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焦点/争点「少数者差別の根底」LGBT差別=マイノリティー差別の切開!

2018-12-02 02:57:11 | 社会時評

      (琉球新報11月29日、2018年)

新聞記事の中で千葉雅也さんの論点が気になりました。中央公論12月号を読まなければです。誰もが少数者差別の加害者になりえるもその通りでしょうが、誰もがまた差別の対象にもなりえると言えるでしょうか?

「マイノリティー」を「弱い存在」として「保護者的態度」が取られることは「不愉快」と一蹴する千葉さん、なるほどです。

「国家が未来へとつなぐ子供という存在があってこそ意味をなす巨大な生命体」という考えからLGBTが生産性がないという敵対論が起こりえるのですね。ただLGBTも子供を育てることは可能で、家族を持っていますね。日本の動向はよくわかりませんが、アメリカハワイ州の女性判事がレズビアンで、パートナーそれぞれが精子バンクから得た精子と自らの卵子で子供を出産し、家族を営んでいる実例のお話を拝聴したことがあります。またトランスジェンダーのカップルが養子縁組で子供を得て家族として暮らしている事実もあります。著名な家族です。

その点日本は拓かれていないことがわかります。

マイノリティーもマルチな実態があるのですね。マイノリティーの実存がマジョリティーの中で強い存在感と実利を得ることもありえるチャンプルー性も身近にある現実です。1%のマイノリティーが99%のマジョリティーを支配しているという経済構造もあるわけですね。

あらゆるものは交換可能になりLGBTも資本の論理の下に搾取される存在になる、はつまり社会的存在として実存する限り誰でも商品として交換される対象でありえるということになります。「ホテルカリフォルニア」の歌詞、囚人が思い出されます。この世の囚人としての己,個、としての自由・不自由もあるのですね。生命体としての国家、生命体としての地球、生命体としての宇宙が偶然にある種の法則で動いている。生きて、再生し、循環していると考えると、存在の意味性がどこにあるのか、生きていることそのものに意味があり、個々の偶然として命を得た環境で命を全うすることが、意味になるのでしょうか。


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