志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

「大川敵討」より「忠孝婦人」の名称が琉球王府時代から近代にかけて多いのです!なぜ「大川敵討」?

2014-05-14 09:31:07 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

                                ≪琉球新報:2014年5月14日(水)≫

復古調でもない、マッチョ意識が国立劇場おきなわの主流でしょうか?「大川敵討」ではなく「忠孝婦人」の名称の方がいいね!東京の国立劇場で二回公演の成功が紙面で伝えられた。谷茶の按司の宇座さんの発言がどうもだね。谷茶の按司を揶揄した言い方だが、谷茶の按司は単にバカとしてみてはならない。仇討物だから打たれるのは谷茶の按司だから乙樽に分配があるように脚本は作成されている。当然だ。しかしその言葉のレトリックのやりとりに見どころがある。恋は盲目というより、恋する按司ゆえに乙樽は難を逃れたのだ。つまり理(策略)ではなく情の人だった按司ゆえである。按司の恋慕に嘘はなかったのだということがわかる。そこを軽く見たらどうもだね。秀逸な部下の満納を退ける(殺す)ほどに、谷茶の按司は乙樽に思いを寄せた、ということが大きい。それゆえに近代沖縄においても他の組踊を差し置いて「忠孝婦人」は人気があったのだ。心の芯をさすレトリックが溢れていたのである。

組踊の論稿はいろいろあれど、多様な角度からもっと分析されいろいろな解釈がなされていい。今回「忠孝婦人」に近代の沖縄人がなぜ惹かれたのかを含んだ論稿を書いたのだが、また別の角度から50作ほどの作品を分析してあるテーマを浮き彫りにしたいと思いは膨らんでいる。

名称だが実際に琉球王府時代から近代にかけて、琉球・沖縄では「大川敵討」より「忠孝婦人」を好んでいた。それをどうして踏襲しないのかな、国立劇場おきなわの企画調査課はー。「大川敵討」の平板さはその課のブレインのセンスの悪さを示しているね。「忠孝婦人」(大川敵討)とかー、でも。忠孝婦人の魅力あっての大川敵討なんですよ。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。