なをぞの徒然草

2008年7月高齢(38歳)&2011年7月超高齢(42歳)で出産、二人娘に翻弄される育児の日々をボヤいてます。

震災10年。

2005-01-18 00:19:04 | Weblog
震災から10年。震災の時に生き残った祖父母はすでに2人とも他界、震災の年に結婚した従姉妹は離婚して実家に戻り“負け犬リータンズ”になってからの時間のほうが長くなりました。

あの日、火事の煙で真っ黒になった空をニュースで見た時てきたのはゴダイゴの “ポートピア”の歌でした。私の大好きな街の神戸は、歌詞の中にある光と波の街はどこにいってしまったんだろう。ずっと連絡がとれず会社の電話で仕事をするフリをしながらずっと祖父母の家の電話番号をリダイヤルし続けながらずっと頭の中にこの歌が流れていました。その時母は家の近くの公園の公衆電話で何時間もかけ続けました。

大好きだった祖父母が住んでいた神戸、母が里帰り出産したために住んでいないけど“出身は神戸”とすましていう神戸という街はコドモの頃から夏休みに遊びに行って関東に帰る日新幹線の中で泣くのが高校生になっても治らなかったくらい思い入れのある街でした。いろんな偶然が重なって震災が直接の原因で亡くなった人はいませんでした。祖父母の家はたまたま数年前にしっかりした造りの家に建て直しをしていたおかげで神戸の中で一番被害の多かった区に住みながら壁が一部壊れただけですみました。比較的山に近いエリアだったのも幸いで火災にも巻き込まれませんでした。普段は大きい箪笥のある部屋で寝ていた祖母はその日具合があまりよくなかった祖父のベッドの隣で布団をしいて寝ていたので下敷きにならずにすみました。叔母の家は半壊したましたが、今は修繕して元通りに住んでいます。

今日、NHKの震災特集を見て何回も泣けてしかたありませんでした。あの時に生き残った祖父母が10年の間に2人とも亡くなった実感からなのか、震災を転機に人生を大きく変えた人たちがたくさんいる中で何にも変わっていない自分に対する反省かもしれません。身近に震災が原因で亡くなった人がいなかった為に9年間も阪神大震災をわかってるつもりで実感できていなかったのかもしれません。

自己満足かもしれません。でもいつか1月17日に神戸に行って早朝のあの時間に慰霊祭に参加したいと思います。それとこれから災害の時に役に立つ技術を何か身につけたいと思います。

先ほどのゴダイゴの曲の中に
“君は願いをこめて歩きだす光の中幸せの明日へ”というフレーズがあります。震災の前にポートピア博のときに作られた曲ですが 妙にあっているような気がします。神戸の人たちが光を取り戻すことができますように。私が好きな街で起こった事実、祖父母の死を無駄にしない、2人に胸をはれるような人生を送るように。しっかりしなくちゃ。


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