鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

寒い日が続きますが・・・

2007-03-17 23:37:07 | 提案・要望

 3日くらい前から、不覚にも体の底からこみ上げてくる咳が止まりません。辛いです。止めようとしても止められないのです。これは寝ていてもこみ上げてきたりして、体力を消耗します。

 幸い熱はなく、体もそんなにだるくもないので、出勤しています。今日はさすがに自転車で行く気にはなれなかったのでバスを利用しました。寒いからです。

 天気予報では、2月中旬と同じとか言っているので、調べてみたら次のようでした。最高気温の比較です。4日から16日までの比較。左が2月で、右が3月です。

 

 4日 : 5.3-<-11.8

 5日 : 8.8-<-9.4

 6日 : 14.5->-12.5

 7日 : 7.5->-4.9

 8日 : 9.6->-7.5

 9日 : 9.5->-6.6

 10日 : 6.3-<-8.0

 11日 : 7.2-<-9.4

 12日 : 7.0->-2.0

 13日 : 7.8->-5.9

 14日 : 2.8-<-6.8

 15日 : 8.5->-7.3

 16日 : 7.0-<-8.8

 

 13日間の比較だけですが、3月の方が高いのは、4,5,10,11,14,16日の6日、つまり7日は2月の方が高い、3月のほうが低いということになります。

 あよそ信じられないことではないでしょうか!!特に6日は2月も3月も高いのですが、2月は何と14.5度を記録しています。

 折角去年の春から風邪を引かずにここまできたのに、そして妻より今年は全く風邪を引かないねとお褒めの言葉をいただいたりしたのですが、年度末を迎えて体調を崩してしまいました。

 昨日は東京で今年の初雪を観測したといいます。明治9年の観測開始以来、こんなに遅く降ったことはないということです。

 

(話は全く変わって)昭和20年3月16日は、栗林忠道中将が最期の総突撃を前に硫黄島から訣別電報を発した日です。改めて電文を読んでみてもいいのではないでしょうか。

 

 戦局最後の関頭に直面せり  敵来攻以来、き(漢字が探せません)下将兵の敢闘は真に鬼神を哭かしめるものあり  特に想像を越えたる物量的優勢を以てする陸海空よりの攻撃に対し 宛然徒手空拳を以て克く健闘を続けたるは小職自ら聊か悦びとする所なり  然れども飽くなき敵の猛攻に相次いで斃れ 為に御期待に反し 此の要地を敵手に委ねる外なきに至りしは 小職の誠に恐懼に堪へざる所にして 幾重にも御詫び申し上ぐ  今や弾丸尽き水涸れ 全員反撃し 最後の敢闘を行はんとするに方り 塾々皇恩を思ひ粉骨砕身も亦悔いず  特に本島を奪還せざる限り 皇土永遠に安からざるに思ひ至り  縦ひ魂魄となるも 誓って 皇軍の捲土重来の魁たらんことを期す  茲に最後の関頭に立ち 重ねて衷情を披瀝すると共に 只管皇国の必勝と安泰を祈念しつつ 永へに御別れ申上ぐ 

 国の為重きつとめを果し得で矢弾尽き果て散るぞ悲しき

(三首の辞世の句のうちの一首目)

 

 昔の人は?本当に言葉や字句をよく知っています。というか今の我々が知らなすぎるということなのでしょうか。感心するばかりです。

 沖縄戦で自決した海軍の太田実指揮官の訣別の電報も胸を打つものがあります。「沖縄県民かく戦へり・・・後世特別のご高配あらんことを・・・」でしたか、「特別のご高配」どころか、永久に本土に成り代わって米軍基地を押し付けられ、差別され続けてきたではないですか。此れでいいのでしょうか。

 沖縄は日本から独立すべきですね。独立して、米軍を追い出すべきです。独立まで行かなくても、関税特権を持ったりして何とか自立してほしいなとか勝手に思っていますが。

 

 翌17日はロサンゼルス五輪馬術で金メダリストの西竹一中佐が戦死したことになっていますが、これははっきりしたものではないようです。16日に訣別電報を発し、26日に総攻撃を敢行して、組織的な抵抗が終わったことになっています。

 

 しかしですよ、未だに硫黄島には、一万人前後の日本軍の将兵の遺骨は土のなかに埋まったままなのですよ。

 これは硫黄島に限らず、南洋諸島の島々、インドネシア、フィリピンにおいてもそうですが、世界第二位の経済力かなにか知りませんが、戦後の復興・繁栄は戦死者のお陰だとか言いながらも、肝心の遺骨はほったらかしにしておく、それでいて英霊だとか言いながら靖国神社に参拝したりしている、こんな馬鹿なことがあっていいのでしょうか。

 私に言わせれば本当に英霊と思い、敬っているとは到底思われません。口先だけです。国民も国民ですが(犬死させられたのに、そう思いたくないために目をそむけている)、何年かかっても、いくらお金がかかっても、本当に平和国家をつくろうと思うのであるならば、戦没者の遺骨を徹底的に収集すべきです。

 長くなりました。この件はいづれまたの機会に。

 

 

コメント (1)
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