志情(しなさき)の海へ

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『遊廓のストライキ』山家悠平は労働と女性たちの権利の観点からいいね!

2016-01-19 23:52:35 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

この博論の書籍から鍵になったのが森光子の『光明に芽ぐむ日』(吉原花魁日記)と『吉原花魁の日々』(春駒日記)だということがわかって急いで取り寄せた。文庫が安く手に入った!1905年に生まれ1934年(大正13年)に19歳で吉原の『長金花楼』に売られた森光子が、二年後に廓を飛び出して歌人の白蓮夫人に助けられるまでのノンフィクションである。そして『遊廓ストライキ』は大正デモクラシーの時代から昭和初期にかけて、近代の遊廓『吉原』の蠢き、変容を伝えている。紛れもなく近代日本、家父長制度のしわ寄せ、吹き溜まりのような「廓」の実態が、光子(春駒)の五感で伝えられていく。

『遊廓』から脱出する花魁たちの姿、ストライキする姿は、まさに近世とは異なる近代を浮き彫りにする。先週読み終わって面白いと思った。山家さんのポイントはあとがきによくまとめられていると思うので、その部分をこちらにもUPしたい。備忘録としてー。

遊廓にいて日記を書き続けていた春駒さんである。書くことによって自らを浄化し、檻の中の生活から飛翔したいと望んだ文芸好きな花魁は、妾(わたし)はと書き綴っている。長金花楼の楼主、やり手おばさん、髪結い、呼び込み、書記、女中さん、お針子などなど、炊事場のおばさんもふくめ、どうも性娯楽を売る妓楼の様子が森光子の日記からよく見えてくる。玉代の仕組みや、これでもかと思えるほどに、性的労働者としての彼女たち花魁から金を搾り取っていく楼主がたくさんいたのだ。

周旋屋を呪う森だが、貧しさのために母と妹のために1300円を借りた代わりに自らの身体を売るという商売(公娼制度)の罠にはまった女性だった。家父長制度の担保のように実在してきた遊里・遊廓の存在、近代の姿。やはり『森光子』の手記と『遊廓のストライキ』は絡まった物語、論である。時代の空気は客の男達の語りや風情からも伝えられた。電話があり、雑誌、本なども読めた吉原の花魁たちである。自分たちの於かれた状況を改善するために頑張った面々は書物を見てみると、必ずしも少なくなかったに違いない。娼妓廃業の届けが警察を通して為されていた。それは沖縄でも同じだ。近代の波の中で正当な権利を行使できた稀有な女性だった森光子さん!の勇気に拍手だね。

子を生まむ健康さへも失へりとその人のいふ年二十一

二十一年よりませて世の中の男を呪ひ世を呪ふ声

嵐つよく雷さへも鳴るときをおかして来たる悲しき客人

女とは男のためにうられゆくあはれはかなき名そといひける

女女かかる悲しき文字やあるうらみともとき涙ともよむ (白蓮)


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