志情(しなさき)の海へ

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元ハーグ国際法アカデミー理事で国連国際法委員会委員の広瀬信也さんが、何と琉球王府末期の外交官牧志朝忠について小説『幻影の嘉例吉(かりゆし) ―牧志朝忠とチル』を書かれています!

2022-10-01 20:36:07 | 思いがけない事

幻影の嘉例吉(かりゆし) ―牧志朝忠とチル

 単行本 – 2016/7/30:

【あらすじ】
琉球はむかし中国の史書で「流求」と呼ばれていた。流れ求めるこの王国は、大海原で漂流するサバニ(小舟)のように、歴史の潮流に翻弄されながらも、絶妙なバランスの中で、生き続ける途を求め、力の限りを尽くしてきた。この物語の主人公、牧志朝忠と琉舞の舞姫・チルが生きた19世紀中頃もそのような時代であった。

牧志朝忠は北京・国子監での3 年間(1838-41)にわたる留学中、清国が、阿片戦争で英国にまさかの敗戦を喫したことに深い衝撃を受けた。清国はもはや頼りにならない。琉球が自立して歩むためには、何よりもまず、琉球の人々が個人として自立しなければならないと考えるに至る。帰国後、朝忠は琉球王府の異国通事として活躍し、次々に来訪する異国船の対応に当った。彼はその高い識見により、仏国や米国の艦隊の人々にも深い感銘を与えたという。当時、琉球は、清朝と薩摩藩に両属しつつも、国際法上は独立国として、米仏蘭の各国と条約を結んだ。そうした中で朝忠は、中級武家の出身ながら、後に王府閣僚にまで出世する。

チルは海を隔てた久米島から琉球本島に流れてきた薄幸の少女。貧困にあえぐ家族を救うため、チルは辻村の遊郭「染屋」で遊女(ジュリ)となることを自らの意思で決める。しかし天性の舞姫として、チルは舞踊の世界で大きく羽ばたき、自立した琉球の女としての道を進む。朝忠との運命的な出会いを通して、チルもまた琉球の歴史の中でその役割を果たすことになる。

琉球の王宮内では、摩文仁親方の率いる親清国の守旧派が主導権を握っていたが、宗主国島津藩主・島津斉彬は、家臣・市来正衛門を派遣して琉球王府の改革を断行させた。この改革は、一旦は成功したかに見えたが、斉彬の急死によって挫折。ここに、親薩摩・改革派(白党)と親清国・守旧派(黒党)との間の熾烈な抗争が展開される。白党・黒党の対立は、やがて朝忠を巻き込んで一大粛清事件に発展(「牧志・恩河事件」)。同志の恩河親方は凄惨な拷問の末に獄死、朝忠も終身禁固刑を受けて獄舎に繋がれる。

3 年後(1862年)、朝忠は薩摩藩に救出された。チルとも3 年ぶりに再会。しかし彼は、御用船で鹿児島に向かう途中、伊平屋渡(いひゃど)と呼ばれる琉球本島最北端の海峡で「自ら急流に身を投じて」死んだとされるのである。だが、彼には自ら死を選ぶ理由など全くなかった。では、誰が牧志を殺したか。朝忠の若いころからの親友・津波古政正とその弟子・喜舎場朝賢がその謎に迫り、ついに真相が明らかとなる。

これは、琉球の海に、ジュゴンの群れが多く回遊していた頃の物語でもある。

著者について
黒内彪吾(くろうち ひょうご):村瀬信也(国際法学者)村瀬信也 - Wikipediaのペンネームである。黒内彪吾という名前は、オランダの著名な国際法学者である、フーゴ・グロチウスにちなんだもの。フーゴ・グロチウスは、自然法に基づいた理論で、「国際法の父」と称される。哲学者、劇作家、詩人で、『自由海論』、『戦争と平和の法』などの著作がある。
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国際連合の国際法委員会の委員をされている著名な国際法学者が、近世琉球の外交官牧志朝忠について、すでに小説を書かれていることに驚きました。是非脚本にしてほしいですね。あらたな「琉球史劇」が誕生する可能性があります。

国際法学者が琉球の通事、牧志朝忠に注目したことが、とても興味深いですね。なぜ朝忠に?

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