摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

河野義行さんに惚れた!

2009-10-03 23:04:30 | 行ってきました
昨日は、河野義行さんの講演会に行きました。
ばーちゃんが主催した岐阜市女性の会の副会長で、
ずっと以前からこの講演会の企画のことを
聞かされていたのです。
今年の6月には、
「妻よ! 実録・松本サリン事件犯人と呼ばれて…
家族を守り抜いた15年」というドラマも放映されてました。
その中で娘さんが、「河野義行が父でよかった」と
涙ぐみながら話されていたのがとても印象的で、
今度の講演会も楽しみにしていたのです。
娘さんにそんなことを言ってもらえる人って
一体どんな人なんだろう?

結論から言えば、やっぱり河野さんは
すっごくかっこよかった。
イケメンだったっていう意味じゃなくて、
その考え方、生きざまがかっこいいって思いました。

まず、自由でおおらかな雰囲気がいいです。
今から多分、30数年前のことだと思いますけど
結婚する時も自分たちのことだから自由にやりたいと
親も呼ばずに2人だけで式を挙げたそうです。
会社員時代も、毎年8月には2週間の夏休みをとって
旅行に行っていたそうです。
サラリーマンにはなかなかできないことですよね。
そんなご自身のことやお子さんのことなど話す時は、
ユーモアがあって、会場には笑い声が響いていました。

それから、おそらく河野さんの最大の特長と思われるのは、
その沈着冷静なところだと思います。
逮捕されそうになった時は、
まず子どもたちの生活の手当てをした上で、
自分を狙っているメディアや警察と情報戦を行いました。
その闘いぶりも周到で、
それまで1人だった弁護士を3人の弁護団に変え、
世論を変えるためにメディアを逆に利用する戦略を取りました。
具体的には、テレビ朝日とTBSだけに別々の情報を提供し、
見かえりに警察の情報をもらっていたそうです。

でも、何と言っても感銘を受けたのは、
河野さんの家族への深い愛情です。
妻のすみこさんにはいつも
「あなたが生きていてくれるから、
私たちはエネルギーをもらっている。
あなたに支えられている」と声をかけていたそうです。
すみこさんが入院していた病院から出されそうになった時は、
松本市長に嘆願書も書きました。
そして、すみこさんが亡くなった時は、
また家族だけのお葬式にしたそうです。
大きな式にすると心が弔問客に向いてしまうからだそうです。


うまく言葉にできる特長は上に書いた3点なのですが、
私にとってはもっと印象的だったけど、
うまく言葉にできない魅力が河野さんにはありました。
それは、品格とかプライドという言葉に近い気がしますが、
ぴったりではないのです。
その特長をあらわすエピソードを書きましょう。

河野さんが入院中、自宅にはたくさんの
無言電話やいやがらせ電話がかかっていました。
当時高校生だった息子さんがそれに疲れて
電話番号を変えてほしいと河野さんに訴えましたが、
河野さんはそれを断って、息子さんに言ったそうです。
「無言電話やいやがらせ電話にも、すべて真摯に対応しなさい。
私は何も悪いことはしていない。
だから、私たちは心の位置を高くしようじゃないか。
何をされても許そう。
心の位置は、自分の意志で変えられるのだから」

それから息子さんは、無言電話であれば、
「あなたは何もおっしゃらないから
私からあなたに聞きます。
あなたはどうしてそう(私が犯人だと)思うように
なっちゃったんですか?」と聞いたり、
いやがらせ電話なら、
「よかったらお父さんと一度会ってみてはいかがですか?」と
問いかけたそうです。
すると、相手が必ずガチャンと切ってしまったとのことです。

ひどい仕打ちをしてきた相手に恨みつらみをこぼさず、
真摯に対応するのは、河野さんの一貫した姿勢だったようです。
私はいつもそんな寛大な心に出会うと感服し、
私もそうなりたいと願わずにいられません。
みんながそんな心を持てるようになったら、
どんなに生きやすいでしょうねぇ。。


最近はっきりした目標を持とうと思いなおしたところですが、
ロールモデルなりそうな人がなかなか見つかりませんでした。
河野義行さんは、私が新たに見つけた目標にしたい人です。


追記:
この記事は私のみみずのようなメモから起こしたので、
話されたことと多少の違いがあると思います。
河野さんは自分が話したことが捻じ曲げられて
大変な苦労をされた方なので、
できるだけ忠実に再現したいと思いましたが、
写真も録音も今回の講演をマネジメントした会社が
禁止していたそうです。。


田中優さんの講演会報告

2009-03-21 22:49:56 | 行ってきました
2日間続けて、田中優さんの講演会に行ってきました。
環境系についての優さんの話は去年聞いていたので、
今日のお金についての話を特に楽しみにしていました。
なにしろ、ただ講演を聞くだけでなく、
地元で実際に動いているNPOバンクを設立する動きについて
詳しい現状を聞けたり、ワークショップをすると言うので
ワクワク、心待ちにしていたのです。

講演会の前半は、なぜ既存の金融機関に
お金を預けることがよくないのか、という話でした。
私たちが近くだから、便利だから、
大手で安定していそうだから、など
さほど深い理由もなく選んでしまいがちなお金の預け先は、
実は環境破壊や戦争を進める事業に
投資している可能性が高いということでした。

後半は、本当に自分たちのためになる
お金の使い方、回し方について語られました。
私たちがこれまで抱いてしまいがちたった認識を
改めさせるような話がいくつか具体的に挙げられました。
たとえば、金利には単利と複利がありますが、
よく金融に関する講座や本では、
「貯めたいなら複利で運用しよう」などと言われています。
でも、自然は単利でしか成長しないのだから、
複利というのはそもそも机上の空論だと言うことでした。

これを聞いて、先日泰三さんから聞いた話を思い出しました。
金銭関係などで誰かにだまされる人は、
自分も下心を持っているのだそうです。
机上の空論を信じて、複利の運用で儲けてやろうと思うと
あとから手痛いしっぺ返しがあるかもしれません。
いや、もうしっぺ返しは始まっているのでしょうね。
今の社会の状態を見ると。

他にも生命保険はほとんどの人が掛けすぎているとか、
人生最大の買物は家ではなく、家のローンであるとか、
そんな話がありました。
奇しくも、私はお金まわりの整理作業も
断捨離と一緒に進めようとしていて、
近々ファイナンシャルプランナーに相談しようかと
思っていたところでした。
でも、今日の優さんの話を聞いて、
そんなことしなくてよかったと思いました。


さて、午後は石川県で初めてのNPOバンク、
ピースバンクいしかわの設立準備のワークショップです。
3時間のワークショップでは、
最初ピースバンクいしかわの説明と
現在テスト融資先として検討されている案件の紹介、
各案件に興味がある人のグループに分かれての
今後できそうなこと、実現したいことについての話し合いが
行われました。

私はバンクの説明を聞いていて、
案件の審査は誰がどんな風に行うのか、
来年4月の設立に向けて
そのための業務を誰がどんな風に進めているのか
気になったので、質問してみました。
これについてはスタッフの方の他に
優さんも未来バンクの例を挙げながら説明してくれました。
まず、審査についてはあまり難しく考えすぎない方がいい
という話をされていて、私ははっとさせられました。
あぁ、またやってる。。
コンサルタントって、まずケチつけることから始めるって
誰かが言ってた気がするけど、
私もそれをやってたみたいです

一方、この部分でもそうでしたが、
とにかくこのワークショップ全体を通じて
優さんから各事業に対してネガティブな感じのする言葉は
一切出てきませんでした。
一歩踏み出す前に、あーだこーだ批評家にならず、
やるためにどうするかという姿勢が感じられました。
そういえば、全国的に有名な起業支援家の小出宗昭さんも
最初はまず相談者を励ましていた気がします。
挑戦すること自体が尊いことだとも言っていました。

設立のための準備作業については、
今設立準備会の10数名が他の本職の合間を縫って
進めているとのことでした。
これについても、私は大丈夫なのかな?と思いましたが、
優さんによれば、未来バンクも専従スタッフがいないそうです。
専従スタッフを雇えば、その人件費を稼ぐためだけで
回すのが大変になるからだそうです。
未来バンクの今のスタッフは6人で、
すべて他に仕事をもっているとのことでした。
それでも、融資の案件を決める時などを除いて
そんなにメールでのやり取りが
頻繁にあるわけでもないのだそうです。

各案件ごとのグループに分かれての話し合いの結果も
最後に発表されました。
どれもそれなりに興味をそそられるものでしたが、
優さんがそれぞれに対して出したアドバイスが
ユニークかつ具体的で、感心しました。
実にいろんな分野の具体的な話をたくさんご存知で、
現場経験の豊富さを感じました。
優さんくらい国内外を飛びまわり、
講演や執筆でアウトプットしていれば、
入ってくる情報もさぞかし多いんだろうなぁと思います。


私も、いろんな問題解決のための
事業を企画するのが大好きなので、
こんなおもしろいことが起こっている時期に
引越しなんてすっごく残念、悔しいです~
NPOバンクの研究会も1年くらい前から始まっていたようですが、
耳の早さを自慢にする私としたことが、
去年の秋になるまで気がつきませんでした。

でも、未来バンクの運営も兼業の人たちが
ネットを活用しながら行っているなら、
私も何か少しでもできることがあるかな?
ピースバンクいしかわの「ピース」は、
パズルのピースのように、
市民の思いやできること、資源を
組み合わせて夢を実現させたいという
願いから来ているようです。
私もちっちゃいピースになれたらいいなぁと
思いました。

『ブロードウェイ♪ブロードウェイ』を見て

2009-02-19 01:13:05 | 行ってきました
今月見たいと思っていたドキュメンタリー映画3本を
気力・体力が足りなくなって断念したのですが、
当初は見るつもりがなかった映画を
見に行ってきました。
それは、16年ぶりに再演されるミュージカル
『コーラスライン』のオーディションを映した
『ブロードウェイ♪ブロードウェイ』という映画です。

昨日、家に遊びに来ていた友人と話していたとき、
その友人が今日は映画に行くと言うので、
「私も『ブロードウェイ♪ブロードウェイ』っていう
映画を見に行くの。
私、前にダンスやってたから」と
自分で言っているのを聞いて、驚きました。
そうだ、大学時代のある時期、
熱心にダンスをやっていたことを
久しぶりに思い出しました。
その頃やっていたのはジャズとモダンでしたが、
やっていくうちにその動きが
自分の体にしっくり来ない、
もっと自分の心と体に合った踊りがあるはずと思い、
それが見つかるまで踊りは「休もう」と思ってから
早10ウン年が経ってしまいました。

不思議なことに、私が興味を持っていたのに
短期間しかできなかったことに
息子は強い興味を示しています。
パーカッションとか、ダンスとか。
今日この映画を見てる間中、
お腹の赤ちゃんは動きっぱなしで、
この子もダンスが好きなのかな?って思いました。

確かに、この映画には久しぶりに引きこまれました。
私はいい映画を見ていても、
途中で疲れてしまって時計を見ることがよくあるんですが、
今日は最後までそれはありませんでした。
この映画の中には、私の好きなものが
たくさん詰まっていたからです。
ダンス、リズム、演技、プロデュース、
インタビュー、心理学、哲学など。
好きなものにたくさん触れて、
気分が良くなったから、
赤ちゃんもご機嫌だったのかもしれません。

そして、映画を見終わった後に
この胎動から感じたのは、
「ママ、いろいろ考えずに
心地いいと感じることやってみなよ」という
励ましのメッセージでした。
『コーラスライン』の中でも
150センチに満たない身長だけど
ダンスをあきらめない女性の役があります。
先日の息子の発表会の時もそうでしたが、
他から自分がどう見えるかなどではなく、
自分の心と体が喜ぶことを
素直にやってみればいいということのようです。

岐阜に帰ったら、息子と一緒に
またダンスやってみようかな?


映画「七夜待」と「わが教え子、ヒトラー」

2009-02-07 00:59:22 | 行ってきました
おとといは久しぶりに家事をたくさんこなしたと
書きましたが、
それは昨日、今日と2日続けて
映画を見に行きたいと思っていたので、
映画を自分へのごほうびにできるくらい
がんばってみようと思っていたことも
張り切った理由にありました。

昨日見たのは、河瀬直美監督の「七夜待」。
「殯の森」でカンヌの審査員特別賞を受賞している監督です。
彼女は私と誕生日も近く、第1子の出産も同じ年で
妙に親近感を感じてしまいます。
でも、彼女の映画ははっきり言ってとっつきにくいです。

今回の「七夜待」も内容的によく分からない部分も
多々ありました。
何より困ったのは、カメラを固定しないで回しているので、
映像がグラグラ揺れて、酔ってしまったことです
臨場感、緊迫感を出したいのかもしれないけど、
もう少しバリアフリーな映画にしてほしいわ

ストーリーはよく分からないところがあるわ、
映像で酔ってしまうわで、
感動で魂が揺さぶられたとか、心が洗われたというような
感じはありませんでしたが、
舞台になったタイの村にあふれる生命がとても印象的でした。
映画の本筋とは関係ない、短く差し込まれたショットの中に
とかげやクモ、ワニなどいろんな生き物が映ってました。
最後の川を舟で下っていくシーンでは、
鳥や川面でピチピチ動く魚の気配があり、
命がそこらじゅうに充満している感じがしました。

映画が終わって外に出ても、
目に入ってくるいろんな生物がいとおしく、
輝いて見えました。
そんな気持ちにさせてくれただけでも、
いい映画だったのかも。


そして今日見てきたのは、「わが教え子、ヒトラー」。
ヒトラーに終戦間際に演説を指導していた人物が
ユダヤ人だったという設定の話です。
終盤まではなかなかコミカルなストーリー展開でしたが、
最後はやはりハッピーにはなりませんでした。
私が気になったのは映画のストーリーより、
主人公のユダヤ人俳優が引きこもり気味のヒトラーの
感情を取り戻させる訓練をする部分でした。
私が学んでいる心理分析の講座では、
いつも感情を取り戻すことの大切さが言われているからです。

フロイトを生んだドイツは心理学が発展した国でしょうが、
あの当時はその知識もきっと様々に悪用されたのではないかと
思えました。
実際、先日まで読んでいたデービッド・アイクの本には、
そんなことが書かれてました。

同じように印象的だったのは、
夜中に寝つけないヒトラーが、
主人公が家族と暮らす部屋に入りこみ、
主人公と妻のベッドに入れてもらったシーンです。
その後、妻は枕でヒトラーの顔を覆って、
窒息させようとしますが、
主人公は「彼を殺せば、我々も殺される」ということと一緒に、
「この人は愛情に飢えているんだ」というようなことも
言いました。

この部分はもちろんフィクションですが、
ヒトラーのようにけだもののようなことをする人でも、
その心の背景を理解することができるという
やはり心理分析で学んだことが表現されていました。
これを見て、私はやっぱり理解しがたい人こそ
相手にしてみたいと思いました。


2つの映画のどちらも、かなり偏った鑑賞をしたかもしれません。
ともかく、歩いていけるところに
シネモンドのようないい映画を上映するところがあって
ラッキーです。
岐阜にはもうそんな映画館がなくなってしまったから、
引っ越すまでにあと4,5本見ておきたい映画があります。
シネモンドの年会費のもとは、この1年で十分取れそうです。


ぎふママネット事務所を訪問

2009-01-20 23:54:07 | 行ってきました
週末に岐阜へ帰省している間に、
息子がインフルエンザを発症し、
「5日間は安静にしていてください」と
言われてしまいました。
図らずも、また岐阜に長居することになったところへ
懐かしい人から電話。
去年、母親支援のNPO「ぎふママネット」を立ち上げた友人が
「うちの事務所、見に来ない?」と
誘ってくれました。

昨日の午後事務所に行ってみると、
懐かしい顔ぶれを見つけました。
ママ向けのフリーペーパーも創刊し、
2年前よりみんなたくましくなった感じ。
広告営業の話も、和やかながら真剣です。

しばらくして代表をやってる友人が
客人を伴なって、事務所に帰ってきました。
お客さんは、郡上市で田舎での仕事づくりなどに取り組む
NPO法人のお二人でした。
家族連れで自然体験ツアーなどに
参加するお客さんを開拓中とのことで、
お母さんたちのグループであるぎふママネットに
相談に来たのだそうです。

「やっぱり何か作って食べることをしたいよね~」
「お母さんと子どもたちが別々の活動をできるといいね」
「出発は9時くらいがいいんじゃない?」
などなど、かなり具体的な話がどんどん出てきます。
そして、最後には「よし、じゃ3月に下見に行こうか?
○日はみんな空いてる?」という話になり、
即モニターツアーの開催が決まってしまいました。

その話の早さに驚いたのは、郡上からの二人。
「私たち、母親だから活動できる時間も
顔を合わせられる機会も限られてるので、
どんどん決めちゃうんです」と説明するママネットのメンバー。
やっぱり、たくましくなってるわ。

私も妊婦じゃなければ、絶対参加したかったけど
今はしかたなく我慢。
でも岐阜に帰ったら、
もっと親子で自然に触れ合えることをしたいと思っていた矢先に
こんな話に出会えるなんて、やっぱり引き寄せの法則かしら?
岐阜に帰るのが楽しみになってきました。


それはそうと、一昨日から岐阜の家の断捨離の作業を始めて、
その作業をやりながら、
岐阜に帰ってからやってみたいプロジェクトを思いつきました。
これについては、また機会があったら書きます。
岐阜に戻ってからも、以前からのご縁、
新しいご縁を大切にしながら、
楽しく、みんながハッピーになるようなことに
ぼちぼち挑戦したいなと思います。


ワークじゃないのに号泣

2008-12-15 00:21:13 | 行ってきました
約半年にわたって準備してきた
金沢国際交流財団の創立20周年記念事業
多文化共生のステージ」が行われました。
このステージは、多彩な背景を持つ金沢市民、特に外国出身の市民が
金沢で経験した様々な気持ちやできごとを四季にたとえ、
映像とオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の演奏で
表現したものです。
出会いの春、戸惑いの夏、喜びの秋、未来をのぞむ冬を表す映像として、
外国籍の市民を中心に、金沢に来た時の印象や、
びっくりしたこと、うれしかったこと、
5年後の金沢に望むことなどを聞いたインタビューを流しました。

映像の制作は、すべて素人の市民ボランティアです。
私は実行委員として、インタビューチームに参加し、
10余名の方にお話をうかがいました。
この活動を通じて、いろんな方とご縁をいただきました。

プログラムが始まってみたら、
ところどころ素人っぽい荒削りなところはあるけれど、
おもしろくて、はっとさせられる映像に引きこまれました。
また、OEKメンバーによる演奏もそれぞれの季節をイメージした名曲で、
思わず体でリズムをとってしまうほど、堪能しました。

途中、なぜかわからないけど、バイオリンのソロの音色に
感情が高ぶって涙が出てきてしまいました。
「えっ、なぜここで?」と自分でも不思議で、
「やべっ、泣いているとこ見られないようにしなくちゃ」と
思っている自分自身にも気づいて、こっけいに思いました。
だって、ワークショップだったら、もっとワンワン泣いてるもんねぇ。
「泣いたっていいじゃん。今さら感情隠す必要なんてないでしょ。
出しちゃえ、出しちゃえ!」と思いなおして、
涙が流れるままにしておきました。

でも、OEKエンジェルコーラスと公募の子どもたちが
「ビリーブ」を歌っているのを聞いたら、
また目頭がツーンとしてきて、また「やばっ」と思っていました。
「まだ、フィナーレでもないじゃん。もうちょっとがまんしろ」って。

困ったのは、最終章で実行委員のメッセージに合わせ、
Celtic Womanの"You raise me up"が流れた時です。
トリノ五輪のエキシビションで、荒川静香が使ったあの曲です。
多分、さびの部分が流れた時だと思いますが、
「ええーい、もうがまんできない!」って感じで感情があふれてきて
しゃくりあげるほど泣き出してしまいました
このプロジェクトでたくさんの素敵な人たちと会えたこと、
みんなと協力してこんなにすばらしいステージを作れたこと、
金沢という素敵な街に住めたことなど
すべてが本当に「有り難い」神様の贈り物のように思えて、
いや本当はそんなことさえよくわからなくて、
ただただ感動で涙があふれました。
心理学ワークショップでもないのに、この泣きっぷり。
まぁ、私も感情のふたが開きっぱなしだわ
それを許せるようになった自分をうれしく思いました。


実は、この後今日は、とても大きな気づきがありました。
そして、その気づきをかみしめていた時も、
急に涙があふれてきて大泣きしました。
母のもとに生まれて来られてよかったと心から思えたのです。
「産んでくれてありがとう」という言葉は、
ワークショップの中でも言えなかったけど、
今日は本当にそう思えました。
この話はまた機会があったら書きます。<=ひっぱってます

しかし、よく泣いた日だったわ。
満月の翌日、まだ月の引力が強かったのかしら?

【ネタバレ注意】映画「落下の王国」

2008-11-27 22:13:27 | 行ってきました
各界の有名人が絶賛のコメントを寄せていた映画
落下の王国」を見に行ってきました。
構想に26年、撮影に4年、いくつもの世界遺産でのロケ
とチラシに書かれ、載っていた写真も
本当にきれいなものばかりだったので
とても期待していきました。

冒頭のシーンはモノクロ、スロー再生で、
一つ一つのシーンは陰影のコントラストが
劇的な印象を与えていました。
決定的瞬間を写した写真が、
連続で流れている感じでした。
その視覚的効果には目を奪われましたが、
肝心の内容はよくわかりませんでした。

その後は、失恋して自殺しようとした(?)スタントマンが
同じ病院に入院している女の子に語り聞かせる
物語と現実の病院での話が入り混じって進んでいきます。
この物語のシーンの映像がファンタジーらしく
とても美しいです。

スタントマンの青年は、自殺をあきらめられず
女の子をてなづけてモルヒネを盗んでこさせるために
物語を聞かせるのですが、
ある時女の子が調剤室のモルヒネを盗もうとして
踏み台から足をすべらせて落ちてしまいます。
申し訳なくてそばに付き添うスタントマンに、
ベッドに寝かされた女の子はまたお話をせがみます。
そこから物語はラストに向けて進み、
主人公の山賊以外の5人のヒーローたちが
次々と敵に殺されていきます。
そして、山賊も宿敵との対決で、殴り倒されプールに沈められ、
もうだめかと思われた時、現実の世界では女の子が
「死んじゃだめ!」と泣きながらスタントマンにお願いします。

このあたりでは、物語の中で6人のヒーローの共通の仇だった
スペインの総督オーディアスは、
現実の世界でのスタントマンの恋敵の姿で現れていて、
ファンタジーと現実がスタントマンの頭の中で
交錯している感じが出ていておもしろかったです。

結局、この物語のラストは女の子の懇願で生きる力を取り戻したスタントマンが
山賊の息を吹き返させて、オーディアス=恋敵にパンチを食らわせ
去っていきます。
そこに、かつての恋人が現れるけど、
山賊は彼女の思い出のペンダントを投げ捨てます。
ここでスタントマンは、彼女との思い出にさよならして
新しく生き始めることを決意したのでしょう。


最後になって主人公のスタントマンの心理が
よく出ている表現があり、おもしろいと思えたものの
私はそんなに絶賛したいと思う映画ではありませんでした。

映像的にはとても美しいのに、
なぜ私はあまり好きになれないのだろうと考えた時、
その美しさがあまりに作為的、わざとらしく感じられるからだと
思い当たりました。
なんか美のための美を追求している感じ。
たとえてみれば、「俺って格好いいだろう?」って感じで
振舞ってる男を見てるみたい。
それより、私は坦々とやることをやって
人間的な奥深さがにじみ出ているような人が好き。

映画も、派手な視覚効果より、坦々とした物語を描きながら、
人生の深さを感じさせるものが好きです。
同じ美しいと感じた映画でも、
私の大好きなドイツの映画監督レニ・リーフェンシュタールの
ベルリンオリンピック記録映画「オリンピア」のように、
美しさを求めたものでないにもかかわらず
ありのままの美しさを抜き出したものに惹かれます。


というわけで、はからずも「落下の王国」を見たことで、
私は作為的なものが嫌いなのだということに気づきました。
昨日の舞踏公演での感動と合わせて考えると、
あらためて自分の好き嫌いの傾向がわかって、
興味深い体験でした。


舞踏公演「グラジオラスは発火する」

2008-11-26 23:00:59 | 行ってきました
舞踏と呼ばれるジャンルの踊りを知っていますか?
もともとは暗黒舞踏と呼ばれていたそうですが、
60年代に日本で生まれたもので、欧米ではかなり有名です。
(詳しくは、ウィキペディアの暗黒舞踏の項を見てみてください)

金沢には、金沢舞踏館という舞踏のグループがあります。
私は夏にたまたま図書館でそこのワークショップのチラシを見て、
すぐに申込みました。
大学時代に2年ほどジャズとモダンダンスに熱中してましたが、
何か自分が求めるようなダンスが他にあるはずと感じて、
ダンスを「休む」ことにしてから、はや10ウン年。
もしかしたら、この舞踏こそ、私が求めていたものかしら??
と思って参加したのです。
私が期待したものとはちょっと違うように感じたけど、
とても刺激的な体験でした。

今夜はその金沢舞踏館の公演「グラジオラスは発火する」が、
金沢市民芸術村でありました。
7人のダンサーにはちょっと狭い会場でしたが、
間近でダンサーの踊りを見ることができました。

金沢舞踏館の考える舞踏について、HPには以下の記載がありました。
「イマジネーションの力を身体の奥深いところ、
無意識の領域でとらえることで個人的なこだわり、
押さえられていた感情などが自ずと、
動きや踊りに顕われてくることになります。
それを表現として、昇華することが私達の舞踏です」
本当にこの言葉どおりのことを感じました。

感情を見せるために体を表現手段として使う従来の舞踊と違って、
感情が生まれる根源からあふれ出てきて、
なかば反射的に体が動いてしまうというような感じを受けました。
つまり動きを頭脳で作っているのではなく、
自分の感覚に耳を澄ますことで、自然に体が動いている感じです。

私は特に、1人の男性ダンサーの踊りが気に入りました。
彼はおそらく私と一緒にワークショップを受けていて、
その後の飲み会でも一緒になった大学生だったと思います。
彼は確か美大で彫刻を専攻している人でした。
他のダンサーの体が表現手段として
先の方から動いているように見えたときがありましたが、
彼の体は中心からうねりが生まれ、広がっていくように見えました。

私自身もワークショップでそうだったのですが、
従来の舞踊をやったことのある人は
四肢の大きな動きで表現しようとしてしまうように感じました。
美大生の(?)彼がそうならないのは、
彫刻という動かないものに表現を押しこめることを
日常的に体験しているからなのかなと思いました。


そういえば、以前テレビでおもしろい実験を見ました。
現代劇の役者である樹木希林さんと、有名な能役者の
表情と感情の動きの比較でした。
表情の動きは顔の筋肉につけたセンサーで
感情の動きはよく覚えていませんが、
手の汗だったか心拍数だったか、何か生理的な指標で測っていたと思います。
その結果、希林さんは感情が高ぶるにつれて表情も大きく動いていましたが、
能役者の表情にはあまり変化がありませんでした。

舞踏でも表面的な動きは大きくなくても、
微妙な動きの中に表現者の内面の変化があふれ出てくるようです。
見る側にも、「心で見る、感じる」ことを求めている感じがします。


今夜は連れ合いと一緒に見に行く予定だったので、
息子も同伴していました。
「ぐずったら出られるように、入口のそばで…」と言われたのですが、
少しも騒がずじっと見入っていたのには感心しました。
演技が終わったら、ちゃんといいタイミングで拍手もしていたし。
さすが4歳にもなるとお兄ちゃんになってきたかな?
今夜はいい子でいてくれて、ありがとう。



【ネタバレ注意】「闇の子供たち」を見てきました

2008-11-21 18:19:24 | 行ってきました
あぁ、重たかったぁ…。
話題の映画「闇の子供たち」を見てきました。
つわりもあるし、続けて流産してる身だから
あまり精神的な衝撃を受けるようなことは、
避けようと思ってるのですが、
これは見ておきたかったのです。

幼児売買春や臓器密売の話は新聞やネットで見ていたけど、
フィクションとは言え、映像で見ると
本当に気分が悪くなってしまいそうです。
特に臓器密売の話は、真偽はともかく、
この映画で描かれていたよりもっと残酷な話を
オルタナティブ通信」というサイトで読んでいたので、
そういう残虐な映像がなかったのは、
今の私にとっては幸いでした。

この映画がよかったのは、仲介人の男も
実は子どもの時に性的虐待を受けていたという被害者の面を見せて、
単純に誰かを悪魔扱いしていないことです。
また、衝撃的な最後では、正義感に燃えているように見えた主人公にも
実は彼が告発しようとしていた対象と同じような闇があったことが
明らかになります。
そして、心臓移植を受ける子どもの親は、
提供される心臓が闇のルートから調達されるとうすうす感じつつも、
「誰が私の息子に死ねという権利があるんですか」と言います。
親に売春宿へ売られ、エイズになってゴミ捨て場に捨てられた後、
奇跡的に故郷の村に這ってたどりついた女の子は、
鳥小屋のようなところに隔離され、死んでいきます。
虫がたくさんわいたその死体を荼毘にふす時、
母親らしき人物だけが泣いていました。

阪本監督は、パンフレットに掲載されたインタビューの中で
「映画で描く出来事が日本人の自分自身にはね返ってくるような作品にしたい、
観た人がこれは他人事と決着してしまうような
善悪で割り切れる犯罪ものにはしたくないと考えました」と語っています。
その意図はみごとに実現されていて、
私も映画を見終わった後、ぐるぐるといろんな考えにとらわれました。

よく言われるように、社会格差や貧困がこの悲劇の根本原因なのか。
しかし、需要があるかぎり、こんな犯罪はなくならないと
監督やプロデューサーに助言した大学の先生は言っている。
では、幼児売買春の欲求を持たないようにする必要があると思うが、
性的な欲求のはけ口にすることはともかく、
幼児を愛してしまうということは裁かれるべき悪徳なのだろうか。
もしそうなら、そんな悪を生まれさせる
心理的な経歴、あるいは資質に何か特徴があるのだろうか。。

よくわからないことだらけですが、私が直感的に思うのは、
この悲劇を起こしている根本原因は
私たち1人1人の心の中にある闇の「何か」ではないかということです。
多分、それはいろんな痛みや傷なのだろうと思います。
その痛みや傷をいやすことができたら、
だんだんこういうことがなくなっていくのではないかと思えるのです。
具体的に自分が何をすればいいのかはまだ見えません。
「今、ここで、自分」にできることと言ったら、
自分をレイキで満たし、それを周りに広げていくことくらいしか
思い浮かびません。


ところで、勧善懲悪でない映画と言えば、
今日映画を観たシネモンドでは、
あのヒトラーを孤独な人間として描いた
わが教え子、ヒトラー」という映画を1月に公開するそうです。
これもまた楽しみですが、
その頃までにつわりも落ち着いていることを祈るばかりです。









心理学ワークショップ

2008-11-10 14:13:23 | 行ってきました
昨日は、心理学のワークショップ
ほぼ終日参加してました。
今の講座は中級編で、ほぼ同じメンバーで
今年の5月から毎月のように参加しています。

このワークショップでは、
自分の悩みや気になっていることを話して、
そこから自分の感じ方や考え方のくせを見つけて、
それを克服するための心理劇を他の参加者にも
助けてもらいながら行います。
これが、すごくハードなんです。
別に運動するわけじゃないんですけど、
いろんな感情、特に自分が避けてきた感情を
感じるはめになるので、
終わった後は頭がガンガンする人もいるし、
眠れなくなる人もいるようです。

参加者は数人から20名弱まで、その時によって変わりますが、
自分の悩みを話すのはカードで当てられた人だけ。
だから、1回のワークショップでは、2、3人だけです。
でも不思議なことに、自分が当てられなくても
前で話す人の悩みが、自分の抱えていることと
いつも深く関っているのです。
当てられる人は、だいたいその悩みが
取り除ける時期に来ている人だと言われています。

5月に始まった初級の時も、中級に入ってからも
よく当たっている私。
そろそろ、何かを克服する時期のようです。
昨日もまた当たりました。
私のこれまでの人生の後半部に
一番影響を与えている感情がテーマでした。
それは、両親は一生懸命私に投資してくれたのに、
その期待に応えられていないという罪悪感です。
この罪悪感を持つきっかけになった具体的な経緯は
全く取り上げなかったし、全く別の問題を話から始めたのに、
まさかそこを掘り当てられるとは、
本人が一番びっくりしてます。
最近、他の人の話を聞いている時は、
早い段階でだいたい何が問題になっているか
気づくようになっていたのに、
自分のことは本当にわかりません。

親に対しての罪悪感を抱くようになったのは、
何か実績をあげなければ自分は認めてもらえない、
愛してもらえないという、
取引のようなこと(心理学の専門用語で補償)を
ずっと思いこんでいたことが、根底にあるようです。
親の投資に見合う実績をあげていない自分を
後ろめたく感じるのです。

ごく最近、私はこの罪悪感から開放されつつあったので、
本当に手放すための仕上げに、今回当たったのかもしれません。
最後の心理劇では、私が選んだ父役、母役の仲間と抱き合って
「ありがとう」と言いました。
そうしたら、なぜか”I'm proud of you.(あなたのことを誇りに思う)”
という言葉が唐突に浮かんできました。
両親がほしかったのは、「ありがとう」と
この言葉だったのかもしれません。


そういえば、前日の心理分析講座の時に、
仲間の1人が持ってきていたあめが、父の大好物でした。
そのパッケージを見たときちらっとそれを思い出したら、
その後そのあめの袋が回ってきて、1ついただきました。
なんだか、天国の父が「まぁ、これでも食べて、がんばれ!」と
言ってくれたような気がしました。
昨日も、父が私に罪悪感を手放させるために、
カードを引いてくれたのかな?
毎度のことながら、不思議な因縁を感じさせることが起きる
心理ワークショップです。