昨日も書いたとおり、非常に本質を鋭くえぐった本だと思います。
二点ほど思ったことを書くと。
まず一つには、技術革新は「並行的」ではないか?ということ。
(この本の立場もそうですが)
歴史を紐解いても、新しい革命的な技術の登場は、その瞬間に全てが切り替わるものではありません。
有史以降でいうと、10年から100年の単位で最初は古いものと新しいものが並存し、やがて淘汰と切り替えが進行する。
そんな繰り返しではないでしょうか。
もちろん「火を使う」といった大昔の技術革新は世界中への伝播に数千年レベルを要したでしょうから、その変化のペースは確実に速まっているのでしょうが。
さらに同書でもかつての技術革新の例として鉄道が挙げられていますが、鉄道は自動車が登場してもいまだ並行して存在しています。
旧技術や概念が死滅するというよりも、「新しい選択肢が増え、より優位に立つが古いものも残る」という社会変化の方が、より現実味を帯びているような気もします。
(少なくとも私たちが生きている間、くらいは)
またもう一つ思ったのは、ブログの可能性。
相互リンクと評判(アクセス数やリンク数など、参照される度合い)が玉石混交の「玉」の部分を自動選別する、という論。
学会が独占している知の創造を共有空間で進めることが可能になる、という概念は非常に面白いと思います。
考えてみれば学会論文も
+査読というピア評価を経て、掲載されるポジションがきまり
+参照数が良否の評価の大きな目安となる
という点ではブログと大して変わらないのかもしれません。
まあ、このブログはかなり一方通行で、そうした意味ではダメブログなのかもしれませんね…
二点ほど思ったことを書くと。
まず一つには、技術革新は「並行的」ではないか?ということ。
(この本の立場もそうですが)
歴史を紐解いても、新しい革命的な技術の登場は、その瞬間に全てが切り替わるものではありません。
有史以降でいうと、10年から100年の単位で最初は古いものと新しいものが並存し、やがて淘汰と切り替えが進行する。
そんな繰り返しではないでしょうか。
もちろん「火を使う」といった大昔の技術革新は世界中への伝播に数千年レベルを要したでしょうから、その変化のペースは確実に速まっているのでしょうが。
さらに同書でもかつての技術革新の例として鉄道が挙げられていますが、鉄道は自動車が登場してもいまだ並行して存在しています。
旧技術や概念が死滅するというよりも、「新しい選択肢が増え、より優位に立つが古いものも残る」という社会変化の方が、より現実味を帯びているような気もします。
(少なくとも私たちが生きている間、くらいは)
またもう一つ思ったのは、ブログの可能性。
相互リンクと評判(アクセス数やリンク数など、参照される度合い)が玉石混交の「玉」の部分を自動選別する、という論。
学会が独占している知の創造を共有空間で進めることが可能になる、という概念は非常に面白いと思います。
考えてみれば学会論文も
+査読というピア評価を経て、掲載されるポジションがきまり
+参照数が良否の評価の大きな目安となる
という点ではブログと大して変わらないのかもしれません。
まあ、このブログはかなり一方通行で、そうした意味ではダメブログなのかもしれませんね…