桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

奥州「東駒酒造」の古市4代と平泉「藤原4代」とを連想するスバル座長

2011年12月02日 | 矢祭「特区」
 さてさて、座長は倒産消滅した「東駒酒造」の古市4代(滝之助→興平→一興→滝之助)と、奥州平泉の藤原4代(清衡→基衡→秀衡→泰衡)との栄枯盛衰とを連想するのだ。
 それは3代目(古市一興氏と藤原秀衡)の隆盛と、4代目(古市滝之助と藤原泰衡)の没落の奇妙なる重なりに象徴される。
      
(A)座長入手の「水戸天狗党と久慈川舟運」柏書房刊には、三代目古市一興氏(写真↑)が、S10年に冷用酒医の製造、県会議員、酒販組合長、などで活躍した事が、著者である元塙町町長金沢春友氏によって記されている。
 その彼は、息子滝之助が「清酒革命」の新事業を始めんとしたS47年8月、自宅前の国道を横断しようとして交通事故死した。享年70歳。
 
(B)古市家4代の「東駒」ブランドは、奥州平泉で京都に次ぐ隆盛を誇った藤原家4代を意識したものだろう。特に藤原4代目秀衡の時には、砂金と駿馬の生産で「北方の王者」となって最盛期を迎え、交易中の中国では「ジパング・黄金の国」と呼ばれるほどで・・・日本JAPANの名付け基となったのだ。

(C)繁栄する奥州4代目を狙ったのは、関東の権力である。
 4代目滝之助社長には超過課税39億円(実際は6億円滞納だった)で会社を差し押さえた霞ヶ関幕府!!
 4代目藤原泰衡には東大寺再建の鍍金3万両(従来は1000両だった)の命令が鎌倉幕府から届くのだ。
 斯くして、先代の死後11年で古市家が、2年余にして藤原家が没落するのである。
              
(D)奇跡的な事だが、この反骨のDNAが2001年「南郷町」に再現する。
 即ち、福島県南端の矢祭町・根本町長は、霞ヶ関幕府が強行する平成大合併に反対し、自立財政を目指して猛烈な行政改革を断行したのだ。職員の削減、職員の職務兼務の推進、町議員の日給制など、先月の大阪府長選挙スローガンを10年も先行して実施始めたのだ。



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