歌詞がネットでしか取れないので、ここに貼り付けておきます。(備忘録)歌詞を読みながら舞踊をイメージする楽しさもありますね。
群舞の面白さに、群舞の個性と怖さも見えてきました。解説にはもっと別の角度からも見えることが分かりました。
独演の創作舞踊がお二人です。
一部 「ふやかりて」 作踊り 山城洋子
情愛の踊りですね。古典女踊の類型だけれども、古典女踊りの構成の基本は「出羽(ンジファ)、中踊り(ナカウドゥイ)、入羽(イリファ)の三段からなっている。出羽は、踊り手が舞台下手奥から舞台上手前に向かって対角線上に登場する出の踊りで、中踊りは、舞台中央奥で立ち直りをしたあとに正面向きになって踊る本踊り、入羽は、出と同じように舞台下手奥に向かって入っていく収めの踊りのこと。」(wikipedia)なので、幕が開いて出羽がなく舞台中央で金の屏風の前で踊る艶のある女踊になっています。どことなく何か物足りないと思ったのですが、手燭は宿の女をイメージさせ、惹きつけました。琉歌は恋の歌が多いのですが、ユカチュの恋慕が女性たちの情念として具現化するのですね。男性たちは歌曲に思いを表出し、身体表出は女性たちです。恋に打ち震える男性の踊は、「手水の縁」からでしょうか?
二部 「あや愛しゃ」 作踊り 玉城秀子
八重山民謡三曲構成。民謡だけれど、しっとりとした女踊りになっていました。庶民の踊りなので、テンポがあってもいいかと思ったのですが、品のある八重山乙女でした。着物を干す竹の美術セットがあったのですが、結局それに布を干す所作があるかと思いきやなかったです。お隣の女性が「着物を干すと思ったら使わなかったね」とつぶやいていました。
しかし、歌詞も曲もいいですね。さらし節の歌詞の原歌と大工哲弘さんがどこを補作したのか興味深いです。
群舞の圧巻は「二面踊り」でした。
歌詞も面白いですね。ユーモアがあります。アン小とタンメーの踊り。奇抜です。「此の世はすべて陰と陽、表と裏があり、若さもあれば老いもあるという人生の習いを表現した作品」と解説の狐島丘奈さんは書いています。
作舞の先生方の個性が出ていましたね。
玉城千枝先生の「百かりゆし」は士族の女性の春の寿の踊りゆえに、ゆったりとしてさわやかでした。出羽のくるりと廻る所作が斬新でした。
大城政子先生はユニークな舞踊家だと思います。お元気でしょうか?