(高江のテント拠点で安倍小涼さん、松本さん、名嘉山さん、吉田妙子さんらと)
《映画紹介》
映画『グリーナムの女たち』(日本語版、1984年制作);CARRY GREENHAM
HOME :イギリス/1983/60分
映画は、英国国立映画学校の卒業作品として作られた。監督のひとりビーバン・
キドロンは現在も英国映画の中堅のフェミニスト監督として活躍している。日本
でも公開されて人気を博した、『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズの2
作目を監督。フェミ的な視点も入れて人生に恋に悩むロンドンの女の子の生活を
描いた娯楽作。
映画は、かの有名な1982年12月12日の2万人以上の人間の鎖で米軍基地を囲ん
だ場面から翌日の基地行動へ続き、約半年のグリーナムの女たちの活動を、キャ
ンプに住み込んで撮ったドキュメンタリー作品。作品自体高く評価され、フェミ
ニスト映画祭などで最高賞を得た。グリーナムの女たちの平和キャンプ運動は
ヨーロッパj中に広がり、欧州の平和運動の聖地とまで呼ばれた。なお、彼女た
ちの活動は、米ソ冷戦の終結をもたらしたとも言われる。キャンプは18年続き、
ついに米軍基地は閉鎖に追い込まれた。現在、跡地はコモン(共有地)として地
域の人々に愛されている。(近藤和子)
久しぶりの高江詣では宜野湾の『御万人大行進』に気がそそられながら予定通り女優の吉田妙子さんと行くことにした。後輩の映画研究者の名嘉山リサさんも主催者として関わっているFeminist Active documentary Video Festaである。高江でないと見れないプログラムで以前から気になっていたドキュメント映像ゆえに久しぶりに遠出した。多くの高江のみなさんも今日は宜野湾海浜公園の『パフォーマティブなサウンドパレード』に参加したようで、静かな高江だった。トゥータン家はなかなかいい空間でじっくり見れてかつお話ができたのが良かった。饒舌になっていた。反省。しかし映像は82年、実際女性たちが立ち上がった運動だったのだ。米軍基地を囲んだ平和キャンプ運動の熱は、彼女たちの運動の形態も含め、世界に伝播しているのだと認識させられた。大飯原発の再稼働反対のあのパフォーマティブな運動形態に繋がり福島の女たちの反原発運動にも連なる運動であり、まだまだ続く東京の官邸前の反・脱原発運動に重なっていく運動だ。
しかし命を育み、世界の安寧、平和と連帯しょうとする女性たちの唄は、人間の鎖は、女性のあらゆる属性・普遍的な現況(人類史の現在)を訴えている。彼女たちをごぼう抜きする裁判所や警察などの管理する側の強権の醜さもまた炙りだされている。女であることの共感がそこにあふれていること、彼女たちの唄は行動はキャンプはそのままわたしのものであり、わたしたちが共有しえるものをそこにそのまま湛えてあったのである。女であること、母であること、そのジェンダー&セクシュアリティそのものがそのままわたしでありえることがそのままストレートに伝わってくる。イギリスの女性たちの闘いの根にあるもの、それはわたしのものである。今も変わらない水脈にあるものそれが何なのか?人類史の生物史の総体を捉え返す取組に他ならないのかもしれない。生きることの意味、この間の既成の価値(これは複雑)が正当でもなんでもない歴史の捉え返しが求められているのかもしれない。女たちの声の論理化は、男の論理に寄り添う論理ではない、別の異なる水路があるかもしれない。男になる特別な女たちの論理でもない。特権化された論理ではないものが求められている。論理(ロゴス)ための論理(ロゴス)でもない。弱さ=Weakではなくvulnerbilityが聞こえたのは確か昨日の研究発表セミナーだったか?
権威(力)と称される者たち(Who?)によって、文字化された言説(文字、概念、論理)が吸収し得ない生の声・唄が聞こえてきたと思う。足元の課題を掘る時間は限られているけれど、誘われるままにまた出ていく明日は那覇で!
命どぅ宝です!
東村の海は綺麗!白砂がまだ残っている!