志情(しなさき)の海へ

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新作能「沖縄残月記」の魅力

2011-07-19 02:16:22 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他

能と組踊のコラボレーションが凛として浮き上がった。鎮魂の思いが沖縄戦の悲劇を昇華したかのように、駿厳そのものの空気が流れた。違和感なく琉球古典音楽が、お能の地揺と小鼓、大鼓、笛がエコーしあった。八重山民謡の月の美しゃは笛の音色に合わせて静かに聞こえてきた。もっと耳に響く音色でもいいと思ったりしていた。

シテの大ばんばカマドの霊、死霊が中心に位置するお能の世界はあの世とこの世のつながりを意識させる。魂落ちする子供の姿があり、それがありし日の戦場の地獄へと導いていく。あの時、何があったのか?

お能の舞台の様式の中で、幾分御冠船時代の舞台様式と折衷させ、地謡の席を工夫し、琉球古典音楽奏者の位置をお能の鼓などの奏者の後ろにその席を設けた。地謡が見えるお能の様式の中に違和感なく据えられた。すでに2009年にセリルアンタワー能楽堂で上演された舞台の再演である。しかし舞台構成に幾分違いがあり、緑の多さも目を引いた。自然のたたずまいは深い。そこでこの世の者たちの立ち居振る舞いがスタティックに展開する。風車を回す子供もその姿はリアルを超えた抽象の具現そのもののように歩き、泣く。その削ぎ落された動きや所作に地謡の熱いコーラスがかぶさってきた。生の声の響きがいい。人間の声が魂そのものの有形の姿そのものとして、言魂の形?のように劇場に響いていく。

シテのカマドの霊が、沖縄戦で無残に殺された者たちの声を象徴するかのようにそこにあり、そのカマドの無念の心が溶けて行く。告解と共に溶けて行くものがある。痛みを悲しみを語る。生身の人間の悲しみの極致が霊のシテ(カマド)に総体化されている。海風、残月、月影、清明、語り継ぐべし沖縄の戦ーー。沖縄戦を描いた新作能の鎮魂の美に、その研ぎ澄まされた様式美に圧倒されていた。多声に独特な笛や鼓の音色に、琉球の歌三線の響きに酔っていた。しかし途中昨日のリハや本番舞台、深夜までの打ち上げゆえの疲れでうとうとしていたのも事実である。お隣の美しい琉球舞踊家・女優は【少し長いね】と正直にお話した。

お能の様式美が例えばシェイクスピア作品でも包含・包摂しえる不思議な力を持っているのもその通りで、それは以前見た事があり、またコンテンポラリーダンスとの共演も可能で、イエイツの「鷹の井戸」などの詩劇も面白かった。十二分に違和感なくお能の舞台に馴染んでいた。それもお能の様式を壊すことなくーー!ゆえに沖縄の戦争の悲劇を主題にしたこの作品が琉球古典音楽とコラボして統合的・抽象的な美をそこにかもし出すことは可能である。実際違和感なくそこにあった、という事なのかもしれない。お能の様々なコラボレーションの歴史は新しくはない。すでに多様な試みがなされてきた。そして琉球音楽や物語が十分、お能の様式の中に入ったという事なのだろう。入ったというより互いに呼応しあって独特な舞台空間を生み出したという事になるのだろう。今後このようなコラボレーションはもっと可能になるに違いない。

次は組踊の様式や舞台の形の中にどれだけ日本的感性や物語、様式が包摂・抱擁しうるか、沖縄の感性・知性・世界観が試されてくるだろう。お能に吸収される(競合・融合する)組踊・舞踊・古典音楽も素敵だ。そしてその逆にこの亜熱帯の感性の世界観の中に日本の霊の具現化ができるだろうか?日本的感性・美意識・様式をどう包み込むか、興味深い。それは群島の感性なのか、アジア的な感性なのか?それらすべてを含んだアジア的、地球的感性・知性・美の世界?!無常と統合の世界、そして永遠の様式の世界があるようだ!それらが、多様な民族が創り上げた、生きた者たちの魂の産物でもあるのだという事に、慄く。

琉球舞踊「蜻蛉羽」志田真木が三間四方のお能のステージでまるでお能舞台にふわっとして浮いた美しい動く抽象美のように躍った。静かな空気、清浄感に満ちて彼女の一挙手一足がそう、蜉蝣のようにふんわりとした動きで舞台の上に浮いているようなイメージがした。能舞台に馴染んだような動きというか、その狭い広い空間に添った心と身体が蜻蛉のようにふわりと浮いた動きをしたかと思うと一瞬にして消えた感じ。「糸を穫り、紡ぎ、染めて布に仕上げるまでの仕草を本散山節、つなぎ節、清屋節にのせて濃やかな振りになっている」と解説している。布を織る女のたおやかさのような、寡黙な美しさが感じられた。気品のある創作舞踊。

比嘉康春さんの「シテの謡は組踊の唱えの、地揺の謡は組踊地揺のベースになっていると実感できた」という発言は貴重に思える。組踊の歌・三線はお能の地揺の謡を三線と共に担っているゆえにもっと複雑である。謡だけではない歌・三線はよりその技量が試される。謡のコーラスだけとは異なる。物語の主人公たちの内面の心理も含め、また舞台の情景など、歌・三線で描写しなければならない。

面白いと思ったのはシテ以外の人物たちの静かな動きであり、現代劇の手法にも似た閑静な動きであり、凍りついた姿勢である。
お能は実は新しい劇でもありえる、という事かもしれない。様式美は現在を近未来をまた手招きしているのらしい。

<可能ならばこの作品を批評・研究のためにじっくり観たいと思う。清水寛二さまよろしくお願いします。>

惨い戦争をお能で表象する、その作品の奥深さを反芻するには時間が必要である。批評・研究はどうしてもその総合芸術の総体を対象化せざるをえないので、時間と距離を要する。

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沖縄県で上演された新作能
【能と琉球芸能の融合 多田富雄作 新作能  沖縄残月記】
午後2時開演(午後1時30分開場) 国立劇場おきなわ(大劇場)

7/17,7/18の2日公演
新作能「沖縄残月記」
作・多田富雄/節付演出・清水寛二 
シテ・大ばんばカマドの霊 清水寛二


第一部                                   
★おはなし  新作能『沖縄残月記』の誕生 清水 寛二
★琉球舞踊  「蜻蛉羽」 Akezuba
選曲・作詞・振付  志田 房子
踊り  志田 真木
★舞囃子 「融」観世銕之丞

第二部                                   
★新作能 『沖縄残月記』作 節付 演出  多田 富雄
 清水 寛二 谷本 健吾 比嘉 克之 志田 房子 志田 真木  根路銘広美
 笛  松田 弘之  小鼓  古賀 裕己  大鼓  柿原 弘和 太鼓  小寺眞佐人
 歌三線  比嘉 康春  新垣 俊道 仲村 逸夫
 箏  久貝 栄喜  笛  宮城 英夫  胡弓  又吉 真也   太鼓  比嘉 聰

●前売りS席(1階正面)6500円 A席(1階席) 5500円 B席(2階席) 4500円
 ※当日券は各500円増
 (割引/団体10枚以上は1割引、団体30枚以上と身障者の方は2割引)

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