中学生のころ『氷河期が来る』という本がセンセーショナルに売り出され、むさぼるように読んだことがある。著者は元気象庁の根本順吉氏でカッパブックスから出ていた(カッパブックスのシリーズも昔はよく読んでいたが、いつのまにかなくなってしまっていた)。内容については中学生だったこともあって半分も理解できていなかったと思うが、著者名や出版社や新聞広告などの周辺情報はなぜか鮮明に覚えている。
その後、寒冷化説を唱える人は温暖化説に押されてほとんどいなくなっていたが、最近になって寒冷化するという説が真剣に話されるようになってきたようだ。
たとえば
最近、地球温暖化が止まった、という「科学的な事実」がある
では、温暖化傾向が止まってきたという指摘があるし、
地球寒冷化では、アメリカの「Old Farmer's
Almanac」の最新2009年版で「地球は今後徐々に寒冷化していく」との予測を掲載していることを指摘している。
その根拠として太陽黒点数が減少していることが挙げられているそうだが、
太陽の黒点が約100年ぶりにゼロに、地球の気候に大影響かでは実際、太陽黒点数ゼロの記録が更新されたことが書かれている。
黒点が少ないということは太陽活動が低下しているということで、太陽活動の低下は地球の寒冷化を招くと考えられているようだ。
ヒートアイランドによって都市が温暖化しているのは確かだと思うが、地球全体が増大した二酸化炭素のために温暖化しているという話は最初に出した本を読んだ影響もあってか、ずっと眉唾だと思ってきた。
先日、あるテレビで鵜匠が出てきて、自らの自然観のようなものを語っていた中で「魚は湧いて出てくる」というような表現を使っていた。魚は弱いものだから人間が保護しなければならない存在だと現代の日本人は考えると思う。そういう現代の日本人の一人である自分も最初はこの「湧いて出てくる」という言葉にひどく違和感を感じたのだが、考えているうちに、それはかつての日本人の自然観を表しているのではないかと思うようになった。
明治以降、日本は西洋の思想によって自然は人間が征服していくものという考えを植え付けてきたが、それ以前は人間は自然の恵みによって生かされているものだと思っていたはずだ。
西洋の思想だと人間は自然を上から目線で見ることになるが、かつての日本人はその逆で自然は人間よりも上だと思っていた。「上から目線」という言葉を言い換えれば「人間の思い上がり」だ。自然の方が人間よりも上だと思っていれば、自然の(あるいは神の)恵みである魚が「湧いて出る」というのはごく素直に出てくる言葉だと思う。自然は弱いものだから保護するものだと思っている人は多いと思うが、それは思い上がりだ。実際、人間は木を切り倒し、人工物をこの地球に造って自然を破壊することを簡単にできるようになった。だが、ヒートアイランド現象のようにその報いは人間に返ってくる。
温暖化しているから二酸化炭素の排出量を減らしましょうというのも、人間が自然をコントロールできるという思い上がりから来ていると思う。今後、どうなっていくかはわからないが寒冷化していったとしたら、何とも皮肉なことではないか。