志情(しなさき)の海へ

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友あり、広島から来る!親鸞の教えでは位牌も仏壇もお墓もいらないとはじめて知った!

2020-11-29 07:46:07 | 地球、惑星、宇宙、実存、宗教、神秘
(ホウレン草の苗が元気いい。小さな菜園❗️)
1月に家族が永眠し、また兄弟も5月15日に永眠した。葬儀や死や終活について、いろいろ向き合ってきた2020年も後一月で終えようとしている。昨日古い知人夫婦に2年ぶりにお会いした。いろいろとこの間お世話になった方々でその恩義に十分に報いることができないままである。自宅で久しぶりのユンタクで、この間、知らなかったことがわかって、驚いた。知人といっても故人の若い頃からの知り合いの方々で若者が思春期に悩んでいた時は、一橋大学近くのマンションに泊めて頂いたりした。何かと気を遣ってくださって、いただいたお気持ちに報いたいと思いつつ、時が経っている。
 昨夜お話の中で位牌も仏壇もお墓もいらないことが話題になった。故人は一応仏壇を購入し、禅寺に納骨していることなどをお話していて、彼女の亡くなられたお兄様の葬儀のことをお聞きしたら、彼女の信仰している浄土真宗では位牌や仏壇、お墓など必要ないとのことで、驚いた。浄土真宗のすべてがそういうことではないのらしいことも後で分かったのだが~。
 お母様もお父様もお兄様も樹葬のような形で永眠されているという、「私も樹葬でいいと思っている」と聞いて、目を丸くした。多様な葬儀が行われている昨今である。
 遺骨を大事にし、お墓にお金をかける沖縄の祖先崇拝との違いは大きいようだ。ネットで検索すると「祖先崇拝の迷妄」という説明もあった。お墓参りをすることが単に祖先を偲び崇拝だけなら意味がないと取れたが、「静かに墓前にぬかずくことが人生を見つめる得難い機会になることは間違いありません」とも書かれている。沖縄の祖先崇拝とお墓の関係は清時代の中国からの影響で、王家や士族層の慣例が一般庶民に広まったと理解しているが、中世や古代の葬儀はどうだったのか、気になっている。
 彼女Uさんから『無宗教からの「歎異抄」読解』の書籍名がでた。ネットで調べてみた。『歎異抄』は多くの解説本があり、吉本隆明も『最後の親鸞』とか他にも書籍が書かれているとUさんは話した。ただ吉本の解釈とUさんご夫婦の考えとも異なるとの事だった。
 全てから解き放たれる解放感(開放感)があるのですよ、とのことで興味を持った。その書を取り寄せたい。ただ吉本の書籍も『歎異抄』も何冊か本棚にあり、あらためてめくってみたいと思っている。若い頃に読んだままだ。悪人正機が念頭に残っているだけだった。阿彌陀仏による善悪について~。全く観念の中から抜け落ちていて、あらためて思い立ったところである。
 それにしても位牌も仏壇もお墓もいらないということに驚いている。タイの留学生から聞いたタイにはお墓がないということが頭をかすめた。Uさんのお連れ合いはタイの寺で実際に出家を一月経験したとのことで、ますます興味は深まっている。
 今日のユンタクが今から楽しみだ。

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