鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

懐かしいこと

2009-07-08 21:55:45 | お知らせ

(その1) 昨日の地元の河北新報の記児(=記事)です。(「きじです」と入力すると、「記児です」となります。バカか!?) 見出しは;「カルメン・マキ40周年記念アルバム」 「『歌えることに感謝』」 「『戦争は知らない』など10曲」

 カルメン・マキ、まだ元気だったのですね。嬉しいです。私が学生時代にデビューし、”時には母のない子のように”、”ヤギに引かれて”、と言う曲が当時流行ったと思います。あまり抑揚のない、けだるいようなくらい感じの歌が、当時の社会風土を映していたのではないかと思います。 また、これらの曲は単純なメロディで、かつコードも簡単だったため下手なギターを爪弾きながら歌ったものです。単純なアルペジオで間に合った。

  

(その2) 今日の朝日新聞。「あずきバー、めざせ2億本」 「井村屋 夏の定番、安心・素朴な味人気」という見出し。

 みなさんは「あずきバー」は好きですか? 昔はバー何て言わず、「あずきアイス」といったように記憶しています。いや「あずきキャンディー」か。もう一方の雄は「ミルクキャンディー」。???「あずきアイス」と「アイスミルク」か? まあ、それはどちらでもいいのですが、こどものころはともに1本5円でした。美味かったなあ。自転車の後ろの荷台に木製の冷蔵庫にアイスキャンディーを積んできて、チりン、チリンとベルを鳴らしながら売りに来たものです。そして荷台には氷の旗指物が翻っていました。

 衛生状態は今と比べたら好ましいとはいえないかもしれませんが、夏の風物詩としての棒アイスは忘れられません。

 より高級なものとしては、アイスモナカがありました。これは丸い円盤状のもので、1個10円でした。

 どちらにしてもあずきが大好きな私としては、どちらも大好きでした。今でも好きです。時々風呂上りにあずきバーを食べます。 包装紙をよく見たら、井村屋でした。新聞記事と同じです。

 現在のあずきバーは発売後38年、今年は初の2億本超えに挑戦しているとか。私もこの頃大分売り上げ増に寄与しています。 何億本売ろうが構いませんが、今後ともずーとなくなりませんように願っています。

 みなさんも夏はアイス、あずきアイスを食べましょう。あずきアイスで夏を乗り切りましょう!!

     

 今夜、予定通り秋保温泉のあるホテルにて、フジテレビ系ドラマ「浅見光彦シリーズ」にエキストラとして出演してきました。題名(分かっていますが)は言いません。

 きょうはとっても楽しかった。演出家やスタッフと和気藹々のうちに撮影は終了、夜9時の予定が7時には終わったのでありがたかったです。 9人(男6人、女3人)というこじんまりとしたエキストラだったからということもあるでしょう。

 主人公の中村俊介、教授役と准教授役の3人の場面が多かったのですが、我々は教授の学部長就任をお祝いし、教授を囲んでお祝いの言葉を言う役。その後はロビーの立派なソファーに座って3人の演技を見るともなく見るという役。その前に私ともう一人の男性が、ホテルに入る場面の撮影も行いました。

         

 写真は今日のエキストラ出演記念のシャープペンシルです。 この犬はフジテレビのマスコットなのでしょうか。 これで2本目です。最初は「まだ見ぬ父へ母へ」(だったかな?)盲目の歌手新垣さんを取り上げたテレビドラマです。小池徹平主演でした。その時はボールペンでした。(犬がテレビカメラw担いでいます。)

 面白かったのは、9人のうち私も入れて3人(内女性一人)が、4、5年前の映画「ええじゃないか日本・気仙沼伝説」のエキストラとして出演していたというのです。 エキストラは1回やったらやめられません。機会があればみなさんも是非出てみることをお勧めします。

 スタッフの多さ、大変さ、勉強熱心さ、ヤル気満々さ?熱気が伝わります。たくさんのスタッフがかかわって、一つの映画なり、テレビドラマが生まれるということが分かります。


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