前回までのあらすじ
(Limi feu パリコレションのショー音楽を担当するべく主人公「僕」はパリへと向かった。)

パリは想像以上に人種の坩堝(るつぼ)であった。

ラティールは元・仏領のセネガル出身であるから仏語は当然話せるし、パリにも何度も来ている。「パリは欧州のニューヨークだ」と言っていた。

我々のホテルがあったのは10区あたりでここら辺は黒人と中東、インド系が大半を占めているのでおよそ日本人が想像しているパリとはかけ離れた「異国」の様相を呈している。一言でいうなら「落ち着く」のである。髪の毛や目が黒いことで「浮かない」区域。其処此処を歩く人々のほぼ全てが「除かれる」ことの精神的な痛みを知っているから、何処と無く人情味に溢れる。それでも、日本人の僕とセネガル人のラティールの二人組みが闊歩しているのは目立つわけだが。なにせラティールはパリでも誰よりもデカイ。

ラティールの従兄弟のママドゥがパリ在住で、彼らが集う下町のバーには、比較的金のない白人とあとは種シュの人種がフラットに呑んだくれていて、「おお。此処は吉祥寺や。チーキーや。」と思った。


一方、ショー会場が在り、リミフーが本拠を構えていた3区のギャラリー周りは、白人が多いいわゆる「山の手」な感じである。街に不慣れなことと、僕の贅沢嫌いの偏向が手伝ったせいもあるだろうが、ここいら辺りは決して居心地が良くなかった。(だが、此処に在るセネガル料理屋 le petit DAKAR だけは、是非とも訪れて欲しい。人も最高。飯も最高。店内装飾も最高。そしてユッスンドゥールやサリフケイタに混じって、犬式の新譜をかけてくれた。ラティールと行動を共にしたため、パリに居たあいだに一番食べたのはアフリカ料理だった。)

少なくとも、タクシーが我々のペアを乗せてくれることはまれであった。

いや、ひとつお断りしておきたい。これは物心ついてからは初めて訪れるパリの、この街に他にどんな顔があるかも知らない僕の個人的な感想である。

だがラティールのビザ発行を巡ってのすったもんだや、サルコジ大統領の打ち出す移民排除政策というフィルターを通してみたこの街には、あまりに複雑な事情がたくさんあるようで、幼年期に過ごしたベルギーでの生活に常につきまとった「人種的な緊張感」というのを久しぶりに思い出したのである。

良くも悪くもない。
ただ地下鉄に乗っていても、街を歩いていても「舐められちゃいけない」という想いが自然と背筋を伸ばさせ、眼光を鋭くさせ、身なり身のこなしのひとつひとつに気をつかうのである。
そうして、周りに居る全ての人たちがそうした文化的な「異物感」の中でもまれながら、ピリっとしているのが分かる。

そうした緊張感を適度に生かして人々は己を磨き、己を知り、己をみつめ、そこから他己を捉えているのが分かった。
そうした緊張感があるからこそ、何か決定的な火種が落とされたときに、こうした人種的な感情の渦巻く火炎が一気に燃え上がって世界的なニュースとなるような暴動が起きたりするのも分かる。

そうした緊張感があるから、そこには哲学する動機が存在する。

良くも悪くもない、ただ、東京には絶対にないこの空気は、明らかに人を洗練させるものではある。

だから、そうした緊張感の稀な日本からやってきた観光客たちの緩んだ姿勢や顔つき、歩き方や格好から、それが日本人であるということは100メートル先からも判別できるし、残念ながらそれはあまり名誉なことではないと思った。

平和な国に暮らしながら、無思想・無思考に陥らないためにも、島の外へ出て世の中を見てくるというのは非常に大切な体験なんだと思う。

日本国内も、テレビが伝えるより遥かに多様で、そして世界というのは地理で教わるよりも想像を超えて広大で、事は日々変化し続けている。

旅せよ人々。国の内も外も。自己の内も外も。

それがライフタイムトラベラーとしての必須項目だ。

意識の覚醒を促すことごとに、世界は満ちている。



専横的な植民地政策のツケとして、フランスは今、自分たちが占領してきた国からの移民によって飲み込まれようとしていた。
いまさらサルコジを打ち立てても事は遅いだろう。
歴史の、因果応報を痛感した。
何教でもかまわない。ただ、神の審判は存在する。
水の流れには逆らえないし、太陽は決して西からは昇らない。

むろん、ひとつだけつけ沿えておきたい。

全ての白人が人種差別的であるとは限らないし、厳密にいえば全員が異なった自我であること。そして、昨日今日の話でいえば、移民による犯罪などが現実的な恐れとして存在するからこそ、とまらないタクシーが多いのだということ。


東京へ戻る日に、シャルルドゴール空港にて僕は単身チェックインカウンター前で便を待っていた。出演者、モデル、スタッフたちがそれぞれの便で帰路についた数時間後に、一人エールフランスに搭乗することになっていた僕は、最後の午前中に訪れたピカソ美術館で打ちのめされた一人の芸術家の恐るべき知性と感性と、アートに対する化け物じみた情熱と努力とその燃え上がった人生のあとに残された遺物たちを反芻しながら椅子に腰掛けていたのだ。

「シルブプレ!!!!」「ミスター!!!」
ポリスと軍人に大声で呼びかけられて、空港内の一番厚い壁の裏側へと避難させられた。わけもわからないままそこへ集められた人々は、心外な様子で憮然と立ち尽くしていた。

およそ10分後、預かり荷物の吸い込まれるベルトコンベアーの奥へとものものしい一隊が入っていった後に「ドン」という鈍い爆発音が広い構内に響き渡った。
そのこもった爆発音から、それが処理班によって処された爆発物であることはすぐに分かった。

テロ未遂事件に立ち会ったのは、当然ながら始めての経験である。

掃除婦の老婆がカンラカンラと笑いながら「ボンボン!」と叫ぶ。

5分後、空港はまるで何事もなかったかのようにその機能を回復し、あとから入ってくる搭乗客たちは何も知らぬままチェックインを済ませていく。

これが、パリの日常なのか、と痛感した。

これが、世界の日常なのか、と。

パリ市内に漂っていた、あの緊張感の理由が改めて分かったような気がした。

東京に戻ったときに、それは、何故かある種の快感を伴った緊張感だったと振り返られた。高濃度の酸素室の中で、頭がシャキっと冴え渡ったような、そういう空気だったのだ。

人としての充足感というのが、安穏とした生の中に埋もれていきがちな何かが、死をまといながら生きているときにこそ感じられるという皮肉な感覚。
成田から東京を横断して帰る電車内で、居眠るサラリーマンをみつめながら、居眠る人の皆無だったパリの地下鉄を思い出した。



パリコレが何であったか、リミフゥが如何様な評価を受けたかということに関しては余りに僕の領域外であるため、それらはstyle.comや日本のファッション関係者たちにお任せしたいと思う。

僕のやっている表現が、欧州でも果たせる役割が大いにあることの実感。
それにおいて足りない具体的な要素。
少なからず戴いた人々の反響。(myspaceはこういう時に本当に便利だ)
近い将来にバンドとして訪れたいし、また1個人として1年ほどこの精神的に入り組んだ広大な大陸を楽器携えて放浪したいという欲求。

これがこの度、僕が持ち帰ったものです。


三宅ブログ | コメント ( 10 ) | Trackback ( 0 )

« いってきまっさ。 ブレス式出演 »


 
コメント
 
 
 
トラベラーズチェック (Tokyo Indian)
2007-10-16 09:59:42
旅で持ち帰った何かを、自分のモノにすることも

また旅であると思う。

そしてそこから、また旅は始まる。
 
 
 
Unknown (ann)
2007-10-16 19:09:26
先ずは、空港でのテロが未然に防がれた事に一安心です。
BBC放送では、毎日のように中東の自爆テロのニュース。
もう、いつのどの場所での自爆テロだかわからんくらいの頻度。
アジアでも、バリ島のクラブ爆破テロが記憶に新しい出来事ですが
『クラブに集まる外国人を狙った。』
と話す犯人の顔はとても淡々としていて、
彼らの原理主義が尋常なもんではないと恐ろしくなりました。
身元が分からないほど黒焦げになったいくつもの遺体。
あの映像を思い出すと、三宅さんの遭遇したテロが未然に防げた事に、
なんでも良いからただ感謝したいです。

ヨーロッパの有色人種に対する差別は未だに変わらないのですね。
日本にいると全く想像付きませんが
以前、イギリスを一人旅した時に
ロンドンの白人警官に思いっきり差別発言された時にはじめて、実感しました。
田舎の方がそういう空気感じなかったな。

ロンドンでは、都会の白人ホームレス達は、
有色人種と同じ仕事は嫌だから仕事を探せない。
それで、ホームレス。
という話を聴いて呆れましたもの。
そこまでなのか・・・と。
 
 
 
死はわが友 (stranger)
2007-10-17 00:39:51
日本に住む日本人も、実際には死と隣合わせで生きているわけですが、この生ぬるい精神的風土がどうしようもなく死に対する感性を鈍らせているのですね。

誰でも必ず死ぬのだ。

死を意識すると、逆に生命の炎が燃え上がるということを思い出しました。
 
 
 
Unknown (marijazz)
2007-10-17 21:49:05
今日、あなたの日記を読んでよかったです。
ありがとう。
 
 
 
お帰りなさい! (さなえ)
2007-10-18 01:18:23
旅は自分探しの旅でもあるし、旅は自分が日本人であること、日本という国を客観的に見つめる旅ですね。だから旅は辞められない。言葉と国境の壁を越えようと歩いた音楽をテーマにした一人旅で、私も善し悪し、様々な経験や発見、カルチャーショック、今後永遠に親友でいるだろうと思える外国人友達との出逢いありました。洋平さんのように楽器を弾きながら旅してみたいな。日本人であること以上に自分をアピールするには、何かが必要だといつも感じています。ユッスンドール懐かしい!いまから犬式と交互に聴いてみます。ではおっぱーらで会いましょう!
 
 
 
久しぶり (peko)
2007-10-18 22:46:21
新潟にもライブに来てください!絶対に行きます
 
 
 
異文化コミュニケーションギャップ (nike)
2007-10-19 05:58:26
『自己の内も外も見る』

旅に育ててもらったと言ったのは、チェ・ゲバラだっただろうか。



5年程前にパリに住んでいました。あたりまえに外国人であることを思い知りました。ヨーロッパの他の街も旅しましたが、パリ程緊張感を持って歩く街はなく、それはスリなどに狙われるからでもない。外国人である自分が舐められない為の防御がそうさせていたのでしょうね。

一度移民二世集団に囲まれ、強盗にあったのですが、その話をパリ現地校に通う日本人高校生に話すと、「僕も育った環境によってはひょっとしたら同じことをするかもしれない」と言っていました。ヨーロッパ右が傾化してゆく理由が少しわかる気がしましたが、移民排除することで問題が解決するという考えには共感できずにいます。日本も少子化、労働力の不足から移民も受け入れいくのでしょうか?その際には日本人と移民の人たちがピースな関係が築ける気持ちと仕組みがあって欲しいなと思います。



移民の人たちも安心して地下鉄で居眠りできるように。







 
 
 
真冬のラスタファリズムの (ツグ)
2007-10-21 00:28:14
『無思考は敵だ』

というフレーズを

思いだしました



地球上に何人の人間が生きていてどれだけの人間が何を思って

生きているのかはわからない



だだ、ひとりひとりが

自我をしっかり持って生きれば

その人の人生は実り多きモノに

なると思いました。





 
 
 
Unknown (希望)
2007-10-21 12:45:24

病気とかけがとかして、当たり前にできる事ができなかったりすると 当たり前にできてる事が幸せだなって思うことがあります。できないと、いろいろな人にありがとうって思います。
だから人って一人じゃ生きられないんだなって最近思いました。

無事に帰ってきてくれて よかったです。
 
 
 
日本人として (NPK)
2007-10-22 13:28:53
TVBros.のサッカーコラムで、恵まれた国日本の代表にはハングリー精神が他国より劣っていると言われているが、仮にハングリー精神は劣っていたとしても、豊かな国なりの戦術+意識で世界と戦う事は可能という内容のものがありました。

フットボールもライフスタイルも、相手、そして自分を知った上で前を向いて戦い続けることが重要なんですよね。

理想は平和、それも今の日本以上の平和だと思いますが、平和によってREBELの気持ちを失わずにいることもやはり重要で、でも今の日本にはそれが薄い。

偉大な先人の努力で、今の(経済だけでなく文化も含めた)豊かな国を手に入れたことを思い出し、それに恥じない日本人でいたいと改めて思いました。
 
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。