日,暮らし

明日は明日の風が吹く。

「逆襲,にっぽんの明るい奥さま」夏石鈴子

2009-07-06 | 日々の読書
夏石鈴子は,ちょっと怖い。以前読んだ本に,一緒に暮らしている男の人が,主人公に向かって,自分は玉ねぎがみそ汁に入っているのが嫌いだ。だから,もしも僕のことを嫌いになったら,みそ汁に玉ねぎを入れてくれ。そしたら黙って出て行くから,と言うところがあって,朝御飯にみそ汁を作りながら,よくそのことを思い出す。私なら,嫌いになったわけじゃないけど,うっかりと入れそうな気がして,そう思うと怖い。

この物語は,著者後書きに「だいたいの人は,悲しみ苦しみがあっても,それは外には見せないものだ。だから,そんなことを今回,物語にしてみました。」とある8人の主婦(専業だけではない)の物語。

手のかかる子どもにイライラさせられてる私は,そんな子どもから逃げるようにスーパーのレジ打ちのアルバイトを始める。てきぱきした本多さんという先輩と休憩時間に話をしているとき,今はやりたいことを辛抱する時期だと言われて,

「わたしもそうだった。他の人が楽しそうでうらやましくてしょうがないときがあった。でも,別に毎日いいことがあるわけじゃなくて,いいことってたまにしかないなぁって,最近は思う。今,我慢していれば,それが報われる時が必ず来るから,それを楽しみにしなさいよ。(略)」(「レジ打ち奥さま」P.47)

と言われる。また,共働きで,まだ小さい子どもが2人いる私は,食事のときに行儀の悪い子どもを口うるさく注意するのだが,夫はそんな妻にいらだち,非難する。そんな夫に対して,心の中で,

「この男は,わたしの味方であったことがあるのか。あるいは,味方になろうとしたことはあるのか。もしかしたら,味方にならなくてはいけない,ということすらいちども考えたことがないのかもしれない。(中略)この男のやっていることは,他人よりもひどいことだとわたしは思う。」(「加味逍遙散奥さま」P.107)
「「こんな時,ああ誰かと心の中で思う。(中略)誰か私を知って欲しい,とおもう。そして優しい声で言われたい。忙しいのに,あなたはがんばっていて本当に偉いねえと,どうか言ってくれないか。(中略)そんな風に一度でもいい,誰かあたたかい手で,私の手を握って言ってくれないか。」そんなふうに言われたら,きっと晴れ晴れとした気持ちで早足で家に帰ることができるだろうと思う。(「加味逍遙散奥さま」P109)

優しい心は,元気と違って自分1人の力で手に入れるのは難しいもののような気がする。(「にせもの奥さま」P155)

心の奥底にあるだろうたくさんの気持ちのうちの,その幾つかは,何年か前,もっと我が子が小さかったときに,確実に自分の中にもあった気持ちだ。だから,なんとなく他人事のような夫も,だれかに優しくされたいと思う気持ちも,自分のことのように分かる。そして,分かるんだけど,でもね,もうちょっとしたら,もうちょっと,本当にちょっとずつ,きっと楽になるよって言いたくなる。

先日,私とそう変わらない年の友達と話をしてたとき,その人とは,とあるボランティア活動で一緒なのだけど,その会にいるもうちょっと若い人たちのことを話していて,熱心なんだけど,こちらがちょっと近づこうとすると,するりと逃げるような気がすると言っていたっけ。私たちよりも,一回りくらいは年下の彼女たち。この物語に出てくる奥さまと,それからその義母との話を読みながら,逆の立場から見たら,はてさて・・・と思ったりもした。

自分の身の回りのあれこれを,もう一度いろいろ考えた本。まあ,生きていれば,いろいろとある。いいことばかりでもないが,悪いことばかりも続くモンでもないし・・と

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