志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

神山 彰先生の『娯楽としての演劇とその変容』が良かった🎵

2017-01-08 21:45:17 | Theatre Study(演劇批評)

神山先生の2時間の基調講演がとてもよかった二日間のシンポジウムで最も刺激的だった。中国語の通訳もあって時間は2時間に及んだ。日本の近代演劇の歴史の二分化された現象、その根本認識の在り処など、明瞭なお話で、大衆文化とは何か、近代から現代に到る日本演劇史において、娯楽性や大衆蔑視の眼差しと、特権的な芸術性を目指した新劇の動向など、1980年代まで網羅してお話された。神山先生のご本を丁寧によまなければと思う。板谷先生の緻密なご研究と近代の女形と女踊は示唆的だった。細井先生の沖縄に関する報告は、独断的な認識と曲解が散見されて、問題含みだねと鈴木先生と、話し合った。板谷論は近代における琉球舞踊が沖縄芝居小屋(劇場)でうまく継承されなかった、という説である。そこは疑問だ。玉城盛重、新垣松含、渡嘉敷守良の三人が芝居を離れ舞踊研究所を設立するという流れまで示した。芝居は終戦に到るまで隆盛だったのである。1930年代が黄金時代だったとも言える。戦争の修羅を越えて戦後に継承された芸がある。名優たちは組踊、沖縄芝居(史劇、歌劇)を身体で演じ、かつ踊ったのである。

以下のパワーポイントで細井先生は当時の新聞の中の批評を紹介している。しかし、実際の舞台公演の現実とは逆の総括を表象している。批評をしているのが大和の人間か当時東京、大阪の新しい演劇を見た沖縄のインテリ層による上から目線の批評の可能性も大で書いた当事者が誰かも明確にしてほしい。その上で紙面の批評を実証データーとしてこのような結論をもってくるのは、実相に遠いのではないかと危惧する。

実際明治40年に組踊がかなり上演されるのである。一般庶民の音楽、民謡への趣向はかなり高まっていく。それゆえに歌劇上演禁止までおこる。細井先生はもっと具体的な上演記録を確認すべきだと危惧する。台湾での検閲との闘いを評価し、沖縄の演劇人が警察の検閲をどう潜り抜けたか、を軽くいなす発言をしていた事も、中国語が堪能で台湾芸術大学の教授陣を多く招聘した尽力の成果が開花しているシンポに見えたが、東京コードと沖縄をからめた総括に一部疑問が起こったのは事実だ。


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