鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

今日の広瀬川(その3)

2007-06-04 22:04:36 | お知らせ

 写真は、家の町内に建設中の野村不動産のマンションです。

 今、外枠の取り外しにかかっています。7階建てで、50余世帯が増えることになります。

 内装の終了までは8月一杯かかるようですが。町内会としては、このマンションの人たちが独自の町内会ではなく、現にある我々の町内会に入ってくれることを願っています。

 多分若い人たちが多いのでは、であれば子どももまだ小さいのでは、そうであれば町内会も若返って、元気が出てくるかもという勝手な予想ですが。

 町内会の集会所はこのマンションのすぐそばにありますし。

 

 見れば分かりますが、なんとも複雑な概観となっています。長方体ではありません。それぞれの部屋に特徴を出そうと苦労して設計しているのでしょうか。

 環境は抜群です。

 

 このほかにもマンションが建設されようとしていますが、それはあとで。


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今日の広瀬川(その2)

2007-06-04 21:52:01 | 思いつくまま

 この石碑は、だいぶ前に建てられたものですが、我々地元に住むものにとっては「松淵」とはもう少し上流の淵を言っていました。

 丁度西道路のトンネルが途切れるところの淵です。みんながそう読んでいました。

 上流の牛越橋のもっと上流上流の淵を「賢淵」といって、この二つの淵は、夏になるとプール代わりとなって、多くの老若男女で賑わいました。

 丸太で作った監視員用の見張り台もありましたし、学校から連れ立って、授業の一環としてここに泳ぎにも来たものです。

 

 自転車の二台に積んで、鈴を鳴らしながら小旗をさして、売りに来たアイスキャンディの味が忘れられません。ミルクキャンディとあずきキャンディ、そしてアイスもなか。5円でした。

 

 昔広瀬川の右岸崖の上には、第二師団の司令部等の建物があり、敗戦後は米軍のキャンプが置かれました。

 その関係で、夏には米軍関係者もやってきて、日本人と米軍人の差を歴然と感じさせられたりしました。

 当時の浮き輪はドーナツ型でしたが、彼らは寝そべって浮くことが出来る浮き袋を持っていました。

 

 また古いふるい昔話となってしまいました。

コメント (1)
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今日の広瀬川(その1)

2007-06-04 21:33:01 | お知らせ

 広瀬川の水量はますます減り続けています。

 間もなく左岸側の岩盤が露出するのではないかと思います。

 

 仙台地方の入梅は来週の後半くらいになりそうとか。梅雨に入れば、いくらなんでも雨は降り、川の水量も増えることでしょう。

 

 2日の土曜日ですか、霊屋橋下流の水の中で鮎のハミ跡を見ました。当然小さいハミ跡ですが、鮎がいることは確かです。

 定点観測のところでは、まだ見ていませんが。

 

 青大将が出てこないか、この頃注意して見ているのですが、みつかりません。蛇のためには、人間には見つからない方がいいのですが。


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