桐生スバル☆座

映画好きの座長が大衆芝居の劇場を始めました。 http://ozuyasu88.sakura.ne.jp 桐生スバル座

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

吉田松蔭・宮部鼎蔵の山路を追う、東電原発の放射能。

2011年03月15日 | 天狗の田舎
 さてさて、下記の写真(3/4ブログ写真書籍より)は阿武隈山間地のコンニャク芋畑で、
座長が小学生の頃は当たり前の風景であるが、幕末の厳冬の折、長州藩士吉田松蔭と宮部鼎蔵
二人はコンニャク芋が抜かれた殺風景な雪畑を目にしたのである。
  

まずは気分直しに、童謡替え歌「山奥のサル・シカは・・・←クリック」を紹介する。

H23/03/15  Utatteru #20
   山奥のサル・シカは・・・  元歌:山寺の和尚さん(東京手毬唄)

  山奥のサルシカは、木の芽食べたし若葉なし、
  ・・・・・・・・・・・・・
  ・・・・・・・疲れてやつれて やがて野ざらし ホ~イホイ
 

 今回の原発放射能モレ騒ぎでは、
  (A)「昔疎開地 今過疎地」と謡った山間地に多数の避難民が予想されると
    地元夕刊紙←クリックに記事となったが・・南郷地区を含む福島県南部は、霞ヶ関高級官僚による
    東京集中施策の結果、生活力の自立が難しく彼らをサポート出来ない可能性が高い。

  (B)その避難民の後を追う放射能がナニよりも怖く、南北に長い南郷盆地に滞留する?

  (C)この忍び寄る(異なるモノの)恐怖感は、嘉永5年の正月を水戸で迎えた吉田松蔭と
    宮部鼎蔵の二人に共通するものである。
    攘夷思想の本家である水戸学を学んだ二人は、原発小名浜の地から鮫川沿いに厳冬の
    山地に入り、竹貫に一泊後に棚倉・白河へ至りて奥州実状調査の途に入るのであるが、
    著書・東北遊日記では
     「植田ヨリ白河ニ至ル山聳エ、道窄シ。田圃極メテ少ナク
      ・略・其ノ山水或ハ吟人墨客ノ観ニ適スト雖モ其ノ農桑ノ業ニ於テ、
      困苦モ亦何如ゾヤ
    とこの地は記述される。(金沢春友元町長の尽力で竹貫の松蔭記念碑に刻まれた)

  (D)しかしながら、彼ら長州藩士が悲嘆視した困苦汚れのコンニャク芋は、
    大子町桜岡家においては水戸藩士の維新運動の原資となったのだ。

『福島県』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 東京大空襲は・・ルメイ・マ... | トップ | 天罰? 水戸天狗党・吉田松... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

天狗の田舎」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL