半旗を掲げて。フランス語では'drapeau en berne'という。悲しい思い出が駆け抜ける季節。
3月11日、あの日から7年。
(2011年4月、陸前高田市にて)
古いアフリカ人の友人から先日電話を受けた。
曰く「大きな大震災から10年、お見舞いのお電話だよ。」
いや、10年も経っていないよ。でも記憶の中に残ってたんだ。
「それはみんな覚えてるさ。地震で家も、街も壊れ、原発も倒れたんだろ?たくさんの犠牲者も出た。だからお見舞いに電話したんだ。」
少し誤解があるようだが、妙に嬉しかった。ありがとう。
あの日から6年の月日が経った。
見渡す限り、瓦礫で埋め尽くされた大地。絶望の中で呆然と立ちすくむことしかできなかった、直後の被災地。まるでこの世の終わりのように思われた。
しかし今日、地震も、津波も、原発事故も、まるでなかったような日常に戻っているかのよう。
被災地以外は。
震災では21,000人以上の人が犠牲、行方不明となり、今でも123,000人が避難生活を余儀なくされているという。
毎年訪問してきた三陸。アフリカに再赴任となった昨年からは叶わない。
実はこの3月11日の前日、3月10日も、忘れ得ぬ尊い命が大量に奪われた日。1945年、東京大空襲だ。ンボテの日本の家が立っているその場所も、一面焦土と化した。町会をはじめ、地元のひとは、今年もそれぞれの慰霊に手を合わせていることだろう。
半旗を掲げて。遠く日本を離れても、この二つの日のことは忘れない。
(おわり)
3月11日、あの日から7年。
(2011年4月、陸前高田市にて)
古いアフリカ人の友人から先日電話を受けた。
曰く「大きな大震災から10年、お見舞いのお電話だよ。」
いや、10年も経っていないよ。でも記憶の中に残ってたんだ。
「それはみんな覚えてるさ。地震で家も、街も壊れ、原発も倒れたんだろ?たくさんの犠牲者も出た。だからお見舞いに電話したんだ。」
少し誤解があるようだが、妙に嬉しかった。ありがとう。
あの日から6年の月日が経った。
見渡す限り、瓦礫で埋め尽くされた大地。絶望の中で呆然と立ちすくむことしかできなかった、直後の被災地。まるでこの世の終わりのように思われた。
しかし今日、地震も、津波も、原発事故も、まるでなかったような日常に戻っているかのよう。
被災地以外は。
震災では21,000人以上の人が犠牲、行方不明となり、今でも123,000人が避難生活を余儀なくされているという。
毎年訪問してきた三陸。アフリカに再赴任となった昨年からは叶わない。
実はこの3月11日の前日、3月10日も、忘れ得ぬ尊い命が大量に奪われた日。1945年、東京大空襲だ。ンボテの日本の家が立っているその場所も、一面焦土と化した。町会をはじめ、地元のひとは、今年もそれぞれの慰霊に手を合わせていることだろう。
半旗を掲げて。遠く日本を離れても、この二つの日のことは忘れない。
(おわり)
ウチも関わっちゃったこともあって、3.11が前に出ていましたが、3.10もとんでもない日でしたね。
ヨメはんの実家も地震の被害を受けましたが、リフォームも済んでようやく通常の生活が戻ってきています。津波には襲われなかったので、その程度で済んでいるのですが……。
前記事のお弁当、気になっています^^ 我々の感覚から言ったら、炒飯にチキン載せですけど、もっと変わっています?^^ 今度、もっとこういうお弁当も紹介してください^^
毎年ダブルでやってくる追悼の日、いろいろ思いを馳せて余りあります。奥様のご実家の被害、大変でしたね。ンボテも自宅、身内こそ被害はありませんでしたが、被災した仲間もたくさんいて、震災直後から足繁く東北には通いました。
ジョロフライスはガーナな感じですね。チャーハンとも違うし、もちろんパエリア違う味付け。マギーブイヨンの影響は必須です笑。時たま食べ物ネタ小出しにしているので、またお越しいただければ幸いです!