志情(しなさき)の海へ

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琉球古典女踊りの象徴は美らジュリ?≪表象の両性具有≫

2015-01-29 23:09:43 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

                           (村踊の中の女踊りです。背筋を伸ばしていますね!)

女踊りが王国時代から近代にかけてかなり異なってきたのですね。

小橋川ひとみさんの琉球舞踊に関する論文はいいですね。斬新です。『絵巻「琉球人坐楽之図」に描かれた『團扇躍」の身体技法の考察ー村踊りを資料としてー『ムーサ』第8号です。読まれてください。このひとみさんの論考は、昨今の琉球舞踊の研究の中で愁眉です。今頃、琉球舞踊の身体所作に関心をもっていますが、御座の上でどう躍ったのでしょうか?王府時代の踊りは近代にかなり変節していったことが分かります。

現在の琉球舞踊研究者は現在の規範の型を研究しているのですが、微細に分析しています。しかし1879年から1945年に至る66年の経緯をしっかり捉え返さない限り、底が浅いということになりますね。急いでいろいろな舞踊関係の論文を読んでいるが、微妙な歪曲が研究者の中にも見られます。嘘はどこにもまかり通るのですね。しかしどんなにカムフラージュしても実は隠せない言葉が漏れ出ています。そこをどう掬い取るか問われています。

写真も嘘はつけませんね。差異は微妙でも、差異です。同化と異化は形而下でも形而上でも起こっていたのです。痛い、螺旋形の沖縄の屈折と同化の歴史の中の一筋の真実とはどこにあるのだろう?文化活動の事大主義ももちろんあります。全てがサバイバル・バーリューだろうか?嘘と美醜と権威、身体芸術の美と嘘、迎合と統合、異化の力?

昨今の戦後の舞踊の型を文化庁も是認の沖縄の舞踊ですがー、近代の日本への同化の過程で変容していった琉球芸能、あるいは日本の文化を包摂しながら沖縄流に濾過していった芸能かもしれません。真喜志康忠さんはよく話していましたね。濾過だと。沖縄風に形を修正していったのです。

(この足遣いは多良間の八月踊りでも見られますね。王府時代の足遣いはこれですね?)

≪尚育王代1835-1847に琉球の謝恩使一行が江戸薩摩屋敷で演舞した舞踊の情景を描いたもの≫背筋を伸ばした踊り方です。王府時代に女立ちはなかったのかもしれませんね。すり足もなかったのです。それが登場したのはいつでしょうか?近代の帳辺りでしょうか?意外と「花風」の後にかなり変容していったのかもしれませんね!現代の女踊りは近代の産物ですね!誰がどのように女立ちを発見し取り入れたのか、玉城盛重か渡嘉敷守良か新垣松含あたりだろうか?背筋を伸ばした女踊りです。現在とかなり異なりますね。

 


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