志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

旧二十日正月、神事も正午からあったのですね。芸能祭は午後2時から3時半まで!

2015-03-15 19:19:27 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

                    (二十日正月当日ではない神事や祭祀芸能にちょっと違和感を覚えつつ遅れて参加!)

ちょっとデスクから離れ難かったのですが、急いで飛び出し最初の演目から見ることができなかったのは残念!新城 亘先生やマット・ギランさんに会った。90代のなへさんにお会いした。お元気だ!

取り急ぎの写真、100人余のジュリ馬行列のユイユイが披露されたが、なぜか寂しいと感じていた、なぜだろう?

久しぶりに大勢のジュリ馬行列である。辻開祖の墓は以前は辻遊郭開祖の墓だった。掲示表もできた。辻に遊郭が抜けている。辻村である。そして例の嘉手納先生が芸能、ことばだと解説したジュリの当て字が尾類と並んでいた。やれやれ!遊郭、遊女ぬきの辻にこだわる上江洲さんの思いが痛々しく感じられる。再び「辻新思会」理事長になられた上江洲さんの心意気は賑やかな中に寂しさが漂っている。街の祭祀・芸能として再出発できない寂しさだろうか?壮大な旧二十日正月祭祀・芸能が復活できる日を念じよう。浅香さんが挨拶しないとならない旧二十日正月であるかぎり、それは街の祭祀として蘇ってはいないということを暗示している。那覇が観光の中にジュリ馬を位置づけ応援する体制ができていないことを意味する。密やかにそこだけぽーと炎が点っているような芸能祭だった。もっと街を活性化させる都会の芸能になりえるはずが、なりえない限界を突破する道筋が見えないね。見えていてあえて火中の栗を拾わないスタンスで取り巻いている人垣かもしれない。波の上祭はその点、開かれているね。ジュリ馬行列も登場する。

開かれた街の祭祀芸能になることをただ念じるばかり。街の祭祀芸能になる道筋、その方法論が問われている!街が予算を作り、街の催しにする才覚/感性、企画能力、政治が問われている。

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   石碑です!何と書かれているのでしょう?                ここに獅子やミルクが保存されているのですね。  火の神を祀っています。

以前は辻遊郭開祖之墓でした。⇒辻開祖之墓になっています。歴史を塗り替えるのですね。でも変えようがないのが歴史でもありますね。

この表示板からも遊郭などの文字はありませんね。世界史に照らしてみて遊郭であったことは事実ですね。琉球・沖縄の特殊性はあっても遊郭であったことは変わりません。二重規範の中の社会システムが貫かれてきたのは同じですね。そして現在の辻町もまた二重規範の社会の構造をそのまま引きついでいることになります。しかしそこには芸能はありませんね。大きな違いです。(以下、写真をランダムにUPしています。削除Okです。)

                                                   新城さんは「御茶屋御殿」の芸能アドバイザー!

新城亘さんのお隣は安谷屋絹代さん!「お茶屋御殿」のマネージャー



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