あらゆる現象として見えるPOPULARな文化を研究対象にするが、その中心は映画に見えた。身近で言葉を少しかわし握手したOliver Stoneは、やはり魅力的な監督(男性)だった。31ドルの本UNTOLD HISTORY OF THE UNITED STATESを購入してサインをしてもらった。Peter Kuzanickとの共著で、Peteも一緒にサインをした。沖縄から来たと話すと友達が沖縄について本を出していると語った。お二人は4月8日に東京でNHKの取材を受けると、直に語った。4月8日のNHKに注目!です。
スミソニアン事件からアメリカも変わったんだと感じた。最初、戦争を中心に映像が流れた、つまり爆撃する側からの映像、残酷なゲーム感覚のように流れているように見えた。落とされる爆弾、一列に並んだ飛行機の映像、ドイツの都市が東京が破壊される現場、核爆弾投下に至るドキュメントである。爆撃前の広島、長崎の風景、そしてその後の無残な姿も照らし出される。世界戦争を遂行した側、スターリンは満州を襲っていた。アメリカ、ロシア、両方から狙い撃ちされる映像、その略図が描写される。こんなにも人間は人間を殺してきたのだ。無差別殺人を繰り返してきたのだ。戦争終結に躊躇する天皇の姿も、広島の後に無条件降伏をすれば長崎はなかったはずだった。天皇万歳と叫びひれ伏す大勢の日本人の姿がある。天皇の戦争責任を反故にする担保つきの無条件降伏だったことが、アメリカの視点で描かれる。マッカ-サーは核爆弾投下に反対していたのだね。知らなかった。
沖縄の戦場も出ていたとリサさんは語ったが、疲れでうつらうつらしていて最後まで見ていなかった。彼らのトークも面白かったが、最後の質問のところがこの学会らしかった。つまりコミニケーション・テクノロジーはどうかと一人の参加者が聞いたのだった。また私たちのセッションでもThe Teahouse of the August Moonを以前見たことがあるとのことで途中から参加していたニュージャージーからきた研究者が質問をした。若者たちの動物虐待に反対の運動との絡みである。彼女は「茶屋」の映画の今日的意義について、JASTICEをもってきた。忘れないことだと。INJUSTICEを忘れないこと、そして米軍基地の沖縄の状況が変わらないことを、知らなかったと話しかけてきた。
映画主体のPOPULAR CULTUREの中にTHEATREのセッションがほとんでないことが不満ではあった。映像やTVの中のシェイクスピアはあった。一つだけで身体と文化、哲学と文化、ホラー映画などはあった。面白いのはFAT(肥満)が大衆文化の中でまた論じられていることだ。ジェンダー、メディア関係などもあり、チカノやアジア系もある。コミック、漫画、アニメはやはり盛んに論じられている。父親母親のテーマのセッションや、ゲーム理論などもあり、多様。都市学、バンパイヤー研究、女性学、老人学、詩学、コメディー、ビジネス・マニー・企業文化、ゲイ・レズビアン・クイアー研究、などなど、研究対象の分野を並べてみたらその多彩な顔に驚く。興味を持ったのは前にも書いたがインターネットとジェンダーのセッションだった。面白かった。あるアメリカの著名なストアーが無造作に客の写真を宣伝に使っているその実態の分析に迫っていた。匿名性の中にある暴力性でもあり、その中での女性のイメージの作為性も問題視しているようで、彼女は博論としてまとめているとという。
今回の10日間のアメリカ滞在で得た経験の面白さと反省と今後の課題が目の前にちらつく。もっといろいろ書きたいが、論文をしっかりまとめることを肝に命じよう。集中してやること!若いお二人はいい論稿にしている。データー、資料をこのさい言葉で結晶化する作業が待っている。やれやれ、モグラのように闇の中で土を齧って生きているのだろうか?