずきの蒸し羊かん」(これは先生がつくりました。)です。12人の男たちとつくりました。

 うまかったです。来週もあります。料理の中身は分かりません。楽しみです。 

 子どもたちが使ったエプロンが役に立ちました。バンダナは夏用に一杯持っていますので、それを使いました。

 

 ところで、今日6月6日は、沖縄戦で海軍部隊司令官太田実少将が沖縄から海軍次官あてに最後の訣別電報を打った日です。この日及びこの電報の内容は、我々は決して忘れてはならないと思います。

 以下は、ウイキペディアからの引用ですが、日本人として、心して何度も読み返す必要があるのではないでしょうか。

 特に改憲を、何が何でも成し遂げようと狂騒して突っ走ろうとしている祖父と同じく売国奴である安倍は襟を正して声に出して読んでみるべきものです。読んでもバカな安倍は分からないかも。

 戦後レジームからの脱却というのなら、真っ先にやることは改憲、憲法の改悪ではなく、日米同盟からの脱却であるべきです。

 日米安保条約の呪縛からの開放なくして、何が戦後レジームからの脱却か!!安倍のやろうとしていることは、正に戦前回帰ではないか!!

 戦後の一番若い総理大臣のいうことが、いくら戦争のことを知らないとはいえ、戦前への回帰、復帰とはあきれて物も言えません。これほどの日本人、日本民族の不幸があるでしょうか!!こんな奴を支持している国民も国民です。

 

海軍次官宛の電報<o:p></o:p>

発 沖縄根拠地隊司令官<o:p></o:p>

宛 海軍次官<o:p></o:p>

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度<o:p></o:p>

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ<o:p></o:p>

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ<o:p></o:p>

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ<o:p></o:p>

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ<o:p></o:p>

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ<o:p></o:p>

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ<o:p></o:p>

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ<o:p></o:p>

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン<o:p></o:p>

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ<o:p></o:p>

沖縄県民斯ク戦ヘリ<o:p></o:p>

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ<o:p></o:p>

  • 文中の□部分は不明 <o:p></o:p>

 

 何度も書いていますが、戦陣訓です。これが軍人のみならず民間人まで浸透した結果が、この悲劇です。

 戦陣訓をつくった東條英機の孫娘が参議院選挙にでるとか。それでも日本人か?恥を知れ!といいたい。祖父の代わりに見事自決してみろといいたいくらいです。満足に自決もできなかった祖父の孫娘が、なぜ靖国云々といえるのか。

 

 折りしも日本陸軍は憲兵隊が「国民のあらゆる運動を監視し、詳細に記録している」ということが暴露されました。

 共謀罪もいつ成立するか分かりません。本当に恐ろしい時代に入ったものです。これが安倍のいう「美しい国」ですか。

 

 きりがないので、今日はこの辺で止めます。

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今日のこと(その2)

2007-06-05 22:12:43 | お知らせ

 写真は、夕方の仲の瀬橋の下流の様子です。

 橋脚の補強工事も終了して、ショベルカーで整地というか、元に地形に戻そうとしたようです。

 小さい中州を残して、写真の右側(右岸側になります)も本当に浅い、5センチから10センチくらいの浅さになって、一応は水が流れています。

 右岸の先のほうは浅いトロになっていて、底は砂底、泥底です。そこから下流は濁りが入っています。左岸の方は大丈夫ですが。

 

 この下流には、地下鉄東西線の建設で橋がかかります。橋脚の工事もあります。

 それが川にどんな影響を与えるのか、心配です。何事もないということはないでしょうから。

 景観にマッチした橋とはなっても、肝心の川に魚がいなくなっては、悲しいことです。


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今日のこと(その1)

2007-06-05 21:50:44 | お知らせ

 今日街の中で、何か音がするなと空を見上げたら、何と飛行船が浮いていました。というか風に流されていました。

 まあ一応エンジンが付いていて、それが推進力になっているようですが。

 機体というべきか、船体というべきか、そこには「NISSEN]と書かれていました。「日専連」ということでしょうか。

 はっきり分からないようでは。飛行船で宣伝をする意味がないですよね。と、そんな強気なことを言える立場なんかにないのに、私が知らないだけなのかもしれないのに。

 

  でも、久し振りに見た飛行船です。なんかいいですよね。ゆったりとしていて。全てが迅速、効率のみを追いかけているなか、あえてそれに異を唱えているかのようで、見ていてこころが休まります。

 写真ではケータイのためかとても小さく見えてしまいますが、実際はそんなに小さいことはなかったのです。

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今日の広瀬川(その3)

2007-06-04 22:04:36 | お知らせ

 写真は、家の町内に建設中の野村不動産のマンションです。

 今、外枠の取り外しにかかっています。7階建てで、50余世帯が増えることになります。

 内装の終了までは8月一杯かかるようですが。町内会としては、このマンションの人たちが独自の町内会ではなく、現にある我々の町内会に入ってくれることを願っています。

 多分若い人たちが多いのでは、であれば子どももまだ小さいのでは、そうであれば町内会も若返って、元気が出てくるかもという勝手な予想ですが。

 町内会の集会所はこのマンションのすぐそばにありますし。

 

 見れば分かりますが、なんとも複雑な概観となっています。長方体ではありません。それぞれの部屋に特徴を出そうと苦労して設計しているのでしょうか。

 環境は抜群です。

 

 このほかにもマンションが建設されようとしていますが、それはあとで。


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今日の広瀬川(その2)

2007-06-04 21:52:01 | 思いつくまま

 この石碑は、だいぶ前に建てられたものですが、我々地元に住むものにとっては「松淵」とはもう少し上流の淵を言っていました。

 丁度西道路のトンネルが途切れるところの淵です。みんながそう読んでいました。

 上流の牛越橋のもっと上流上流の淵を「賢淵」といって、この二つの淵は、夏になるとプール代わりとなって、多くの老若男女で賑わいました。

 丸太で作った監視員用の見張り台もありましたし、学校から連れ立って、授業の一環としてここに泳ぎにも来たものです。

 

 自転車の二台に積んで、鈴を鳴らしながら小旗をさして、売りに来たアイスキャンディの味が忘れられません。ミルクキャンディとあずきキャンディ、そしてアイスもなか。5円でした。

 

 昔広瀬川の右岸崖の上には、第二師団の司令部等の建物があり、敗戦後は米軍のキャンプが置かれました。

 その関係で、夏には米軍関係者もやってきて、日本人と米軍人の差を歴然と感じさせられたりしました。

 当時の浮き輪はドーナツ型でしたが、彼らは寝そべって浮くことが出来る浮き袋を持っていました。

 

 また古いふるい昔話となってしまいました。

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今日の広瀬川(その1)

2007-06-04 21:33:01 | お知らせ

 広瀬川の水量はますます減り続けています。

 間もなく左岸側の岩盤が露出するのではないかと思います。

 

 仙台地方の入梅は来週の後半くらいになりそうとか。梅雨に入れば、いくらなんでも雨は降り、川の水量も増えることでしょう。

 

 2日の土曜日ですか、霊屋橋下流の水の中で鮎のハミ跡を見ました。当然小さいハミ跡ですが、鮎がいることは確かです。

 定点観測のところでは、まだ見ていませんが。

 

 青大将が出てこないか、この頃注意して見ているのですが、みつかりません。蛇のためには、人間には見つからない方がいいのですが。


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昨日と今日のこと(その3)

2007-06-03 23:28:48 | 思いつくまま

 今日次男の大学の卒業写真集(アルバムですよね)が届きました。

 卒業後2ヶ月ちょっとですか。今は卒業後、数ヶ月してから自宅に届くようです。

 奥さんが言うには、長男のときは夏頃に届いたとか。だから、今回の件は早いと言っていました。

 パラパラとめくってみました。前編ならぬ全編カラー写真です。今時当たり前ですか。20歳前後の元気はつらつそのものの若者たちの写真で溢れています。

 

 親たるもの、やはり自分の子どものことが気になるもので、次男の学部の写真を探しました。余り写っていません。

 研究室での写真もありません。掲載依頼しなかったからとか。自分たちの研究室の先生以下研究生との写真を送らなかったからといいます。

 でも、親たるものそれではさみしいですよね。やはり我が子の写真は一杯掲載されていて欲しいと思います。 

 

 でも、考えてみると、私はそういう資格はないのかも。自分の大学時代のことを考えてみると、我が子を責める?ことはできません。

 何といっても私のときは、卒業アルバムはなかったのですから。そもそも入学式のときでさえ、同じ学部生とか同じ学科の学生とかで写真を撮ったという記憶がありません。だから当然入学式の写真はありません。

 というか、そもそも学生時代の写真そのものがほとんどありません。だから自分の親に見せたくても見せられなかったし、見せてやろうという気にもなりませんでした。

 

 入学式にはでました。この時は母も出ました。

 でも、卒業式には出ませんでした。卒業式自体はありましたが、意識的に出ませんでした。ボイコットしたつもりでした。

 4年間にいろんなことがあり、率直に卒業を喜べませんでした。我々の時代は大学闘争が盛んなときでした。

 書き出せば限りがありませんのであまり書きませんが、いろいろあったなかで一番は、友達が東大安田講堂に立て篭もり、機動隊との戦いの後捕まりました。

 一方でもう一人の小学校からの友達は東大一直線で頑張ってきて、今年こそは大丈夫だと自信を持ったのに、安田講堂の攻防戦等の影響で(政府の嫌がらせ)東大の入試が中止になってしまいました。

 この時は本当に辛かったです。そういうことがあって、卒業式はボイコットしたわけです。一部の団体は卒業式粉砕を叫んでいましたが。

 でも、お恥ずかしいことに、卒業式の数日あとには、卒業証書を受取りに大学事務室に行き、事務官から嫌味を言われながら卒業証書を受取ってきました。

 屈辱でしたが、今後のことや親のことを考えれば、もらわないわけにはいきませんでした。 

 

 そういう複雑な心境で次男の卒業アルバムを見た次第です。

 とっても爽やかな一日でした。

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昨日と今日のこと(その2)

2007-06-03 22:56:24 | 思いつくまま

 買い物の帰り、澱橋を走っていたら、川面にカヌーが浮かんでいました。河原には車が4、5台入っていました。

 帰宅して、安物買いの銭失いのデジカメを持って河原へ。

 しかし、浮かんでいたカヌーは何処かへ消えていて見えず。車のみ整然と並んでいました。それが写真のとおりです。

 

 今年はカヌーの練習を見るのは初めてですが、春先か、エイトというのですか、細長いボート、8人か10人くらいで漕ぐボート、その練習は見たことはあります。

 

 思い出しました。去年はカヌーを見ました。カヌーで河原の川の中のゴミを拾うというイベントを行っていました。 

 どろんとした、いかにも橋の名前のようになってしまった「澱み」では、カヌーの練習には好都合なのかもしれません。

 

 車の奥に見えるマンションには、楽天の選手等が一杯住んでいます。

 因みに、宮崎県出身の福盛選手も住んでいるようです。2歳になった男の子と河原を散歩するのが好きだと、タウン誌に書いてありました。奥さんが。


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昨日と今日のこと(その1)

2007-06-03 22:44:17 | お知らせ

 昨日は、眠くて眠くてパソコンの蓋を開ける事もなく寝てしまいました。

 350mlの缶ビール二本でもうだめです。正しくは発泡酒です。どうして家で飲むとすぐ酔ってしまうのでしょうか。

 

  昨日は私は仕事でしたが、うちの奥さんと次男と私の義父(つまり妻の実父)の3人は午後からの楽天と広島の野球を見に行きました。

 楽天側は三塁ですが、席は一塁側でした。 

 なぜか、我が家ではセリーグでは広島ファンだから。奥さん以外は広島ファン。子どもは熱狂的な広島ファンで、そのための一塁側でした。

 しかし、試合は楽天の勝ち、母は喜び、子どもは落込み。

 

 でも三世代で野球の試合を見るというのもいいことでしょう。今後も出来るかどうかわかりませんし。

 

 写真は、いつもの広瀬川。小さいですが、拡大すると真ん中に白い鳥が見えます。これが何とウミネコです。2羽いて、ミャーミャーと鳴いています。(釣り人は泣いています。)


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釣果は如何

2007-06-01 22:35:21 | 広瀬川

 那珂川に釣行した皆様、久慈川に釣行した皆様、釣果はどうだったでしょうか??

 釣れましたか??大きさはどうでしたか??納得のいく釣果、大きさでしたか??

 明日の新聞等の報道、釣り人のホームページやブログ、関係漁協のホームページ等を開くのが楽しみです。

 

 広瀬川の解禁日はあと一ヵ月後です。

 東北地方の解禁は7月1日です。時間はバラバラ。

 ちなみに広瀬川は7月1日午前4時に解禁です。

 

 かっては4時前に川に行っていたのですが、この頃は重役出勤?で、竿を出すのは早くて5時、遅くて6時頃ですか。

 4時前はまだ暗いのです。それもあるのですが、広瀬川は鮎が少なく、釣れなくなってきたので、解禁日とはいえ釣り人が少なくなってしまったからです。

 なにも急いで川に入って、場所を確保しなくてもよくなったからです。淋しい限りです。

 

 またもや「かっては」ですが、澱橋の上流には釣り人が一杯竿を出して、マスコミも一杯来ていたのですが・・・・、それも今は昔の話しです。

 

 東北地方以外は解禁日というお祭りの日なのに暗い話で申し訳ないです。

 華々しい釣果報告でこの屈折した気分を吹き飛ばしてください!!


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