国の文化審議員のメンバーはほとんどが大学人、知識人デスネ‼️作家、音楽家等の芸術家は一人、二人。以下のメンバーが公表されています。
宮城能鳳氏は果報な方ですね。沖縄初の文化功労賞です。1879年の廃藩置県からほぼ140年経て、組踊女形の立方が、初の文化功労賞です。https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1016344.html
「能鳳さんは1938年生まれ、旧佐敷村(現南城市)出身。本名は徳村正吉(まさきち)。初代宮城能造に師事。90年から県立芸術大教授を務め、2004年に客員教授、07年に名誉教授。05年から国立劇場おきなわの組踊研修の立方主任講師。06年に重要無形文化財「組踊立方」保持者(各個認定)=人間国宝=に認定。09年に重要無形文化財「琉球舞踊」保持者(総合認定)に認定され、15年から琉球舞踊保存会会長を務める。13年に琉球新報賞。宮城本流鳳乃会(おおとりのかい)家元。」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-892681.html←より一部転載です。)
人間国宝のお墨付きも持っています。慶事にメディアも沖縄芸能界も、大喜びデスネ‼️
この間、作家、劇作家の大城立裕氏の初の文化功労賞を念じてきたので、肩すかしです。
一方で、沖縄の地政学的位相や近代以降の歴史的経緯を含め、文芸作品で表出してきた作品の数々は、現代の沖縄を鋭く指し示している事に驚きます。
以前にもこのブログで書いたのですが、氏は極めてラディカルな方なのです
文化の力を強調してこられた大城先生は、意外にも政治の根本を見据えているのですね。
身体表象の伎芸を鍛練してきた方々を凌ぐ思想性が結晶化された物語や言葉の中で永遠の生命を持っているとも言えるでしょう。民族の魂が言葉にこめられているのですね。
権威や権力に供与され、外交の饗宴に寄与した芸能に対して、作家の作品は刺を内在させながら時代を抉っていきます。
ああ、大城立裕氏の新作組踊を含めた小説や戯曲が射る世界こそ、沖縄の過去と現在を照らす光となっています。
宮城能鳳氏を認定し、大城立裕氏を袖にした文化功労賞選考委員の方々の、認識や方向性がどこにあるのか分かります。
日米のポストコローニアルの位置付けを跳ね返そうとする沖縄ですね。
忠孝の美学を強調する組踊です。
大城立裕先生に沖縄を代表する初の芸術院会員、文化功労者になってほしかったです。
10代の若衆から20代を中心に冊封使の前で上演された「組踊」であり、女形のモデルが芸妓だという琉球・沖縄芸能の代表者(人間国宝)の芸以上に、近代以降の沖縄の葛藤を描写し、戦争直後から現在に続く沖縄の構造的本質を物語の中であぶりだしててきた作家の作品こそ、もっと評価されるべきだと考えています。大城立裕先生は、沖縄文化の頂点に立っていると考えています。
文化的ポリティックスの色合いの深さが宮城能鳳氏を包んでいるようです。ユネスコに世界無形文化財として認定され登録された「組踊」の技能保持者への眼差しは多く(かつ厳しく)なるでしょうか?文化庁は小説や戯曲より、立役の芸に期待しているようです。女形の立役への評価であり、舞踊家としての宮城氏への評価とは異なりますね。優れた女性舞踊家たちが勝るとも劣ることなく顔を並べています。琉球舞踊の人間国宝はまだ認定されていません。また組踊の女形芸は、女性舞踊家も見事に演じることが可能な芸デスネ‼️男性に特化できないと考えています。ユネスコに認定されている北京オペラを参照しても良いですね。男女の俳優で構成されています。
玉城流より宮城流の勢いが増す盛重系統になるのでしょうか?組踊の初源の形態を見据えた芸、そして近代の帳の踊りに眼を向けたとき、渡嘉敷流や松含流への評価はもっと高まるべきですね。宮城能鳳さん以降は、模範が示されたわけですから、若手や中堅の皆さん方は人間国宝や芸術院会員、文化功労賞を目指して切磋琢磨するのでしょう。競争が激しくなりますね。まずは組踊保存会の保持者に認定されることでしょうけれど、その認定にも文化的ポリティクスが機能しているのでしょうか?
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大城立裕(おおしろ たつひろ、1925年9月19日 ‐ ):https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9F%8E%E7%AB%8B%E8%A3%95 より一部転載です!フリーネット辞書です。
沖縄県中城村出身。1943年、上海の東亜同文書院大学に入学し[1]、1946年、敗戦により中退。高校教師を経て琉球政府、引き続き沖縄県庁の職員となり、主に経済・歴史編集畑を歩む。1967年、『カクテル・パーティー』で芥川賞を受賞し、沖縄初の芥川賞作家となる。「沖縄」の矛盾と苦しみと誇りをみつめた小説、戯曲やエッセーなど多くの作品を発表した。県の文化行政にも積極的に関わり、1983年から1986年まで沖縄県立博物館長を務めた。
受賞歴
- 1967年 『カクテル・パーティー』で芥川賞
- 1990年 紫綬褒章
- 1991年 沖縄タイムス賞
- 1993年 『日の果てから』で第21回平林たい子文学賞
- 1995年 那覇市文化功労者
- 1996年 勲四等旭日小綬章
- 1998年 琉球新報賞
- 2000年 沖縄県功労賞[2]
- 2015年 「レールの向こう」で第41回川端康成文学賞[3]
- 2019年 第3回井上靖記念文化賞
著書
- 『カクテル・パーティー』(文藝春秋、1967年)のち角川文庫、岩波現代文庫
- 『小説琉球処分』(講談社、1968年)のちケイブンシャ文庫、講談社文庫
- 『白い季節』(沖縄風土記社、1968年)
- 『現地からの報告・沖縄』(月刊ペン社、1969年)
- 『内なる沖縄 その心と文化』(読売新聞社、1972年)
- 『ぱなりぬすま幻想』(三笠書房、1972年)のち角川文庫
- 『同化と異化のはざまで』(潮出版社、1972年)
- 『恩讐の日本』(講談社、1972年)
- 『風の御主前 小説・岩崎卓爾伝』(日本放送出版協会、1974年)のち角川文庫、ケイブンシャ文庫
- 『神島』(日本放送出版協会、1974年)
- 『白い季節』(日本放送出版協会、1976年)
- 『沖縄、晴れた日に ある転形期の思想』(家の光協会、1977年)
- 『まぼろしの祖国』(講談社、1978年)
- 『華々しき宴のあとに』(日本放送出版協会、1979年)
- 『沖縄歴史散歩 南海を生きたもう一つの日本史』(創元社、1980年)
- 『私の沖縄教育論』(若夏社、1980年)
- 『般若心経入門 ─自由自在に生きる266文字の知恵』(光文社、1981年)
- 『朝、上海に立ちつくす──小説東亜同文書院』(講談社、1983年)のち中公文庫
- 『神女』(筑摩書房、1985年)
- 『花の碑』(講談社、1986年)
- 『天女死すとも』(岩波書店、1987年)
- 『休息のエネルギー―アジアのなかの沖縄』(農山漁村文化協会、1987年)
- 『私の仏教平和論 戦争を抑止する英知をもとめて』(佼成出版社、1987年)
- 『神の魚』(新潮社、1989年)
- 『ノロエステ鉄道』(文藝春秋、1989年)
- 『沖縄演劇の魅力』(沖縄タイムス社、1990年)
- 『後生からの声』(文藝春秋、1992年)
- 『琉球の英傑たち』(プレジデント社、1992年)
- 『琉球の季節に』(読売新聞社、1993年)
- 『日の果てから』(新潮社、1993年)のち講談社文芸文庫
- 『さらば福州琉球館』(朝日新聞社、1994年)
- 『ハーフタイム沖縄』(ニライ社、1994年)
- 『二十日夜』(中央公論社、1995年)
- 『かがやける荒野』(新潮社、1995年)
- 『世替りや世替りや 戯曲集』(三一書房、1997年)
- 『光源を求めて 戦後50年と私』(沖縄タイムス社、1997年)
- 『恋を売る家』(新潮社、1998年)
- 『水の盛装』(朝日新聞社、2000年)
- 『真珠道 琉球楽劇集』(琉球新報社、2001年)
- 『大城立裕全集』全13巻(勉誠出版、2002年)
- 『対馬丸』(理論社、2005)のち講談社文庫
- 『縁の風景 わたしの挿話たち100』(沖縄タイムス社、2007年)
- 『花の幻 琉球組踊十番』(カモミール社、2007年)
- 『普天間よ』(新潮社、2011年)
- 『真北風(まにし)が吹けば 琉球組踊続十番』(K&Kプレス、2011年)
- 『命凌じ坂 (ぬちしぬじびら) 自伝琉歌集』(沖縄タイムス社、2013年)
共編著
- 悪石島 疎開船学童死のドキュメント(嘉陽安男,船越義彰共著 文林書房、1961年)
- 沖縄の百年(新里金福共著 琉球新報社編 太平出版社、1969年)
- 沖縄の伝説 (星雅彦,茨木憲共著 角川書店、1976年) 日本の伝説2
- 対馬丸(嘉陽安男,船越義彰共作 理論社、1982年)
- 最後の般若心経 貧しさから豊かさの超克へ (松原泰道共著 徳間書店、1987年12月)
- 大城立裕文学アルバム(勉誠出版、2004年)
出典
- ^ 岩波現代文庫「カクテルパーティ」(ISBN 9784006021894)作者紹介より
- ^ 2016年5月16日
- ^ 2016年5月16日