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こんなりっぱな人が市長の松本市政ってどうよ?【動画】

2008年05月09日 | 偉大な先人&話題の人

<!-- 第113回 「チェルノブイリの傷 奇跡のメス」(原発事故の被災者治療 1/5 -->

第113回 「チェルノブイリの傷 奇跡のメス」(原発事故の被災者治療 2/5
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第113回 「チェルノブイリの傷 奇跡のメス」(原発事故の被災者治療 5/5

1986年4月26日。旧ソ連ウクライナで人類史上最悪の事故が発生した。チェルノブイリ原子力発電所4号炉の爆発。大量の放射性物質が発生、その多くが風下に位置したベラルーシに流れ、間もなく悲劇が始まった。子供達に甲状腺ガンが多発し始めたのである。現地の病院での手術を受けた子供達の首筋には大きく醜い傷が残った。

 その時、一人の日本人医師が立ち上がった。信州大学医学部の外科医、菅谷昭。父は、24時間年中無休の町医者。もっと患者と向き合いたい、そんな思いを抱き続けていた菅谷は、ベラルーシに渡ることを決意する。
ベラルーシでの菅谷のたった一人での闘いが始まった。
 やがて菅谷の高い手術技術や、患者との交流に心打たれていく若い現地医師たち。いつしか菅谷のアパートに医師たちが集まり、勉強会が開かれるようになった。菅谷は、彼らに自分の手術技術の全てを伝えた。
 さらに菅谷の活動は続く。病院を飛び出し、手術をした患者の家、一軒、一軒、訪ね、診察を繰り返した。脳裏には、父の姿がよぎっていた。24時間、患者と関わり続けられることに喜びを感じた。

 そんな菅谷の活動に共感し、菅谷を支えようと奮闘する1人の男がいた。28歳の若手医師、ゲンナジーだった。そんな二人の姿を見た他の若手医師たちも、菅谷の訪問診療に同行するようになる。
やがて菅谷たちの努力は、ある一つの奇跡を産んだ……。
世界最悪の事故と対峙した、日本人率いる医師たちの5年半に及ぶ闘いを描く。

プロジェクトXで「セブンイレブン」、「黒部ダム」とともにもっとも感動した話の一つ。
こんな立派なことをした人は今何をやっているのか?
とググってみたら、なんと!松本市の市長になっていた。
帰国した時には大学病院のポストはなくなっていたので、そのあとどうなったのだろう?と心配していたが、やはり世間がほっておかなかったみたいですね。
現在もベラルーシとの良好な関係が続いているみたいだし、今度上高地へ行くときにはベラルーシ料理?の店が市内に出来ているかも。

市長

菅谷 昭(すげのや あきら 1943年11月22日 - )
現松本市長(13代)、NPO法人チェルノブイリ医療基金理事長、医師。千曲市出身。有賀正前市長とは対照的にソフト事業に積極的。チェルノブイリ原発事故の際現地で医療活動をした過去があり、NHKのプロジェクトXでも紹介された。

経歴
1943年11月22日 現在の長野県千曲市に生まれる。
1968年 信州大学医学部を卒業。
2002年 長野県衛生部長就任。
2004年3月14日 前職の有賀正、元市議会議長の田口敏子らを破り松本市長選に初当選。
2004年3月28日 松本市長に就任。
2008年3月16日 元松本市収入役の市川博美を破り松本市長選に再選。2期目を迎える。

すげのや昭 公式ホームページ

 

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