ぶらぶら★アフリック

アフリカ・プロモーター、ンボテ★飯村がお送りする100%アフリカ仏族ぶらぶらトーク!

半旗を掲げて〜アフリカから想う、二つの追悼

2017-03-11 07:30:03 | その他
半旗を掲げて。フランス語では'drapeau en berne'という。悲しい思い出が駆け抜ける季節。

3月11日、あの日から7年。

(2011年4月、陸前高田市にて)



古いアフリカ人の友人から先日電話を受けた。

曰く「大きな大震災から10年、お見舞いのお電話だよ。」

いや、10年も経っていないよ。でも記憶の中に残ってたんだ。

「それはみんな覚えてるさ。地震で家も、街も壊れ、原発も倒れたんだろ?たくさんの犠牲者も出た。だからお見舞いに電話したんだ。」

少し誤解があるようだが、妙に嬉しかった。ありがとう。


あの日から6年の月日が経った。

見渡す限り、瓦礫で埋め尽くされた大地。絶望の中で呆然と立ちすくむことしかできなかった、直後の被災地。まるでこの世の終わりのように思われた。

しかし今日、地震も、津波も、原発事故も、まるでなかったような日常に戻っているかのよう。

被災地以外は。

震災では21,000人以上の人が犠牲、行方不明となり、今でも123,000人が避難生活を余儀なくされているという。

毎年訪問してきた三陸。アフリカに再赴任となった昨年からは叶わない。


実はこの3月11日の前日、3月10日も、忘れ得ぬ尊い命が大量に奪われた日。1945年、東京大空襲だ。ンボテの日本の家が立っているその場所も、一面焦土と化した。町会をはじめ、地元のひとは、今年もそれぞれの慰霊に手を合わせていることだろう。

半旗を掲げて。遠く日本を離れても、この二つの日のことは忘れない。


(おわり)

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2 コメント

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6回目の3.11 (あみん (hgn))
2017-03-11 07:46:39
 言われてみればそうでした。
 ウチも関わっちゃったこともあって、3.11が前に出ていましたが、3.10もとんでもない日でしたね。
 ヨメはんの実家も地震の被害を受けましたが、リフォームも済んでようやく通常の生活が戻ってきています。津波には襲われなかったので、その程度で済んでいるのですが……。

 前記事のお弁当、気になっています^^ 我々の感覚から言ったら、炒飯にチキン載せですけど、もっと変わっています?^^ 今度、もっとこういうお弁当も紹介してください^^
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Re:6回目の3.11 (ンボテ)
2017-03-12 02:52:38
あみん (hgn)さん、お久しぶりです。
毎年ダブルでやってくる追悼の日、いろいろ思いを馳せて余りあります。奥様のご実家の被害、大変でしたね。ンボテも自宅、身内こそ被害はありませんでしたが、被災した仲間もたくさんいて、震災直後から足繁く東北には通いました。

ジョロフライスはガーナな感じですね。チャーハンとも違うし、もちろんパエリア違う味付け。マギーブイヨンの影響は必須です笑。時たま食べ物ネタ小出しにしているので、またお越しいただければ幸いです!
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