今日の朝日新聞の木児、ならぬ記事です。 見出しは 「幕末の和製銃 桜田門外の変で使用か」というもの。 何ともワクワクするような、こころが踊る気持ちで記事を読みました。
写真がついていましたが、西部劇で使われていた回転式拳銃、コルトリボルバーそっくりではありませんか。かなり銃身が長く、全長35.4センチもあります。
ペリーが2度目の来航の際、最新式のコルト社製の拳銃を、将軍家や幕府の閣僚などに贈ったとのこと。 その時のコルト社製の拳銃を模して日本人が作ったものというから、凄いことです。感心するばかりで、技術の高さ、日本人の職人芸の素晴らしさに脱帽です。 何かとても誇らしくさえ思います。愛国者だなあとつくづく思います。
ただ、この銃が水戸藩で作られ、桜田門外の変で使われた(らしい)ということについては、率直に納得できません。受け入れられません。井伊直弼の暗殺に使われたりしなければよかったのにと思うことはおかしいでしょうか。 個人的にはもっと井伊直弼に幕府の政治を任せてもよかったのではないかと思うからです。
こんなことは今更どうのこうのと言っても始まらないことです。「たられば」は夢、妄想を逞しくさせてくれますが、男の宿命?でもあるのではないでしょうか。
気にかかったのは、銃弾はどうなっていたのかということです。6連発銃とのことですので、回転式弾装に実弾ははいっていなかったのでしょうか。銃は作っても、銃弾までは作らなかったのでしょうか。弾丸、薬莢、火薬それらもまねして作ったのではないかと思うのですが、残ってはいなかったのでしょうか。
拳銃とか刀は男のロマン!なんて言ったら、とんでもないと言われるかもしれませんが、武器というものの持つ存在感・神秘性・崇高さ・冷酷さ・冷徹さは男をひきつけて止みません。
以下の内容はR-18指定です。
中学校のとき、おもちゃの拳銃を作ったことが思い出されます。お祭りの夜店でよく売られていた金属製のおもちゃのピストル、これを改造したのです。銃身には傘の心棒(金属製の骨)を切って取り付け、針金で補強しました。薬莢はなかったのですが、牛越橋を渡ったところの小高いところに旧射撃場があり、そこから雷管を拾ってきて、薬莢の代わりとし、その中に紙火薬から取った火薬を入れ、さらに短く切った釘や空気銃の弾を入れて完成です。でもそれだけでは役に立たないので、弾や火薬が落ちないように紙で封をします。そしてこれが肝心なのですが、雷管の中の火薬が爆発しないことには弾は飛びませんので、いかにして雷管の中の火薬に着火させるか、それは雷管の後部に小さい穴を開けて、そこに丸い紙火薬を貼り付けて乾燥させて本当の完成となります。つまり、撃鉄で雷管の後ろに貼った火薬を爆発させると同時に内部の火薬にも引火して爆発し、中の弾を発射するという構造です。河原で何回か実射したことがありますが、凄かったです。凄い音がして炎とともに弾が発射され、雷管は後ろに2、3メートルも飛びました。銅製の雷管が真っ黒になったものです。
以上のことは、大変危険ですので、良い子のみなさんは決してまねをしないようにお願いします。