桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

親の介護も大変・・・童謡替え歌「仏の顔も8時間・・」

2012年08月15日 | 天狗の田舎
 さてさて、数年前に亡くなった長兄は、「我が家は士族である」の言葉をヤクザな芝居興行の座長に投げつける事が常であった。
 蝦夷DNAが活性化しつつあった座長は、そもそもサムライなぞは戦国時代まで(桓武平氏ダ!清和源氏ダ!)と貴族由来を説かねば権威を保てなかったのだし、鎖国江戸時代ともなれば強引な廃藩リストラに遭って農郷士化して田圃タンボに埋もれる有様、生き残った7%の武士どもも(福沢諭吉風に言えば)親の仇カタキ同然の権威的な事務官僚が多い有様なのだから、長兄の言う「士族」の程度は知れたもの・・・さすれば、縄文以来の「田圃タンボ族ナリ!」と豪語した方が良いと思っていた。
        
(A)我が一族の親たちも次々と亡くなり、現在残る一族の長オサは95歳のオバサン(母の妹)だけとなってしまった。
 新聞コラムに「親が亡くなるとサ~と目の世界が開けて新境地の心地になる」とあったが、残念な事だが我が一族が新境地に突入する時期も間近と感じられ、塙ハナワ町と常世ツネトヨ村の境界地にある釜藤カマフジ(いかにも常世族鍛冶業地らしい地名)のオバサン宅を訪ねる事にした。

(B)オバサンに是非聞きたい事があった。それは悲惨な「満州開拓地からの引き揚げ話」なのだが、口にすると過酷な思い出(トラウマ、PTSD)が蘇えり、夜中に大騒ぎするのではと心配で聞けなかったのだ。
    (老人ホーム職歴時の、真夜中の老婆ルーム天井に反響する凄まじいウメキ声        ・・を思い出す座長。)
 幸い、その話は談笑の中で終わったのでホッとしたのだが、オバサンの旦那が「シベリア抑留された話」までは聞けなかった。 座長ら団塊世代は生まれた時から平和で豊かな時代に恵まれ、以前は度々話された斯様な戦時話も想定外の話として忘れ去る世代になってしまった。
 そこで紹介したいのは、この釜藤カマフジを流れて塙ハナワ町へ至る川沿いで毎年繰り広げられる「旧盆灯籠流し大会」で、5分に一度打ち上げられる一発、一発の孤独な花火は「魂の慰め」を感じさせて、都会の大量連続花火と異なる風情がある。
    本日、8月15日の夕方から開催されるのだ。

(C)最後に、7~8年前にオバサンが元気に生きるようにと願って謡った 童謡の替え歌を紹介する。

H24/08/15 Utatteru #67  OZUの謡←クリック 
 「仏の顔も8時間・・」 元歌:「うれしい雛祭り」 作曲:河村光陽 作詞:サトーハチロー
      YOUTUBE映像←クリック)で謡えます 
 明かりを消しましょう お婆~さん
  ・・・・・・・・・・・
  介護の果ての憎み合い、私の苦労も水の泡
    旦那の兄弟鬼の顔


コメント    この記事についてブログを書く
« 常世田令子著「常世伝説の謎... | トップ | 平成版「大正ロマン」を創れ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。