きのうのことから。
去る5月26日に特別定額給付金申請書が送ってこられ、即3人分世帯主である私が記入して投函しました。個人に支給するというのに、支給先は「世帯主である」ということが今の日本の状況、行き詰まりの状況を表しているように感じます。(世帯主・家長制度・大家族制とかをいまだに唱えているに自民党政権が続く限り限り、日本の少子化は絶対によくなりません。子どもの数は増えません。)
そしたら、きのうの午前お昼前のことです。奥様が銀行の封筒を渡すのです。えっ今月は小遣いが早いのか!?と思ったのですが、早すぎます。ちなみに小遣いはいつも月末ぎりぎりに支給されます。
そしたら給付金というではないですか!?給付金、そうです、特別定額給付金の10万円が入っている封筒です。きょう(11日)支給日だからとのこと。こっちはまさかこんなに早く支給されるなんて考えてもいませんでした。
10万円です。夏の前の100万円ではなく10万円、これは使い勝手がありますね。さっそく仏壇に供えました。我が家では昔昔から何かもらったりすると、まず最初にご先祖様に報告する習わしなのです。小学校のときは通信簿もそうでしたね。
就職してからは給料袋もそうしていました。もちろん頂き物も最初は仏壇です。和菓子なんか買ってきても、まずは甘いものが好きだった両親に、仏壇にお供えします。何もない時は、お茶と水とごはんの三点セットです。
きょうは6月12日。1978年の今日夕方宮城県沖地震が発生しました。ブロック塀の下敷きになって多くの方が亡くなりました。私にとっては、何といっても忘れられないのは、その日の日中に初産で出産が遅れていた奥様が入院した日なのです。
仕事もそこそこに病院に向かい、病院の玄関前に来た時に急にぐらっと来たわけです。いやあびっくりです。立っていられませんでした。電柱か何かにつかまって転ぶを避けました。いったい何が起きたんだと!頭はくらくらでした。
そうししているうちに、病院の玄関から妊婦さん達が多数出てくるではないですか。慌てて我が奥様を探しました。記憶はいい加減ですね。風化します。はっきりと見つけられたといっていいのかはっきりしません。
でもたぶん見つけられて、しばらくしてから病院のベットに戻ったように思うのですが・・・・。そして悪戦苦闘すること数十時間(我妻がです)、翌日13日になってようやく初めての子が生まれてきてくれました。
ガスも止まったままだったので、お湯の産湯は使えなかったそうです。忘れようとしても忘れられません。
いままでも何回も閖上(ゆりあげ)という文字を書いてきました。でも改めて考えてみると珍しい字ですよね、閖(ゆり)という文字は。由来は下記のとおりです。
名取市震災復興伝承館の続きです。「閖」の字の由来も伝承館にあったものです。私は挑戦しなかったのですが、下駄のほかにこういうユニークなものもありました。
今度行ったらぜひとも挑戦してみようと思います。でも力がないからなあ~。
下は閖上中学校です。2時46分で止まった大きな時計が見えます。
一昨日の夜は夜じゅうずーと21度を下回りませんでしたが、昨夜は22度を超えていました。そして今日の目下のところの最高気温は午後1時49分に記録した32,0度です。きのうより暑いです。時々思い出したようにパラパラと雨は降るのですが、続きません。これで三日連続の真夏日です。
(閖上朝市の場所です。右奥に手前が青果棟、奥が水産棟となっています。)
きのう見た宇都宮市では、大雨による大増水で市内も水びたしでした。たいして違わないのに、この大きな違い。この分では宇都宮市内を流れる鬼怒川は大増水でしょうか。宇都宮市内を流れる鬼怒川には、忘れたくても悔しくて忘れられない記憶があります。
(買った食材で、バーベキューが即楽しめます。)
がまかつ主催の東日本ブロック大会に出るために前日宇都宮市へ行きました。翌日好天の中東日本ブロック大会のスタートです。何のグループかはすっかり忘れていますが、鬼怒川の規模の大きさに圧倒され、小砂利の山がいたるところにあり、どこを川が流れているのか分からないくらいでした。
(すぐ奥がヨットハーバーです。)
流れを見つけ(?)、私の好きなやや深めのゆったりとした流れです。ここにいないで、どこにアユがいると思わせるような流れだったのですが、早々に根がかり。外しに行きたくても流れに負けそうであと一歩が踏み出せません。
竿を煽るうちに折れてしまいました。折れたのは2番目かな。この時の竿はがまかつファイン・スペシャル引き抜き早瀬95でした。おとりを失い、竿も折ってしまった。でもこの時は変わりの竿を使うことができたので、係の人に言って、昔々のヴィンテージ引き抜き急瀬90を使うことにしました。
最初のところから下って行きました。先行者はそれなりに掛けていました。よしここで、粘って何とか数を稼ごうと決意し、竿を出します。するとほどなくいい当たりが伝わってきました!!!やったあ~、心で叫んで抜きの態勢に入ります。
しかししかししかし、あろうことか空中を飛んでくることなく、抵抗はなくなり、空中糸がヒラヒラするばかり・・・・。そうなのです、下のつけ糸方のすっぽ抜けでした。これで私のがまかつ東日本大会は終わってしまいました。でもまだ完全にはあきらめずに、最初の折れた際を探し回りました。なんとかおとりアユを確保できれば、再度挑戦ができるわけですから。でも、・・・・・。
そういう苦い思い出のある川なのです。鬼怒川は。